HOME 地域や地球のために何かをしたい人の為に。関連団体紹介 寿光院の沿革、住職の自己紹介、浄土宗について、地図 施設紹介、墓地、葬儀、供養、永代供養、入門案内 仏教の教え、仏事とお作法   平和の為の情報、メッセージ 寺報、投稿、NGO活動から、子供たちへ、仏教者の提言 しさらぎ野球部、寿光院関係団体
BBS お問い合わせ、連絡先、地図 寿光院 英語版サイト


イラク攻撃を考える

戦争告発に生きた報道記者が突き付けられた”重い真実”です
**********************************************************************
 「私たちの車はゆっくり走っていた。アメリカ人は理由なく発砲してきた。ニコーラは私の腕の中で死んだ」――ジュリアーナ・ズグレーナ記者はイタリアに帰国し、拘束事件と血まみれの解放劇について語りました。
 単なる事故だと主張する米国に異議を唱える生の証言は圧巻です。それだけではありません。この戦争がイラク社会にいったい何をもたらしたのか、報道に何ができるのか、そして人生でもっとも大切なものは何なのか。その“真実”を突き付けられて戸惑う、一人の人間の姿が浮き彫りになります。
 銃撃の二日後、イル・マニフェスト紙上に発表されたこの手記は、アメリカのCNN、英国のガーディアン紙、フランスのリベラシオン紙によって、いち早く全文が翻訳されています。ただそれらには、原文から大きくニュアンスのずれた表現や省略、明らかな誤訳があることが判明しました。そこで今回TUPでは、すばらしい原文のニュアンスがなるべく忠実に伝わるよう、イタリア語から生の翻訳をお届けすることにしました。
                      今村 和宏/TUPメンバー
**********************************************************************


「私の真実」
ジュリアーナ・ズグレーナ
イル・マニフェスト紙(イタリア)
2005年3月6日

 私はまだ闇の中にいる。あの金曜は人生の中でもっとも劇的な日だった。拉致されて何日もたっていた。拉致犯たちと直前まで話していた。彼らは何日も前から私を解放すると言っていた。だから私は何時間も待ち続けていた。彼らが話していたのがどれだけだいじなことだったかは、後になってからしかわからなかった。「移動に関する」問題について話していたのだ。私は、毎日「お守りしてくれた」見張り番二人の態度からその場の空気を感じ取れるようになっていた。特に私の望みに気を遣ってくれた一人は信じられないほど得意げだったので、何が本当に起こっているかを確かめるために、ちょっと挑発的に、私がいなくなるから嬉しいのか、それとも居続けるから嬉しいのか、たずねてみた。すると、「あんたが帰ることはわかっている。いつになるかははっきりしないけどね」と、私がびっくりし喜ぶことをはじめて言ったのだ。何か新しいことが起こっているのは確かだった。ちょっとしてから、二人がいっしょに部屋に入ってきて、私を慰めるように冗談っぽく言った。「よかったな。ローマへ出発だぞ」と。「ローマへ」とまさにそう言ったのだ。

 何か変な気分になった。その「ローマへ」という言葉にすぐ解放感を感じたが同時に一種の空虚感が心の中に生まれたからだ。拉致されてから今までで一番むずかしい瞬間が迫っていたのがわかった。今までに体験してきたことがすべて「確かなもの」だとしたら、今や「不確かなものだらけの箱」が開かれようとしていた。それは今までより厄介なものだった。

 服を着替えると、そこへ見張りが戻ってきた。「さあ、送って行くぞ。でも、俺たちといっしょにいることを悟られるような素振りはしないこと。さもないとアメリカの連中が介入してくるかもしれない」と言われた。聞きたくなかったが、やっぱりそうだった。一番嬉しいその瞬間は同時に一番危険な瞬間でもあったのだ。誰かに、いやアメリカ兵に鉢合わせしたら、銃撃戦が始まっただろうし、拉致犯たちは当然応戦しただろうから。

 目隠しをされた。ときどき目が見えない状態になるのには慣れはじめていた。外の様子としてわかったのは、バグダッドでは雨が降ったということだけ。車はぬかるみ道をゆっくり走って行った。いつもの拉致犯二人と運転手がいた。たちまち聞きたくもない音が聞こえてきた。車が止まったあたりの上空をヘリコプターが低空で飛んでいたのだ。「落ち着け。向こうから探しにくるから。10分もすれば向こうが探しにくるから。」彼らはずっとアラブ語で話していた。あとはわずかのフランス語、そしてたくさんのひどい英語で。今度もそんな話し方だった。

 そして車を降りて行った。私は身動きもできず目隠しのまま取り残された。目には綿をかぶせられサングラスをかけられていた。じっとしていた。どうしようかと考えた。今とは違う状況になるまでの秒数でも数えようかな。それって自由かな。そう思って頭の中で秒数を数えかけた瞬間、味方の声が耳に飛び込んできた。「ジュリアーナ、ジュリアーナ。ニコーラだよ僕は。心配しなくていい。ガブリエレ・ポーロ(マニフェスト紙社長)と話した。もう安心して。自由になったんだから。」

 ニコーラは綿の「眼帯」と黒のサングラスをとってくれた。私は安心した。でもそれは、その場の状況のおかげではなかった。第一どんな状況かもよくわからなかった。そうでなくて、この「ニコーラ」の話しぶりにほっとしたのだ。彼は、止めどもなく話した。優しいことばや冗談を浴びせかけてきた。体を撫ぜてもらったような温かい慰め、ずっと忘れていた「ことばの慰め」をやっと感じることができた。

 車はガード下を走り続けた。水溜りを避けようとしてスリップしそうになりながら。みんなバカみたいに笑った。なんという解放感だ。ここまできて、バグダッドの泥道でスリップした上に、交通事故でも起こしたら、そんな話、かっこ悪くて誰にも話せない。ニコーラ・カリーパリは私の横に座りなおした。運転手は二度ほど、空港に向かう途中だと大使館とイタリアに報告していた。米軍がそこらあたりを厳重警備していたのは明らかだった。空港から1キロ足らずにさしかかったころ、ああ・・火花しか思い出せない。火と銃弾の雨を浴びせかけられ、その1、2分前までの楽しそうな声は押し殺されてしまった。

 運転手がイタリア人だと怒鳴り始めた。「イタリア人だ、こっちはイタリア人だ」ニコーラ・カリーパリは私を守ろうと私に覆いかぶさってきた。そしてすぐさま、そう、すぐさま息を引きとったのがわかった。私の上で。私も体に痛みが走ったはずなのだが、わけがわからなかった。とその瞬間、拉致犯たちの言っていたことが稲妻のように頭によみがえった。彼らは私を解放することに最後までとことん責任を持つと約束していたが、気をつけるようにとも忠告していたのだ。「あんたが帰還することを望まないアメリカ人がいるから」と。あの時は、それを偏見に満ちた、取るに足らない言い草だと切り捨てていた。ところが今や、そのことばに、何よりも苦い真実の味を感じつつあった。でもこれについては、もうこれ以上、話せない。

 私にとって一番劇的な一日だった。だが、拉致されてからの一ヶ月は私の人生を根底から変えてしまった。一ヶ月間、ずっと自分自身と向き合った。自分の一番根深い信念にとらわれて。一時間一時間、自分の仕事の意味を徹底的に問い直した。彼らはときどき私をからかっては、なぜ帰りたいのか、残ればいいじゃないかと迫った。プライベートな人間関係をしつこく聞いてきた。ふだんは疎かにしているけれど本当は一番たいせつなもの、それに私の注意を向けたのは彼らだった。家族に。「あんたの夫に助けを求めろ」そう言った。実際、皆が見た最初のビデオで私はそうした。私の人生は変わってしまった。NGO「バグダッドへの架け橋」のイラク人エンジニアで二人のシモーナといっしょに拉致されたラード・アリ・アブドゥラジズも「私の人生はまったく変わってしまった」と言っていた。ただ、そのときはピンとこなかった。でも今ならわかる。真実のつらさと無力感を身をもって体験したからだ。

 拉致されて最初の数日間は一粒の涙も流さなかった。私はとにかくひどく腹を立てていた。質問を投げつけたものだ。「でもなぜなの! この戦争に反対の私をなぜ拉致するの?!」と。そうすると、彼らも頭から煙を上げて反論してきた。「おまえが町にいるイラク人と話しに出て行くからさ。ホテルに閉じこもっているようなジャーナリストは絶対に拉致しないさ。それに戦争に反対なんて言っているのは、ただのカモフラージュかもしれないだろう。」私も負けてはいない。「私のように、か弱い女を拉致するのは楽でしょ。アメリカ兵で試してみたらどう?」と挑発する。イタリア政府に軍隊を撤退するように働きかけても無駄だとも主張した。彼らの交渉相手になれるのは、イタリア政府でなくて、戦争にずっと反対してきたイタリア国民だけだと。

 ジェットコースターのような一ヶ月だった。明るい希望とどん底の憂鬱の間を往復する。拉致された金曜日の二日後の日曜日、パラボラアンテナの立つバグダッドの家の中に拘束された私は、ユーロ・ニュース・チャンネルのテレビ・ニュースを見せてもらった。ローマ市役所の建物の正面に巨大な私の写真が掲げられているのが見えた。心がじわっと温かくなった。と次の瞬間、イタリアがその軍隊を撤退させないなら私の死刑が執行されるとの宣言が告げられた。私は恐怖におののいた。でもすぐさま彼らは、それが別のグループだと保証してくれた。そんな宣言は信じなくていい、単なる「挑発者グループ」だと。彼らは二人とも兵士のなりをしていた。でも一人は愛想がよさそうな顔をしていたので、彼によく尋ねたものだ。「本当のこと話して。私を殺すの?」 かと思うと、一風変わった相互理解が進むこともあった。こともあろうに彼らと。頭のてっぺんから足先まで隠した信心深いワッハーブ派(スンニ派原理主義)の女が家の中を廻り私の世話をしていると、「さあ、テレビの映画をいっしょに見よう」と誘いに来たりした。

 拉致犯たちはとても信心深いグループに見えた。コーランのことばで祈り続けていた。でも私が解放されたあの金曜日、毎朝5時に起きて祈っていた一番信心深そうな彼が「おめでとう」と言いに来た。イスラム原理主義者にはめずらしく、私の手をびっくりするほど強く握り締め、「おとなしくしていたら、すぐにでも出発できる」と付け加えた。愉快ともいえるこんな話もある。二人の見張りのうちの一方がテレビを見て、青い顔をして私のところへやってきた。理由は、ヨーロッパの街々に掲げられた私の顔写真とトッティ(人気サッカー選手)だった。そう、トッティ。彼はローマのファンだと白状し、お気に入りの選手が「ジュリアーナを解放してくれ」と書かれたユニフォームを着て、グラウンドに下りてきたのを見て、困惑していたのだ。

 私は、もはや何の拠り所も見出せない「空間」で暮らした。とてつもなく弱々しく感じた。自分の確信をすべて失った。以前はあの汚い戦争を告発しなければならないと考えていた。そしていま選択を迫られていた。ホテルでじっと待つのか、それとも仕事をしに出て拉致されてしまうのか。「もうだれも来てほしくないんだ」拉致犯たちは私に言った。でも私はファルージャの虐殺について避難民のことばで話したかったのだ。ところが、その朝にはもう、避難民やその「リーダーたち」は私の話を聞こうとしなかった。私はイラク社会が戦争のために成り果ててしまった状態をありありと指し示す例をまさに目の前にしていた。彼らは私に彼らの真実を突きつけてきた。「もう誰もいらない! どうして自分の家にじっとしていないんだ! 俺たちにインタビューして何の役に立つと言うんだ!?」 最悪の副作用。「コミュニケーションを殺す戦争」が私にも襲いかかってきた。今まであらゆる危険を冒してきたのは何だったのだろう。ジャーナリストをイラクに行かせまいとするイタリア政府に挑戦し、戦争と「選挙」のせいでこの国が成り果てた真の姿を報道する私たちを嫌う、あのアメリカ人に挑戦して――。

 さて、こうした拒否反応を示す彼らイラク人たちは間違っているのだろうか?

(翻訳:今村 和宏/TUPメンバー)

原文(イタリア語)URL:
http://www.ilmanifesto.it/Quotidiano-archivio/06-Marzo-2005/
http://www.ilmanifesto.it/Quotidiano-archivio/06-Marzo-2005/art7.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
TUP速報
配信担当 萩谷 良
電子メール: TUP-Bulletin-owner@yahoogroups.jp
TUP速報の申し込みは: http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/
*問い合わせが膨大な数になっています。ご返事が書けない場合がありますので、ご容赦ください。
■TUPアンソロジー『世界は変えられる』(七つ森書館) JCJ市民メディア賞受賞!!
■第II集 も好評発売中!!
■ファルージャの目撃者より:どうか、読んで下さい

以下、翻訳者・益岡賢さんのHPからの転載です。

ファルージャの目撃者より:どうか、読んで下さい
ジョー・ワイルディング

2004年4月13日
転送・転載歓迎


///////////////////////////////////////////////////////////////////

長くなってしまいます。お許し下さい。でも、どうか、どうかこれを読んで下さい。そして、できるだけ多くの人に広めて下さい。ファルージャで起きていることの真実を明るみに出す必要があるのです。ハムーディ、私の思いはあなたとともにあります。


2004年4月11日 ファルージャ

ファルージャ東部の高速道路で、トラックや石油タンカー、戦車が燃えていた。少年と男たちの流れが、燃えていないローリーを行き来して、ローリーを裸にしていた。私たちは、アブ・グライブ経由の裏道にまわり、持ち物をあまり持たない人々で一杯の自動車が逆方向へ向かうのにすれ違いながら、道沿いにできた急ごしらえの軽食スタンドを通り過ぎた。ヌハとアフラルはアラビア語で歌っていた。スタンドの少年は、バスの窓から、私たちと、そして今もファルージャにいる人々に、食べ物を投げ込んでいた。

バスは、ファルージャの導師の甥が運転する車の後について進んでいた。彼はまた、ムジャヒディーンと接触がある私たちのガイドでもあり、今回のことについてムジャヒディーンと話をつけていた。私がこのバスに乗っていた理由は、と言えば、知人のジャーナリストが夜11時に私のところに来て、ファルージャの状況は絶望的であり、手足が吹き飛ばされた子どもをファルージャから運び出していたと語ったことにある。また、米軍兵士たちは、人々に、夕暮れまでにファルージャを離れよ、さもなくば殺すと言っていた、と。けれども、人々が運べるものをかき集めて逃げ出そうとすると、町はずれにある米軍の検問所で止められ、町を出ることを許されず、ファルージャに閉じ込められたままで、日が沈むのを人々は見ていたと、彼が私に語ったことに。

彼はまた、援助車両とメディアもファルージャに入る前に引き返させられたと私に説明した。医療援助をファルージャに運び入れる必要があり、外国人、西洋人がいると、米国の検問を通過してファルージャに入ることができるチャンスは大きいと。その後の道は、武装グループにより守られているとのことだった。そこで私たちは医薬品を持ち込み、他に何か手伝えることはないか調べて、帰りにはバスでファルージャを離れる必要がある人たちを乗せていこうと考えていた。

どうやって決意したか、自分自身で何を思い、お互いに何を聞いたかについては想像にお任せしよう。私の決断を狂気と言うのも結構。けれども、そのとき思ったのは次のようなことだった:もし私がしないならば、誰がするのだろう? いずれにせよ、私たちは何とか無事到着した。

到着後、私たちは物資をバスから降ろした。荷箱はすぐに引きちぎるように開かれた。最も歓迎されたのは毛布だった。そこは病院と呼べるものではなく、ただの診療所だった。米軍の空襲でファルージャの大病院が破壊されてから、ただで人々を診療している個人医の診療所だった。もう一軒の診療所は、ガレージに臨時で作られたものだった。麻酔薬はなかった。血液バッグは飲み物用の冷蔵庫に入っており、医者たちは、それを非衛生的なトイレのお湯の蛇口の下で暖めていた。

女性たちが叫び声をあげながら入ってきた。胸や顔を手のひらでたたき、祈りながら。ウンミ、お母さん、と一人が叫んでいた。私は彼女を抱きかかえていた。それから、コンサルタント兼診療所の所長代理マキが私をベッドのところに連れていった。そこには、頭に銃による怪我を負った10歳くらいの子どもが横になっていた。隣のベッドでは、もっと小さな子どもが、同じような怪我で治療を受けていた。米軍の狙撃兵が、この子どもたちとその祖母とを撃ったのである。一緒にファルージャから逃れようとしたところを。

明かりが消えた。換気扇も止まり、急に静かになった。その中で、誰かがライターの炎を付けた。医者が手術を続けられるように。町の電気は何日も前から止まっており、発電器の石油が切れたときには、石油を入手するまで、とにかく何とかしなくてはならない状況だった。デーブがすぐに懐中電灯を渡した。二人の子どもたちが生き延びることはなさそうだった。

「こちらへ」。マキが言って、私を一人、ある部屋に案内した。そこには、お腹に受けた銃の傷を縫い上げたばかりの、年老いた女性がいた。足のもう一カ所の傷には包帯がまかれていたが、彼女が乗っているベッドには血が染み込んでいた。彼女は白旗を今も手に握りしめていた。彼女の話も、同じである:「私が米軍の狙撃兵に撃たれたのは、家を出てバグダッドに向かおうとしているときでした」。街の一部は米軍海兵隊に制圧されている。別の一部は地元の戦士たちが統制している。彼女たちの家は、米軍が制圧した地域にある。彼女たちは、狙撃兵が米国海兵隊兵士であるという固い確信を持っている。

米軍の狙撃兵たちは、ただ大虐殺を進めているだけではない。救急車と救助活動も麻痺させている。ファルージャ最大の病院が爆破されたあと残った次に大きな病院は米軍が制圧する地域にあり、狙撃兵たちによって診療所から遮断されている。救急車は、銃弾による損傷を受けて、これまでに4回、修理された。路上には遺体が転がったまま。遺体を取り戻しに道に出ると狙撃されるので、誰も遺体を取り戻すことができない。

イラクに行くなんて、私たちは狂っている、と言った人たちがいた。ファルージャに行くのは、完全に正気の沙汰じゃない、と多くの人たちが言った。そして今、ファルージャでは、ピックアップ・バンの後ろに乗って狙撃兵のところを通り、病いや怪我で倒れた人たちを車で連れてくるなんてことは、これまで見たこともないほど狂ったことだと私に向かって言っていた。私だって、それは分かっている。けれど、私たちがしなければ、誰もしないだろう。

彼は、赤三日月[イスラム世界での「赤十字」にあたる]のマークのついた白旗を手にしていた。私は彼の名前を知らない。運転手が、我々がどこに行こうとしているか通りがかりの人々に告げたとき、皆、私たちに手を振った。ムジャヒディーンの地区のはずれにあるピックアップが最後の角から見えなくなり、次の壁の向こう側からは海兵隊の制圧地になる、そのはざまの地帯は、すさまじいまでの沈黙が支配していた。鳥も音楽もなく、誰一人生きている者の兆しはなかった。そのとき、反対側にある一つの門が開いて、一人の女性が出てきた。彼女はある場所を指さした。

私たちは壁に空いた穴まで壁沿いに歩いた。そこから車が見えた。まわりに迫撃砲の跡があった。側溝には、交差した足が見えた。彼は既に死んでいると思った。狙撃兵の姿も目に入った。二人が建物の角にいたのである。狙撃兵たちにはまだ私たちの姿が見えないと思ったので、私たちの存在を知らせる必要があった。

「ハロー」。できるだけ大声で、私は叫んだ。「聞こえますか?」 聞こえたはずである。私たちから30メートル位しか離れていない所にいたのだから──もっと近かったかも知れない。そして、蠅の飛ぶ音が聞こえていた。何度か繰り返し叫んだが、返事はなかったので、自分についてもう少し説明することにした。

「私たちは医療団だ。この怪我をした男性を運びたい。出ていって彼を運んでいいか?OKだというサインを出してもらえるか?」

私の声は、確実に聞こえたはずであるが、彼らはそれでも応えなかった。まったく私の言葉が分からなかったのかも知れない。そこで、私は同じ言葉を繰り返した。デーブも、アメリカ英語のアクセントで同じように叫んだ。それから、再び私が。ようやく、叫び声が返ってきたように思えた。確かではなかったので、もう一度呼びかけた。

「ハロー」

「ヤー」

「出ていって彼を運び出していいか?」

「ヤー」

ゆっくりと、両手を上に上げて、私たちは出ていった。それにあわせたかのように現れた黒い雲は、熱いすえたような臭いを運んできた。彼の足は硬直していて、重かった。私は足をレナーンド・デーブに任せた。ガイドは腰を持ち上げていた。粘ついた血によって、カラシニコフが彼の髪の毛と手にくっついていた。カラシニコフは御免だったので、私はその上に足をかけ、彼の方を持ち上げた。背中の穴から血が流れ出た。私たちは彼を持ち上げてピックアップまで運び、蠅を追い払おうとした。

彼はサンダルを履いていたのではないかと思う。というのも、そのとき彼は裸足だったから。20歳になっていない感じで、偽のナイキのズボンをはき、大きく28という背番号のついた青と黒の縞模様のサッカーシャツを着ていた。診療所で、この若い戦士をピックアップから降ろしたとき、黄色い液体が彼の口から流れ出た。人々は彼の顔を上向きにしてクリニックに連れて入り、臨時の死体安置所にすぐに運び込んだ。

私たちは、手に着いた血を洗い、救急車に乗った。別の病院に閉じ込められた人々がいた。これらの人々はバグダッドに行く必要があった。サイレンをならし、ライトを点滅させながら、私たちは救急車の床に座って、パスポートとIDカードを窓から外に向けて見せていた。私たちは救急車に人々を詰め込んだ。一人は胸の傷をテープで貼り合わせ、もう一人は担架に乗せて。足がひどく痙攣していたので、彼を運んでステップを昇るとき、私は足を押さえていなくてはならなかった。

診療所よりも病院の方がこうした怪我人を治療するのに有利だが、病院には適切な手当をするに十分な物資が何もなかった。怪我人をバグダッドに運ぶ唯一の方法は、私たちが乗ってきたバスで連れ出すことだが、そのためには、診療所に怪我人を連れて行かなくてはならなかった。私たちは、撃たれたときのために、救急車の床にすし詰めになって乗った。私と同年代の女性医師ニスリーンは、私たちが救急車から降りたとき、涙をこらえきれなかった。

医者が走り出してきて、私に言った:「女性を一人連れてきてくれないだろうか? 彼女は妊娠しており、早産しかけている」。

アッザムが運転した。アフメドが彼と私の間に座って道を指示した。私は外国人として、私自身とパスポートが外から見えるように、窓側に座った。私の手のところで何かが飛び散った。救急車に銃弾が当たったと同時だった。プラスチックの部品が剥がれ、窓を抜けて飛んでいった。

私たちは車を止め、サイレンを止めた。青いライトはそのままにしておいて、待った。目は、建物の角にいる米軍海兵隊の軍服を着た男たちの影に向けていた。何発かが発砲された。私たちは、できるだけ低く身を伏せた。小さな赤い光が窓と私の頭をすり抜けていくのが見えた。救急車に当たった銃弾もあった。私は歌い出した。誰かが自分に向かって発砲しているとき、他に何ができるだろう? 大きな音を立ててタイヤが破裂し、車がガクンと揺れた。

心底、頭に来ていた。私たちは、何の医療処置もなく、電気もないところで子供を産もうとしている女性のところに行こうとしていたのだ。封鎖された街の中で、はっきり救急車であることを表示しながら。海兵隊は、それに向かって発砲しているのだ。一体、何のために?

一体、何のために?

アッザムはギヤを握り、救急車を逆行させた。道の真ん中の分離帯を超えるとき、もう一つのタイヤが破裂した。角を曲がったときにも、銃弾が私たちに向けて発砲されていた。私は歌い続けていた。車輪はキーキーと音をたて、ゴムは路上に焼き付いた。

診療所に戻ると、人々が担架に駆けつけたが、私は頭を振った。彼らは新たについた弾痕に目をとめ、私たちが大丈夫かどうか寄ってきた。彼女の所に行く他の方法は無いのか、知りたかった。ラ、マーク・タリエク。他に方法はない。私たちは正しいことをしたんだ、と彼らは言った。これまでにも4回救急車を修理したのだから、今度もまた修理するさ、と。けれどもラジエータは壊れ、タイヤもひん曲がって、そして彼女は今も暗闇の中、一人っきりで、自分の家にいて、出産しようとしている。私は彼女の期待に背いてしまった。

もう一度行くわけにはいかなかった。救急車がなかったし、さらに、既に暗くなっていたので、私の外国人の顔で、同行者や連れ出した人々を守ることも出来ない状況だった。その場所の所長代理はマキだった。彼は、自分はサダムを憎んでいたが、今はアメリカ人の方がもっと憎い、と言った。

向かいの建物の向こう側のどこかで、空が炸裂しはじめた。私たちは青いガウンを脱いだ。数分後、診療所に一台の車が突進してきた。姿を目にする前に、男の叫び声が耳に入った。彼の体には、皮膚が残っていなかった。頭から足まで焼けただれていた。診療所でできることは何もなかった。彼は、数日のうちに、脱水で死ぬだろう。

もう一人の男性が車から引き出されて担架に乗せられた。クラスター爆弾だ、と医者たちは言った。この犠牲者だけなのか、二人ともがそうなのかははっきりしなかった。私たちは、ヤセル氏の家に向かって歩き始めた。角ごとに、私たちが横切る前に道をチェックしながら。飛行機から火の玉が落下して、明るい白光を発する小さな弾へと分かれていった。それがクラスター爆弾だと、私は思った。クラスター爆弾が心に強くあったからだが、これらの光はそのまま消えていった。驚くほど明るいがすぐに消えるマグネシウムの炎だった。上から街を見るためのものである。

ヤセルは私たち全員に自己紹介を求めた。私は、弁護士になる準備をしていると述べた。別の一人が、私に、国際法について知っているかどうか尋ねてきた。戦争犯罪についての法律、何が戦争犯罪を構成するのか、知りたがっていた。私は彼らに、ジュネーブ条約の一部を知っていると述べ、今度来るときには情報を持ってきて、アラビア語で説明できる人も連れてくると伝えた。

私は菜穂子[高遠氏]のことを話題に出した。目の前にいる戦士たちのグループは日本人捕虜を取っているグループとは無関係だが、人々が、この夕方私たちがしたことに感謝している間に、菜穂子がストリート・チルドレンに対してしていたことを説明した。子どもたちが、どれだけ彼女のことを愛していたかも。彼らは何も約束はできないが、菜穂子がどこにいるか調べて、彼女と他の人質を解放するよう説得を試みると言った。事態がそれで変わるとは思わない。この人たちは、ファルージャでの戦闘に忙しいのだから。他のグループとも無関係なのだから。けれども、試してみて困ることはない。

夜通し、頭上を飛行機が飛んでいたので、私はまどろみの中で長距離フライトの中にいるようだった。無人偵察機の音にジェット機の恐るべき音、そしてヘリコプターの爆音が、爆発音でときおり中断されるという状態だった。

朝、私は、小さな子、アブドゥルやアブーディのために、風船で犬とキリンと象を作った。航空機と爆発の音にも苦しんでいないようだった。私はシャボン玉を飛ばし、彼はそれを目で追いかけた。ようやく、ようやく、私は少し微笑んだ。13歳の双子も笑った。一人は救急車の運転手で、二人ともカラシニコフ銃を扱えるとのことだった。

朝、医者たちはやつれて見えた。この一週間、誰一人、2時間以上寝ていない状態だった。一人は、この一週間でたった8時間しか寝ておらず、病院で必要とされていたので、弟と叔母の葬儀にも出られなかった。

「死人を助けることはできない」とジャシムは言った。「私は怪我人の心配をしなくてはならないんだ」。

デーブとラナと私は、今度はピックアップで再び出発した。海兵隊地帯との境界近くに、病気の人がいて、避難させなくてはならない。海兵隊が建物の屋上で見張っていて、動くものすべてに向かって発砲するので、誰も家から出る勇気はなかった。サードが私たちに白旗を持ってきて、道をチェックして安全を確かめたから心配することはない、ムジャヒディーン側が発砲することはない、我々の側は平和だと伝えた。サードは13歳の子どもで、頭にクーフィーヤをかぶり、明るい茶色の目を見せて、自分の背丈ほどもあるAK47型銃を抱えていた。

私たちは米軍兵士に向かって再び叫び、赤三日月のマークのついた白旗を揚げた。二人が建物から降りてきた。ラナはつぶやいた:「アッラー・アクバル。誰も彼らを撃ちませんように!」。

私たちは飛び降りて、海兵隊員に、家から病人を連れ出さなくてはならないこと、海兵隊が屋根に乗っていた家からラナに家族を連れ出してもらいたいこと、13人の女性と子供がまだ中にいて、一つの部屋に、この 24時間食べ物も水もないまま閉じ込められていることを説明した。

「我々は、これらの家を全部片付けようとしていたところだ」と年上の方が言った。

「家を片付けるというのは何を意味するのか?」

「一軒一軒に入って武器を探す」。彼は時計をチェックしていた。何がいつ行われるのか、むろん私には告げなかったが、作戦を支援するために空爆が行われることになっていた。「助け出すなら、すぐやった方がよい」。

私たちは、まず、道を行った。白いディッシュダッシャーを来た男性がうつぶせに倒れており、背中に小さなしみがあった。彼のところに駆けつけた。またもや、蠅が先に来ていた。デーブが彼の肩のところに立った。私は膝のところに立ち、彼を転がして担架に乗せたとき、デーブの手が彼の胸の空洞に触れた。背中を小さく突き抜けた弾丸は、心臓を破裂させ胸から飛び出させていた。

彼の手には武器などなかった。私たちがそこに行って、ようやく、息子たちが出てきて、泣き叫んだ。彼は武器を持っていなかった、と息子たちは叫んだ。彼は非武装だった。ただ、門のところに出たとき、海兵隊が彼を撃った、と。それから、誰一人外に出る勇気はなかった。誰も、彼の遺体を取り戻すことはできなかった。怯えてしまい、遺体をすぐに手厚く扱う伝統に反せざるを得ない状態だった。私たちが来ることは知らなかったはずなので、誰かが外に出て、あらかじめ武器だけ取り去ったとは考えにくい。殺されたこの男性は武器を持っておらず、55歳で、背中から撃たれていた。

彼の顔を布で覆い、ピックアップまで運んだ。彼の体を覆うためのものは何もなかった。その後、病気の女性を家から助け出した。彼女のそばにいた小さな女の子たちは、布の袋を抱きしめ、「バーバ、バーバ」と小声でつぶやいていた。ダディー。私たちは震えている彼女らの前を、両手を上に上げて歩き、角を曲がって、それから慌ててピックアップに彼女らを導いた。後ろにいるこわばった男性を見せないように、視線を遮りながら。

私たちが、銃火の中を安全に人々をエスコートするのではないかと期待して、人々が家からあふれ出てきた。子どもも、女性も、男性も、全員行くことができるのか、それとも女性と子どもだけなのか、心配そうに私たちに尋ねた。私たちは、海兵隊に訊いた。若い海兵隊員が、戦闘年齢の男性は立ち去ることを禁ずると述べた。戦闘年齢? 一体いくつのことか知りたかった。海兵隊員は、少し考えたあと、45歳より下は全員、と言った。下限はなかった。

ここにいる男性が全員、破壊されつつある街に閉じ込められる事態は、ぞっとするものだった。彼らの全員が戦士であるわけではなく、武装しているわけでもない。こんな事態が、世界の目から隠されて、メディアの目から隠されて進められている。ファルージャのメディアのほとんどは海兵隊に「軍属」しているか、ファルージャの郊外で追い返されているからである[そして、単に意図的に伝えないことを選んでいるから]。私たちがメッセージを伝える前に、爆発が二度あり、道にいた人々は再び家に駆け込んだ。

ラナは、海兵隊員と一緒に、海兵隊が占拠している家から家族を撤退させようとしていた。ピックアップはまだ戻ってきていなかった。家族は壁の後ろに隠れていた。私たちは、ただ待っていた。ほかにできることはなかった。無人の地で、ただ待っていた。少なくとも海兵隊は、双眼鏡で私たちを観察していた。恐らくは地元の戦士たちも。

私はポケットに、手品用のハンカチを持っていたので、バカみたいに座ってどこにも行けず、まわり銃で発砲と爆発が起きている中、ハンカチを出したり隠したりしていた。いつでも、まったく脅威ではないように、そして心配していないように見えることが大切だ、と私は考えた。誰も気にして撃とうなどと考えないように。けれども、あまり長く待つわけにもいかなかった。ラナは随分長いこといなかった。ラナのところに行って急かさなくてはならなかった。グループの中に若者が一人いた。ラナは海兵隊に、彼も一緒に立ち去ることができるよう交渉していた。

一人の男性は、人々の一部──あまり歩けない年寄り二人と一番小さな子ども──を運ぶために自分の警察用車を使いたがった。その車にはドアがなかった。それが本当に警察の車なのか、収奪されてそこに放置されたものか、誰も知らなかった。それでより沢山の人をより早く運べるかどうかは問題ではなかった。人々は家からゆっくりと出てきて壁のそばに集まり、両手をあげて、私たちの後ろについて、赤ん坊とバッグとお互いをしっかりつかみながら、道を歩いた。

ピックアップが戻ってきたので、できるだけ多くの人を乗せていたときに、どこからか救急車がやってきた。一人の若者が家の残骸のドアのところから手を振っていた。上半身裸で、腕には血で膨れた包帯を巻いていた。恐らくは戦士であろうが、怪我をして非武装のとき、戦士かどうかは関係ない。死者を運ぶことは最重要ではなかった。医者が言ったように、死者は助けを必要としない。運ぶのが簡単だったら、運ぶだろう。海兵隊と話が付いており、救急車が来ていたので、私たちは死体を運び込むためにもう一度急いで道を戻った。イスラムでは、遺体をすぐに埋葬することが重要である。

救急車が私たちの後を付いてきた。海兵隊兵士たちが救急車を止まらせるよう、銃口を向け、私たちに英語で叫んだ。救急車は速い速度で動いていた。救急車を止めようとして皆が叫んでいたが、運転手が私たちの声を聞くのに永遠の時間を要したような気がした。救急車は停止した。兵士たちが発砲する前に。私たちは遺体を担架に乗せ走って、後部に押し込んだ。ラナが前の座席の怪我人の横に滑り込み、デーブと私は後部の遺体の横に乗った。デーブは、子供の頃アレルギーがあって、あまり鼻が利かない、と言った。今になって、私は子供の頃アレルギーだったらと思いながら、顔を窓の外に出していた。


バスが出発しようとしていた。バグダッドに連れていく怪我人を乗せて。やけどした男性、顎と肩を狙撃兵に撃たれた女性の一人、その他数人。ラナは、手助けをするために自分は残ると言った。デーブと私も躊躇しなかった:私たちも残る。「そうしなければ、誰が残るだろう?」というのが、そのときのモット−だった。最後の襲撃の後、どれだけの人々が、どれだけの女性と子供が、家の中に残されただろう? 行く場所がないから、ドアの外に出るのが怖いから、留まることを選んだから……。私はこのことを強く考えていた。

最初、私たちの意見は一致していたが、アッザムが、私たちに立ち去るべきだと言った。彼も、全ての武装グループとコンタクトをとっているわけではない。コンタクトがあるのは一部とだけである。各グループそれぞれについて、話をつけるために別々の問題がある。私たちは、怪我人をできるだけ早くバグダッドに連れて行かなくてはならなかった。私たちが誘拐されたり殺されたりすると、問題はもっと大きくなるので、バスに乗って今はファルージャを去り、できるだけ早くアッザムと一緒に戻ってきた方が良い。

医者たちが、私たちに別の人々をまた避難させに行ってくれとお願いしてきたときにバスに乗るのは辛いことだった。資格を持った医師が救急車で街を回ることができない一方、私は、狙撃兵の姉妹や友人に見えるというだけで街を回ることができるという事実は、忌々しいものだった。けれども、それが今日の状況で、昨日もそういう状況で、私はファルージャを立ち去るにあたり裏切り者のように感じていたけれど、チャンスを使えるかどうかもわからなかった。

ヤスミンは怯えていた。彼はモハメドにずっと話し続け、モハメドを運転席から引っぱり出そうとしていた。銃弾の傷を受けた女性は後部座席に、やけどをした男性はその前に座り、空箱のダンボール紙を団扇にして風をあててもらっていた。熱かった。彼にとっては耐え難かっただろう。

サードがバスの所に来て、旅の無事を祈った。彼はデーブに握手してから私と握手した。私は両手で彼の手を握り、「ディル・バラク」、無事で、と告げた。AK47をもう一方の手に持った13歳にもならないムジャヒディーンにこれ以上馬鹿げた言葉はなかったかも知れない。目と目があって、しばらく見つめ合った。彼の目は、炎と恐怖で一杯だった。

彼を連れていくことは出来ないのだろうか? 彼が子供でいられるようなどこかに連れていくことは、できないのだろうか? 風船のキリンをあげて、色鉛筆をプレゼントし、歯磨きを忘れないように、ということは? この小さな少年の手にライフルを取らしめた人物を捜し出せないだろうか? 子どもにとってそれがどんなことか誰かに伝えられないだろうか? まわり中、重武装した男だらけで、しかもその多くが味方ではないようなこの場所に、彼を置いて行かなくてはならないのだろうか? もちろん、そうなのだ。私は彼を置いて行かなくてはならない。世界中の子ども兵士と同じように。

帰路は緊張したものだった。バスは砂の窪地にはまりかけ、人々はあらゆるものを使ってファルージャから逃げ出していた。トラクターのトレーラの上にさえ、人がぎっしりで、車は列をなし、ピックアップとバスが、人々を、バグダッドという曖昧な避難場所へと連れて言っていた。車に乗って列をなした男たちが、家族を安全な場所に連れ出したあと、ファルージャに戻るために並んでいた。戦うか、あるいはさらに多くの人々を避難させるために。運転手は、アッザムを無視して別の道を選んだ。そのため、私たちは先導車の後ではなくなり、私たちが知っているのとは別の武装グループが制圧する道を通ることとなった。

一群の男たちが銃を振ってバスに止まれと命じた。どうやら、彼らは、米軍兵士が、戦車やヘリにいるのではなく、バスに乗っていると考えていたらしい。別の男たちが車から降りて、「サハファ・アムレーキ?」アメリカ人ジャーナリスト?と叫んだ。バスに乗っていた人たちが、窓から「アナ・ミン・ファルージャ」私はファルージャから来た、と叫び返した。銃を持った男たちはバスに乗り込み、それが本当だということを確認した。病人と怪我人、老人たち……イラク人。彼らは安心して、手を振って我々を通した。

アル・グライブで一端停止し、座席を変えた。外国人を前に、イラク人を見えにくいようにし、私たちは西洋人に見えるように頭のスカーフをとった。米軍兵士たちは西洋人を見て満足する。兵士たちは西洋人と一緒にいるイラク人についてはあまり気にしなかった。兵士たちは男とバスのチェックをしたが、女性兵士がいなかったので女性はチェックされなかった。モハメドは、大丈夫だろうかと私にずっと訊いていた。

「アル−メラーチ・ウィヤナ」と私は彼に言った。天使は私たちの中にいる。彼は笑った。

それからバグダッドについて、彼らを病院に連れていった。うめき声をあげて泣いていたやけどの男をスタッフが降ろしたとき、ヌハは涙を流していた。彼女は私に手を回し、友達になってと言った。私がいると、彼女は孤独が和らぎ、ひとりぼっちではなく感じる、と。


衛星放送ニュースでは、停戦が継続していると伝えており、ジョージ・ブッシュは、兵士たちはイースターの日曜休暇中で、「私はイラクで我々がやっていることが正しいと知っている」とのたまっていた。自宅の前で非武装の人間を後ろから射殺する、というのが正しいというわけだ。

白旗を手にした老母たちを射殺することが正しい? 家から逃げ出そうとしている女性や子供を射殺することが正しい? 救急車をねらい撃ちすることが、正しい?

ジョージよ。私も今となってはわかる。あなたが人々にかくも残虐な行為を加えて、失うものが何もなくなるまでにすることが、どのようなものか、私は知っている。病院が破壊され狙撃兵が狙っており街が封鎖され援助が届かない中で、麻酔なしで手術することが、どのようなものか、私は知っている。それがどのように聞こえるかも、知っている。救急車に乗っているにもかかわらず、追跡弾が頭をかすめるのがどのようなことかも、私は知っている。胸の中が無くなってしまった男がどのようなものか、どんな臭いがするか、そして、妻と子供たちが家からその男の所に飛び出してくるシーンがどんなものか、私は知っている。

これは犯罪である。そして、私たち皆にとっての恥辱である。

/////////////////////////////////////////////////////////////////////////

ジョー・ワイルディングさんは、イラクの子どもたちにサーカスを見せようという活動をしている外国人のグループ(アーティストと活動家の集まり)(?)である、「Circus2Iraq」というグループのメンバーです。大急ぎで訳したので、細かいタイポや誤訳があるかと思いますが、ご容赦下さい。

この記事は、こちらにも掲載されています。

ここで描かれている出来事は、「停戦」下でのものです。米軍は「停戦」と称して空爆や大規模攻撃こそ止めましたが、狙撃兵による狙撃と攻撃は続けています。そして、今、空爆を再開するとの情報が入ってきました。

ファルージャで米軍が行なっていることは、被占領下パレスチナでイスラエル軍が日々行なっていることに似ています(両軍は合同訓練も行なっています)。そして、インドネシア軍がアチェで、ロシア軍がチェチェンで行なっていることにも。虐殺。これらの虐殺は、いずれも「テロに屈するな」という美しく勇ましい掛け声のもとで行われているものです。

バグダッド近郊で4人の米国人の遺体が見つかったというニュースがでかでかと新聞に出ています。ファルージャでは600人もの人々が殺されています。子供の犠牲者は100人以上。これらの報道が大見出しになることは、あるのでしょうか。

ジョージ・W・ブッシュ米国大統領のホワイトハウスのFAX番号は、
+1-202-456-2461
です。

米国の国連代表部のFAXは:
+1-212-415-4443

国務長官には、
http://contact-us.state.gov/ask_form_cat/ask_form_secretary.html
からメッセージを送ることができます。

日本の米国大使館・領事館は:
http://japan.usembassy.gov/tj-main.html
からわかります。ちなみに大使館(東京)の電話は03-3224-5000です。

こんなときですので "Stop Carnage in Fallujah"といった単純なものでも。

益岡賢 2004年4月15日 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

アメリカの従軍報道規制

 大量破壊兵器だけでなく通常兵器も廃棄させられ、経済制裁によって医薬品や生活物資も制限されているイラクに対し、米英軍による凄まじい攻撃が行なわれています。そして、陣取りゲームの解説のような報道番組を見て、「戦況」を見守る私たちがいます。
 現代の戦争は、最新鋭の兵器の威力もさることながら、情報戦・心理戦という面も大きく、その意味でメディアは道具(武器)でもあり、それを通じて私たちも「参戦」しているとも言えると思います。

 以下は、友人から転送の転送で送られた情報ですが、「戦争報道」を見る上でご参考になればと思います。

****************

 アメリカはベトナム戦争からあることを反省した。それは自由度の高かったメディアの取材によって戦争がお茶の間のTVに報道されたことが全世界的に反戦反米運動を生み、撤退せざるを得なくなったからだ。そこで湾岸戦争では取材規制を厳しくした。情報統制によりアメリカに都合のいいような報道がなされた。今始まった対イラク戦争では湾岸ほど規制は厳しくないようだ。

 以下は報道関係者より送られてきたものの転送です。TV新聞等の米軍に動向するメディアの報道をみるうえでの参考になると思います。

================================

 何が報道され、何が報道されないのか? 世界的な反戦運動のうねりの中でメディアは問われています。以下は、米軍のエンベッド(埋め込み)取材での「従軍取材規則」です。
ご参考までに。

......................................................................................................................................................

■米軍が従軍取材規制 ルールの詳報

 米軍が今回、初めて試みたエンベッド取材を申請する際、米軍は取材記者に「取材規則」への同意と署名を求めた。毎日新聞が参加する空母キティホークの従軍取材で提示された取材ルールの内容の詳報は次の通り。

<総則>

 米軍と従軍報道機関の安全のため、報道機関は定められた総則を順守する。総則は従軍する報道機関が事前に同意、署名する。総則の違反は従軍の終了につながる。

◆全ての乗組員へのインタビューはオン・ザ・レコード(実名報道、公式取材)とする。航空機パイロット、搭乗員へのインタビューは任務完了後に許可される。
◆活字・放送媒体は全ての記事、細則に従って取材・報道する。細則は窓口である中東軍司令部を通じて適切に定められる。
◆米軍に従軍する報道機関は、火器の持込を許されない。
◆光を発する以下の機材の使用については制限が加えられる。カメラのフラッシュ、テレビライト。現場の司令官が事前に特別に許可を与えた場合を除いては、夜間の作戦行動中にカメラのフラッシュを使用することはできない。
◆作戦行動の安全のため、荷物の持ち込みに制限が加えられることがある。制限は作戦行動上の安全の問題がある時のみ適用され、問題が解決された時は、できる限り速やかに制限が解除される。

<提供可能な情報>
◆友軍の勢力の概要。
◆友軍の犠牲者の概況。従軍報道機関は、制限の範囲内で、目撃した部隊の犠牲者数を確認できる。
◆拘束・捕捉された敵兵の人数の確認。
◆戦闘、作戦行動に参加した友軍の規模は概数で公開される。特定の部隊の規模に関しては、安全を保証しなければならない理由がなくなった時点で公開する。
◆攻撃対象となった軍事上の標的、目標、及びその情報の事前通報。
◆航空作戦行動を取る際、その拠点に関する一般的な説明。
◆通常の軍事任務と作戦行動に関する日時や場所の事前通報は、任務の結果報告と同様に一般的な説明の形で提供される。
◆使用された兵器の種類に関する一般的説明。
◆中東軍司令部の作戦行動空域内で行なわれた空中戦、偵察飛行。
◆作戦に関与した部隊の種類(防空部隊、歩兵部隊、装甲部隊などの区別)
◆作戦行動に参加した兵力の種別(艦船、航空機、地上部隊など)は
指揮官の許可の後に公表される。
◆作戦行動のコードネーム。
◆合衆国軍部隊の部隊名と本拠地。
◆作戦に従事する者の氏名と出身地は本人の同意を得たうえで公表する。

<提供不可能な情報>
◆中東軍の部隊に関する明確な数字
◆航空機の明確な数字
◆その他の装備や重要補給品に関する明確な数字(火砲、戦車、揚陸艇、レーダー、トラックなど)
◆空母戦闘群の艦船に関する明確な数字
◆中東軍地域にある部隊の特定の位置および基地名。国防総省や中東軍司令官の発表の際は、この限りではない
◆将来の作戦に関する情報
◆基地や野営地の防護策に関する情報
◆基地や野営地の安全性に関する写真提供
◆戦闘規則
◆情報収集活動に関する情報
◆作戦の効果を最大限引き出すため、攻撃開始の報道には細心の注意を払うこと。第1陣の帰還、あるいは指揮官の許可が出るまで、滑走路や地上からの生中継は禁ずる。
◆作戦中の同盟軍の動き、および配置に関する明確な情報は作戦の安全、人命を危うくする。交戦中の情報は許可が出るまで公表されない。
◆作戦や攻撃の内容に関する情報では「低い」「早い」などの(抽象的)言葉が使われる可能性がある。
◆イラクの電子戦の有効性に関する情報
◆作戦中止や延期を特定する情報
◆捜索救助活動の立案、あるいは実行中における、不明機、撃墜機、不明船舶に関する情報
◆イラク側の偽装、情報収集、安全策などの有効性に関する情報
◆戦争捕虜の顔や名札など人物の特定につながる映像や写真の公表
◆捕虜収容作戦の映像、写真撮影や捕虜へのインタビュー

<負傷や病気をした兵員について>
◆報道機関の代表者は情報提供を受けた後も、負傷者の名前や負傷者が特定できるような写真を使う際は注意する。
◆医療機関を訪問する報道機関は、適用される法規、規則、作戦命令や、担当医師の指示に従う。もし(取材が)承認されれば、兵員か医療機関の職員が、常に報道機関に付き添わなければならない。
◆報道機関による医療機関訪問は許可されるが、医療機関の長と担当医師の承認を受けなければならず、治療を妨害してはならない。
◆取材記者は、医療機関の長が指定した場所を訪問できるが、手術中の手術室の訪問は許されない。
◆患者へのインタビューや写真撮影は、担当医、あるいは医療機関の長と患者の同意がある場合だけ許可される。
◆患者は、自分の写真やコメントが報道目的で収集され、ニュースで報道されうることを理解している必要がある。

<機密、極秘情報の扱い>
◆機密情報や、機密扱いでなくても、敵にとって作戦上の価値があるか、あるいは他の機密扱いでない情報と一緒になれば、機密情報が明らかになってしまう可能性のある情報へのアクセスを認められた報道機関は、部隊の指揮官やその指定する代表者から事前に、情報の使用や公開に関する制限について知らされる。疑問のある場合、報道機関は部隊の指揮官やその指定した者と相談する。
◆どんな情報が機密扱いなのか、情報を報道する時に、どのような制限を受けるかなど、重要な保障措置については事前に報道機関に説明される。もし報道機関が不注意に機密情報にさらされた場合、その後に、報道する際にどの情報の公開が回避されるか、説明される。
◆記者が安全保障上の検閲に同意することは、全く自主的に行われる。もし記者が同意しなければ、こうした情報へのアクセスは認められない。
◆記者が安全保障上の検閲に同意したとしても、それは、極秘や機密扱いの情報が報道内容に全く含まれないことを確実にするためだけに行われる。
◆検閲は、作戦や報道を妨げないようできるだけ迅速に行われる。もし、検閲の結果、異論が出れば、指揮官か、報道担当者を通して申し出る。
◆報道内容は、捜索、押収の対象にはならない。
アメリカの従軍報道規制

 大量破壊兵器だけでなく通常兵器も廃棄させられ、経済制裁によって医薬品や生活物資も制限されているイラクに対し、米英軍による凄まじい攻撃が行なわれています。そして、陣取りゲームの解説のような報道番組を見て、「戦況」を見守る私たちがいます。
 現代の戦争は、最新鋭の兵器の威力もさることながら、情報戦・心理戦という面も大きく、その意味でメディアは道具(武器)でもあり、それを通じて私たちも「参戦」しているとも言えると思います。

 以下は、友人から転送の転送で送られた情報ですが、「戦争報道」を見る上でご参考になればと思います。

****************

アメリカはベトナム戦争からあることを反省した。
それは自由度の高かったメディアの取材によって戦争がお茶の間のTVに報道されたことが全世界的に反戦反米運動を生み、撤退せざるを得なくなったからだ。
そこで湾岸戦争では取材規制を厳しくした。情報統制によりアメリカに都合のいいような報道がなされた。
今始まった対イラク戦争では湾岸ほど規制は厳しくないようだ。

以下は報道関係者より送られてきたものの転送です。
TV新聞等の米軍に動向するメディアの報道をみるうえでの参考になると思います。

================================

何が報道され、何が報道されないのか?
世界的な反戦運動のうねりの中でメディアは問われています。
以下は、米軍のエンベッド(埋め込み)取材での「従軍取材規則」です。
ご参考までに。
...........................................................................
...........................................................................
■米軍が従軍取材規制 ルールの詳報

 米軍が今回、初めて試みたエンベッド取材を申請する際、米軍は取材記者に「取材規則」への同意と署名を求めた。毎日新聞が参加する空母キティホークの従軍取材で提示された取材ルールの内容の詳報は次の通り。

<総則>

 米軍と従軍報道機関の安全のため、報道機関は定められた総則を順守する。総則は従軍する報道機関が事前に同意、署名する。総則の違反は従軍の終了につながる。

◆全ての乗組員へのインタビューはオン・ザ・レコード(実名報道、公式取材)とする。航空機パイロット、搭乗員へのインタビューは任務完了後に許可される。
◆活字・放送媒体は全ての記事、細則に従って取材・報道する。細則は窓口である中東軍司令部を通じて適切に定められる。
◆米軍に従軍する報道機関は、火器の持込を許されない。
◆光を発する以下の機材の使用については制限が加えられる。カメラのフラッシュ、テレビライト。現場の司令官が事前に特別に許可を与えた場合を除いては、夜間の作戦行動中にカメラのフラッシュを使用することはできない。
◆作戦行動の安全のため、荷物の持ち込みに制限が加えられることがある。制限は作戦行動上の安全の問題がある時のみ適用され、問題が解決された時は、できる限り速やかに制限が解除される。

<提供可能な情報>
◆友軍の勢力の概要。
◆友軍の犠牲者の概況。従軍報道機関は、制限の範囲内で、目撃した部隊の犠牲者数を確認できる。
◆拘束・捕捉された敵兵の人数の確認。
◆戦闘、作戦行動に参加した友軍の規模は概数で公開される。特定の部隊の規模に関しては、安全を保証しなければならない理由がなくなった時点で公開する。
◆攻撃対象となった軍事上の標的、目標、及びその情報の事前通報。
◆航空作戦行動を取る際、その拠点に関する一般的な説明。
◆通常の軍事任務と作戦行動に関する日時や場所の事前通報は、任務の結果報告と同様に一般的な説明の形で提供される。
◆使用された兵器の種類に関する一般的説明。
◆中東軍司令部の作戦行動空域内で行なわれた空中戦、偵察飛行。
◆作戦に関与した部隊の種類(防空部隊、歩兵部隊、装甲部隊などの区別)
◆作戦行動に参加した兵力の種別(艦船、航空機、地上部隊など)は
指揮官の許可の後に公表される。
◆作戦行動のコードネーム。
◆合衆国軍部隊の部隊名と本拠地。
◆作戦に従事する者の氏名と出身地は本人の同意を得たうえで公表する。

<提供不可能な情報>
◆中東軍の部隊に関する明確な数字
◆航空機の明確な数字
◆その他の装備や重要補給品に関する明確な数字(火砲、戦車、揚陸艇、レーダー、トラックなど)
◆空母戦闘群の艦船に関する明確な数字
◆中東軍地域にある部隊の特定の位置および基地名。国防総省や中東軍司令官の発表の際は、この限りではない
◆将来の作戦に関する情報
◆基地や野営地の防護策に関する情報
◆基地や野営地の安全性に関する写真提供
◆戦闘規則
◆情報収集活動に関する情報
◆作戦の効果を最大限引き出すため、攻撃開始の報道には細心の注意を払うこと。第1陣の帰還、あるいは指揮官の許可が出るまで、滑走路や地上からの生中継は禁ずる。
◆作戦中の同盟軍の動き、および配置に関する明確な情報は作戦の安全、人命を危うくする。交戦中の情報は許可が出るまで公表されない。
◆作戦や攻撃の内容に関する情報では「低い」「早い」などの(抽象的)言葉が使われる可能性がある。
◆イラクの電子戦の有効性に関する情報
◆作戦中止や延期を特定する情報
◆捜索救助活動の立案、あるいは実行中における、不明機、撃墜機、不明船舶に関する情報
◆イラク側の偽装、情報収集、安全策などの有効性に関する情報
◆戦争捕虜の顔や名札など人物の特定につながる映像や写真の公表
◆捕虜収容作戦の映像、写真撮影や捕虜へのインタビュー

<負傷や病気をした兵員について>
◆報道機関の代表者は情報提供を受けた後も、負傷者の名前や負傷者が特定できるような写真を使う際は注意する。
◆医療機関を訪問する報道機関は、適用される法規、規則、作戦命令や、担当医師の指示に従う。もし(取材が)承認されれば、兵員か医療機関の職員が、常に報道機関に付き添わなければならない。
◆報道機関による医療機関訪問は許可されるが、医療機関の長と担当医師の承認を受けなければならず、治療を妨害してはならない。
◆取材記者は、医療機関の長が指定した場所を訪問できるが、手術中の手術室の訪問は許されない。
◆患者へのインタビューや写真撮影は、担当医、あるいは医療機関の長と患者の同意がある場合だけ許可される。
◆患者は、自分の写真やコメントが報道目的で収集され、ニュースで報道されうることを理解している必要がある。

<機密、極秘情報の扱い>
◆機密情報や、機密扱いでなくても、敵にとって作戦上の価値があるか、あるいは他の機密扱いでない情報と一緒になれば、機密情報が明らかになってしまう可能性のある情報へのアクセスを認められた報道機関は、部隊の指揮官やその指定する代表者から事前に、情報の使用や公開に関する制限について知らされる。疑問のある場合、報道機関は部隊の指揮官やその指定した者と相談する。
◆どんな情報が機密扱いなのか、情報を報道する時に、どのような制限を受けるかなど、重要な保障措置については事前に報道機関に説明される。もし報道機関が不注意に機密情報にさらされた場合、その後に、報道する際にどの情報の公開が回避されるか、説明される。
◆記者が安全保障上の検閲に同意することは、全く自主的に行われる。もし記者が同意しなければ、こうした情報へのアクセスは認められない。
◆記者が安全保障上の検閲に同意したとしても、それは、極秘や機密扱いの情報が報道内容に全く含まれないことを確実にするためだけに行われる。
◆検閲は、作戦や報道を妨げないようできるだけ迅速に行われる。もし、検閲の結果、異論が出れば、指揮官か、報道担当者を通して申し出る。
◆報道内容は、捜索、押収の対象にはならない。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

誰が壊した費用を払うべきか

  田中 優

 アメリカは旧ユーゴ爆撃をした後、復興会議を開いたがその資金を提供しなかった。アフガンでも自ら爆撃しておきながら、その復興費用は日本などが分担すべきものだと主張して負担しなかった。しかもアフガンのカルザイ議長は復興会議が始まっているのだから爆撃を中止するよう要請したが、それすら認めなかった。片手で爆撃を続けながら、その一方で建物を復興して何の意味があるだろう。
 日本政府が援助してパレスチナに建てた建物も、昨年のイスラエルの一方的な攻撃の際に爆撃されて粉々にされた。この資金もアメリカの援助によるものだ。しかし日本政府はそれに抗議すらしていない。そして今回のイラクでも、日本は復興費用の拠出を求められている。しかも復興に関わる企業はほぼアメリカ企業が独占し、国連の関わりすら拒否している。その一方、副大統領を出したハリバートン社はさっさと受注を決めている。
 戦争はアメリカにとって、巨大な公共事業として機能している。国民の5%以上が常に勤務し、毎年日本の実質予算と同額が支出される。日本の公共事業との違いは、人々の生命を直接破壊しながら、資金の出所が他国であることだ。しかもドルは国際的な決済通貨であるために、ただ印刷しただけで価値あるものとして扱われる。これを放置するなら、戦争は失業や不況の時に求められる危険な手段となるだろう。
 これを止めていくためには、資金提供しないことが重要だ。アメリカが破壊した建物を再建するのに日本がカネを払い、しかもアメリカに受注する権利があるとするなら、なるべく多くの破壊を行った方がトクになってしまう。今、国際的な決済にユーロが多用されつつあるのは、アメリカの不合理性に国際経済が見切り始めたせいではないか。日本がいつまでもアメリカに従うのは、もはや得策とは言えないだろう。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

バグダードの市場爆撃は米製ミサイル

 米英側が責任回避しようとする一般市民の殺傷は、現場記者と英紙読者の連携でアメリカの巡航ミサイルと判明した。その経緯を概説し、日本のメディアにも検証と適切な報道を求める。米英政府の隠蔽を放置することは違法な戦争に加担することにほかならない。

 なお、イギリス人ロバート・フィスクは屈指のベテラン中東ジャーナリストであり、長年一貫した独立取材を続けてきたことで知られ、その良識と中立な報道姿勢は信頼性が高い。またこの一件は、ジャーナリストが現場に立つことの重要性をあらためて浮き彫りにしている。

> Translators United for Peace (TUP)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「市場爆撃の犯人」

 3月28日夜、バクダッド郊外シャーラの市場を爆撃し、60人以上の死者を出したミサイルの正体については、ジャアブで起こった同様な爆発事件を含め、ミサイルはアメリカ製とする報道側とそれを必死に否定する英米側で、主張が激しく対立しています。以下のレポートは、下記のガーディアン・オンライン版およびインディペンデント・オンライン版に基づき、最近(4月4日)までの事件の経緯を辿ったものです:
http://www.guardian.co.uk/Iraq/dailybriefing/story/0,12965,927233,00.html
http://www.guardian.co.uk/international/story/0,3604,925251,00.html
http://argument.independent.co.uk/commentators/story.jsp?story=392161
http://news.independent.co.uk/world/middle_east/story.jsp?story=393066
http://argument.independent.co.uk/commentators/story.jsp?story=393723
http://news.independent.co.uk/uk/politics/story.jsp?story=393745

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 3月30日(日曜日)付けのインディペンデント・オンライン版で、ロバート・フィスク記者は、爆撃現場で発見した金属片に、アラブのものではない、西側のコード(“30003-704ASB 7492およびMFR 96214 09”ただし、Bの部分はHとも読める)が付いていると発表した。この記事は、高精度爆撃で市民殺傷を最小限に抑えると約束している米英側には大打撃であり、両国政府は、この記事の否定に躍起となった。英国政府は、水曜日のジャアブの爆発(14名以上の市民が死亡)と金曜日のシャーラの爆発をイラク側のミスというラインでまとめる諜報機関の情報を流し、米国政府は、まだ調査中であるとしながらも、発見された破片は、イラク側が爆撃現場にわざと放置した可能性がある主張した。

 しかし、この米英側の主張は、4月1日付けガーディアン・アンリミテッドの記事によって、大きく覆された。爆撃に使用されたミサイルは、アメリカが主張するようなイラクの対空ミサイルではなく、米国の巡航ミサイルであると断定する記事が発表されたのである。ガーディアンが提示した証拠とは、発見された金属片に印された"MFR 96214 09"というコードである。これは、ケージ・コードと呼ばれる製造業者の識別番号で、この番号を使用すると、インターネット上で、当該製品の製造工場を検索できる。この事実を同紙に通報した読者は、連続番号96214を入力することにより、金属片がテキサス州ミッキニーの航空軍需企業大手レイセオン社所属工場の製品であることを突き止めたという。

 インディペンデント紙の調査によれば、このレイセオンから米海軍に売られたと思われるミサイルは、ハームまたはペイブウェイであるが、米海軍は、金曜日に海軍のプローラ機がバクダッド上空を飛行中であったこと、イラクの対空ミサイルから戦闘機を保護するため、少なくとも一発以上のハーム・ミサイルが発射されたことを確認している。搭乗員が最初のミサイルの着弾先を確認していないというロブ・フラック中佐の証言もある。
 防衛関係の専門家は、シャーラの被害状況が、ペーブウェイやハームによって引き起こされる状況と一致する事を指摘している。また、これらのミサイルは、その高性能に関するうたい文句にもかかわらず、様々な問題を持つことで知られており、コソボの誤爆事件で使われたミサイルにも、今回の金属片コードとよく似たコードが付いていた。
 すっかり決着がついたように見える事件であるが、4日になると、英政府は激しい巻き返しに転じ、フーン国防長官が、フィスク記者のレポートには「ひとかけらの証拠もない」、すべてはフセイン政権側によるでっち上げである、両方の市場爆発直後にフセイン政権側による「後片付け」があったと発言した。
 これに対し、インディペンデント紙のフィスク記者は、シャアブと同様、シャーラのような貧民街では、フセイン政権に対する反感が強く、政権の手先が暗躍できる余地はない、また、そのように貧しく教育程度の低い人達に、フーン氏が疑うような複雑な嘘をつかせることは不可能だと反論している。特に、ミサイルの破片については、シャーラのいたるところに撒き散らされた破片から、彼自身が5つの破片を回収しており、そのうち2つは、彼自身の手で、土砂の中から掘り出したと証言する。シャアブの爆発については、米英軍による空襲という事実自体を無視するフーン発言に疑問を投げ、少なくとも3人の目撃者がいることを挙げている。また、爆発の発生の仕方が非常に正確であることを指摘し、イラク政権のでっち上げとするフーン氏の見解を真っ向から否定した。

 同記者は、歴史の事実を曲げる嘘の横行を嘆き、フーン氏は、自分に都合のよい歴史を信じさせるため、無実の人達を中傷するフセインからたっぷり貴重な知識を学んだようだと結論している。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(解説・抄訳:丸田由紀子/TUP)

TUP速報
菅原 秀 Schu Sugawara
電話03-3970-5777 ファクス03-3970-5817
電子メール schu@io.ocn.ne.jp
TUP速報http://www.egroups.co.jp/group/TUP-Bulletin
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

聖誕教会がブッシュらの立入を禁止

■ブッシュ、ラムズフェルド、ブレア、ストローは聖誕教会立ち入り禁止
   原文は→ http://globalresearch.ca/articles/NAT304A.html

 イエス・キリスト生誕の地として知られるベツレヘムの聖誕教会は、イラクに対する攻撃を行なっているリーダーへの抗議として、ジョージ・ブッシュ米大統領、ドナルド・ラムズフェルド同国防長官、トニー・ブレア英首相及びジャック・ストロー同外相に対し、キリスト教徒にとって最も重要な聖地の一つである聖誕教会聖堂への立ち入りを禁止する決定を下しました。
 教会区のパナリティウス神父は、「彼らは戦争犯罪者であり子どもたちを殺した張本人だ。しかるに生誕教会として、彼らに対し神聖なる聖堂への立ち入りを永遠に禁止する」と語り、正教協会によって組織された大規模な抗議デモの折、聖誕教会前でこの決定を公表しました。

(抄訳・大河内秀人)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

イラク核施設 高レベル放射性物質の国連封印解除に波紋

2003年4月11日 ガーディアン/TUP速報

 かつてイラク原子力開発の中心地であったバクダッド南東のアルツワイタ(al-Tuwaitha)で、国連査察の枠組みのもと国際原子力機関(IAEA)が保管していた高レベル放射性物質貯蔵庫の封印が解かれた模様。施設は現在、米海兵隊の管理下にあるが、イラク当局が警護を放置してから海兵隊到着までどのくらい無防備だったのか、だれが貯蔵庫の封印を解いたのかは不明。

 同行取材の米紙記者は、「自分が開けた」という米軍士官の証言を伝えるいっぽう、海兵隊の工兵は無防備のあいだにイラク人略奪者が開けた可能性を示唆する。国連査察関係者は開戦直前まで貯蔵庫が封印されていたことを確認しており、現場での被曝と核物質拡散につながりかねないと強い懸念を表明。
 しかし同じ10日、米当局がIAEAに核物質の封印確保を報告したため、矛盾を重大視したエルバラダイ事務局長は、ただちに査察の再開を要求。他の関係者も、IAEAが90年代以来、入念に査察を続けてきた同施設から、米軍が到着後数日で「核兵器疑惑を見つけた」と伝えられることに不快感を露わにしている。同施設は1981年と91年の2度にわたり原子炉の空爆を受け、昨年11月からのUNMOVICでも14回の立ち入り査察が行なわれた場所。
 米国防省の専門家チームが10日に査察を開始したが、IAEAは真相解明と核物質拡散防止のため、みずから現地入りすることが必要だと主張している。

(抄訳:星川 淳/TUP速報46号に掲載)

http://www.guardian.co.uk/international/story/0,3604,934486,00.html
Break-in fear at nuclear store
UN seals broken at nuclear bomb plant: 'We are worried over what happens if
anyone has taken radioactive material'
Ian Traynor in Vienna and Julian Borger in Washington
Friday April 11 2003
The Guardian

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

この戦争は、これっぽっちの価値もなかった

ジュリアン・バーンズ

ガーディアン 4月11日/TUP速報

 米英軍側の戦死者は比較的少なかったし、たったの3週間で勝ってしまった。今ではイラクの人々が街路にくり出して、大喜びで踊っている。だから言わんこっちゃなかっただろう、平和ダイスキ族の諸君、君たちの負けだね。
 ところで、戦争イケイケ族の諸君、「勝てば官軍!」それみたことかと喜んでいるんだろう?でも、ほんとうに戦争に勝ったのかな?
 ほら先日、サダムが食べているって情報が入ったからって、米軍の戦闘機がそのレストランに「賢い爆弾」をバカスカぶち込んだだろう。でもあの爆弾、そんなに賢くはなかったようで、レストランには当たらないで近所の家々に着弾した。結局、家の中にいた一般市民ともども、こっぱみじんに爆破したそうだ。
 その後、米国防省の報道官、トリー・クラーク女史は何て発表したか知ってるかい?彼女はこぎみよく、「あんなのたいしたことではありません。私はあんなの気にしないで、夜もぐっすり良く眠れます」って言ったんだ。
 なんて残酷で軽薄な言葉なんだろう。もしイラク人の誰かさんのお母さんや兄弟や娘さんたちがあの誤爆で死んでいたら、「ああ、あんなのたいしたことじゃあないよ。サダムを殺そうとしたんだもん、それくらいの間違いは喜んで受け入れるよ」って言うと思うかい?
 あまりにも旧式の銃を手に、歯が立たないのは分かっていたのに立ち向かって、皆殺しにあったイラク兵がたくさんいた。米兵はそれを、「七面鳥撃ちゲーム」だと言って、ひんしゅくをかったよね。
 でも、殺された兵士たちの家族が感じる怒りや憎しみは、察するにあまりあるものだ。中にはアルカイダに入って米英人にリベンジを!なんて決心する人たちがいても不思議はない。

 この戦争が始まったころ、どう進むのがベストなのかなって、こう考えてみた。

(a)あっというまに米英軍が勝って、犠牲者が数人ですむ。
   でもこの場合、米タカ派たちは調子にのって、
   他のアラブの国々に攻め込む可能性も大。

(b)長い泥沼のような戦いが続いて、米英国民も耐えられなくて、
   先制攻撃なんて割に合わないとブッシュ政権が気づく。
   でもこの場合、未曾有の兵士や市民が死ぬ。

・・・それで、結果はというと、(a)でもない(b)でもない、その中間でこの戦争が終わったということ。これを「大勝利」と呼ぶ人もいるし、「恥ずべき虐殺」をしたと思う人もいる。
 バグダッドが陥落した今、ジャック・ストロー外相がお経のように繰り返し言っていた言葉を思い出すよ。「原爆・生物化学兵器」「原爆・生物化学兵器」・・・だからイラクに攻めこむんだってね。
 どこにあるんだろう、そんな物騒なもの?今となっては、「サダムは生物化学兵器をシリアに隠してる」って政府は言っている。それでシリアに攻め入って生物化学兵器が見つからなかったら、今度は「イランに搬送したらしいからイランもやっつけよう!」とでも言うのかなあ?
 ブレア首相は、「この戦争の善し悪しは歴史が裁くだろう」と言っていたけど、学校の教科書に載るころまでボクは生きてはいないかも?それなら、今ここで判断を下した方がいいよね。

(1)戦争が始まるずいぶん前、国会で「イラクについてどう思うか?」という質問を受けたブレア首相は、満足げに、「サダムは檻の中に閉じこめているから大丈夫だ」と答えた。その当時首相は、檻の中の獣を撃ち殺そうなんてちっとも思っていなかったんだ。
(2)戦争が始まる直前、ブレア首相は、「イラク侵攻を容認する第二の安保理決議が得られない限りには、イギリスは絶対に戦争に参加しない」と繰り返し約束していたのを覚えているかな?
(3)何百万人が平和デモにくり出したにもかかわらず、結局、ブレア首相は国民との約束を破ってブッシュに従順なプードル犬に成り下がってしまった。ブッシュには石油とか戦後復興の利権とかの下心があるって見え見えだったのにね。

 さあ、平和ダイスキ族の諸君、戦争が終わって平和がやってくるので、幸せだろう? えっ、そうでもないって?どんなに正当化されようと、この戦争はこれっぽっちの価値もない犯罪だって?
 でも、少なくとも、サダムの圧政が終わったことには、諸君も喜んでいるだろう。あんなに戦争に反対していたのに、その結果にプラスの部分があるなんて、ちょっと矛盾しているけどね。

 さあ、そこで戦争イケイケ族だった諸君、そんな君たちに質問がある。あのものすごい爆撃や血まみれの子供たちの映像がアルジャラーラを通してアラブ中に放映された後、イギリスやアメリカがテロから安全になったと、諸君は心の底から信じられるのかな?
 もしそう信じているのなら、ブレア首相が真顔でこう言ったのを思い出すといいよ。「いったんサダムを排除したなら、次は北朝鮮をなんとかしなくてはならない」
 独裁者に苦しんでいる人々を解放するために、平壌を攻撃しよう・・・さあ、戦争イケイケ族の諸君、また興奮してきただろう。

                (抄訳・パンタ笛吹)
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,934346,00.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
TUP速報
菅原 秀 Schu Sugawara
電話03-3970-5777 ファクス03-3970-5817
電子メール schu@io.ocn.ne.jp
TUP速報の申し込みは: http://www.egroups.co.jp/group/TUP-Bulletin
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

バグダッド略奪は米軍が引き起こした

オリー・ローゼンボーグ
4月11日、スウェーデン『ダゲン・エニター』紙
カリード・バヨミは、アメリカ軍指揮官が、「我々にはバグダッドの略奪を阻止
する手だてがなくて困っている」とテレビで不平をもらすのを見てびっくりした。

「私は、米軍部隊がイラク人たちに略奪に走るよう仕向けている現場に、たまた
ま居合わせたのです」

カリード・バヨミは「人間の盾」になるため、ヨーロッパからバグダッドに向か
い、現地に到着したその日に戦争が始まった。彼は戦争体験だけでも多くの証言
ができるが、最も興味深いのは、略奪勃発現場での目撃体験についてだろう。

「私は、チグリス川西岸ハイファ大通りのちょっと向こうの貧民街近くにある友
人に会いに行っていました。それは4月8日のことで、戦闘があまりにも激しく
なり、川向こうに戻れなくなりました。

午後になると戦闘が止んでまったく静かになり、そこへ4台のアメリカ軍戦車が
貧民街の境に移動しました。米兵はハイファ大通りの向こう側にある自治体行政
府ビルの門前に立っていたスーダン人警備員二人を撃ち殺し、行政府ビルの扉を
粉々に破壊しました。その後、戦車の中から貧民街に隠れている人々に向かって、
アラビア語で、近くまで来るように熱心に誘う声が聞こえてきたのです。

午前中いっぱいは、大通りを横切ろうとする者は誰でもみな撃ち殺されていたの
に、米軍の通訳は、今度は近くに寄るように誘うのです。銃撃戦も終わり、何と
も言いようのない静けさがしばらく続きましたが、家々に隠れている人々はその
誘いに、徐々に好奇心を持ち始めたのでしょう。

45分後には、最初のバグダッド市民が思いきって家から出てきました。すると、
戦車に乗っているアラビア語通訳は、近くに寄ってきた市民たちに、行政府ビル
の中に入っていって、何でも好きな物を手当たり次第に持ち出してもいいぞと奨
励したのです。

この指図はあっというまに広まり、ビルの中のすべての物が奪い去られました。
警備員が米兵に撃ち殺されたとき、私はその300メートル側に立っていたので、
状況をはっきりと目撃できました。その後、米戦車は近くにある法務省ビルの入
口を破壊し、そこでもまた略奪が引き続きおこなわれたのです。

私は大勢の見物人たちの中に立ち、この略奪劇を一緒に見ました。見物していた
群衆は、略奪には参加しなかったけれど、それを止めようともしませんでした。
多くの人々の目には、恥の涙があふれていました。

翌朝、略奪の波は、400メートル向こうにある現代美術館にまで広がっていき
ました。そこでもまた2種類の群衆がいました。略奪にせいをだす人々と、それ
をむかつきながら見物する人々です」

「バヨミさん、ではあなたは、アメリカ軍部隊が略奪の口火を切ったと言うので
すね?」

「まったくそのとおりです。喜びにあふれたバグダッド市民が路上でお祝いする
場面が見つからないものだから、米軍にとっては別な形で、市民がサダムを憎ん
でいたという証拠の映像を流す必要があったのです」

「でもバヨミさん、バグダッド市民は、サダムの大きな銅像を引き倒したじゃあ
ないですか?」

「あれを、本当にバグダッド市民が自発的にやったと思っているんですか?銅像
を引き倒したのはアメリカ軍の戦車です。それも、報道陣が宿泊しているホテル
のすぐ側でです。

あの銅像引き倒しがあったのは、4月9日なのですが、それまで私は誰一人とし
てサダムの肖像を壊しているのを見たことがありません。もし人々がサダムの銅
像を引き倒したいのなら、米軍戦車の助けなんか借りないで簡単に倒せる小さな
やつから始めるわけじゃあないですか。

もしバグダッド市民が政治的な暴動を起こしたかったのなら、まずは銅像を引き
倒して、その後に略奪が始まったはずです」

「でもまあ、サダムがいなくなって、よかったじゃあないですか?」

「サダムは消えてはいませんよ。彼は自分の軍隊を、ごく小さな部隊に小分けし
たのです。だから、大きな戦闘が起こらなかったわけです。公式発表では、サダ
ムは1992年にすでに大部隊を解散させています。彼はそれに並行して、イラ
クでは圧倒的な決定権を有する部族機構を再編しました。

アメリカがこの侵略戦争を始めたとき、サダムは国家組織を完全に放棄しました。
そして今は、部族機構に頼っているのです。だから、彼は戦わずして大都市を捨
てたわけです。

イラクを統治する政治組織が壊滅した今となっては、アメリカはすべてを自分た
ちでやらざるをえなくなっています。国外から送られてきたイラク人の二人は、
あっというまに殺されました。
(二人とは、デンマークから帰国したナザル・アル・カズラジ将軍と、シテ回教
徒指導者のアブドル・マジド・アルコエイ師を意味する)

彼らはアメリカの傀儡として送り込まれたとみなされ、激怒したナジャフの群衆
によりナイフと刀でずたずたに切り裂かれてしまいました。

オランダの新聞、BT紙によると、アル・カズラジ将軍はCIAによりデンマー
クからイラクに送られたそうです。

イラクでは今、いつまで居座るか分からない占領軍が駐留しています。米軍は民
主選挙の期日も、市政統治計画もまだ発表してはいません。こんな状態では、想
像できないくらいの混乱が起こる恐れがあるのです」

                         (翻訳・パンタ笛吹)

このインタビューは、ストックホルムに本拠を置くスウェーデン最大の新聞、
ダゲン・ニエター紙4月11日版に掲載されたものである。この記事はオリー・
ローゼンボーグにより書かれ、ジョー・バラセックにより英訳された。
カリード・バヨミは、ランド大学で10年間、中近東問題について研究し教鞭
をとった。彼はこのインタビューを広範に広めることを許可している。

http://www.dn.se/
*上記はダゲン・ニエターのURL(スウェーデン語)

*英文
http://truthout.org/docs_03/041603D.shtml
http://www.rense.com/general37/eyewitnesscharges.htm


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

マイケル・ムーアからのメッセージ

今年度アカデミー賞で最優秀ドキュメンタリー賞を獲得
したマイケル・ムーア監督。オスカーの壇上でも痛快なブッ
シュ批判を講じた彼からのメッセージ。善良なアメリカ
国民よ。今こそ声をそろえて平和を訴えるべきだ、と。
(TUP翻訳メンバー:中西 仁美)

中西さんとの共同作業中、是非とも"Bowling" を観賞した
くなったが、小生は映画館もない山奥の住民……いつになっ
たら、ビデオ・レンタルにリリースされることやら……
それも、「6泊7日」OKまで待たないと……ハーァ^_^;
(TUP翻訳メンバー: 井上 利男)

2003年4月7日
私のオスカーの『しっぺ返し』――『アホでマヌケなアメリカ人』が
ベストセラー1位に返り咲き、『ボウリング』は新記録を達成

友人諸君、

この2、3日中にブッシュ政権はイラク植民地化の達成には成功するだろう。これこ
そ、途方もない大間違いであり、そのために、これから何年間にもわたって、我々は
その代償を支払い続けることになる。こんなことは、亡くなった何千ものイラク人は
言うまでもなく、アメリカの軍服を着た餓鬼たった1人の生命にも引き合わず、私と
しては、この人たちすべてを哀悼し、祈りたい。

さあ、今度の戦争の口実になった大量破壊兵器はいったいどこにある? ハッ! ここ
で言いたいことは山ほどあるが、後の楽しみにとっておく。

たった今、もっとも気になるのは、あなたがた、しょっぱなからこの戦争を支持しな
かった大多数のアメリカ市民が、軍事的大勝利の大宣伝を目の当たりにして、沈黙し
たり、怖じ気づいたりはしないだろうかということだ。今こそ、これまでにも増し
て、平和と真実の声が聞こえていなければならない。私は心底から絶望した人々から
のメールをどっさり受け取り、彼らの声は嘘っぱちの愛国心の鳴り物と爆撃音でかき
消されてしまったと信じる。平和主義を明言してしまったことで、職場、学校、町内
でしっぺ返しを受けるのではないかと怖れる人々もいる。いったん戦時ともなれば、
抗議は『妥当』ではなく、『兵を支持する』ことこそが務めだと耳に蛸ができるほど
聞かされた。

2週間前のオスカー授賞式ステージでブッシュとこの戦争でを批判する演説をぶって
以来、私の状況がどんなものだったか、あなた方に分かち合いたい。私の説法が、討
論でもなんでも、あらゆる機会を捉え、あなた方が声を挙げる励ましになることを望
む。アカデミー賞ドキュメンタリー部門の最優秀作品が『ボウリング・フォー・コロ
ンバイン』と発表された時、観衆は総立ちになった。偉大な瞬間だった。私はいつま
でも忘れないだろう。我々アメリカ人は希に見る暴力的な国民であり、大量に隠し
持った銃で、互いに殺し合い、世界中の多くの国々に突きつけていると告発する映画
に、総立ちで歓呼したのだ。ジョージ・W・ブッシュが架空の恐怖で国民を脅し、思
うがままに野心を達成させていると、暴露する映画に拍手喝采していたのだ。第一次
湾岸戦争はクウェートの独裁者の返り咲きを図った企みであり、サダム・フセインは
アメリカが供与した武器で武装し、アメリカ政府は、制裁と爆撃により、これまでの
10年間で、イラクの子どもたち50万人の死に対して責任があることを申し立てる
映画に支持を表明したのだ。そういう映画に彼らは歓声を上げ、投票したのであり、
私はスピーチで是非とも応えなければならないと意を決したのだ。

だから、オスカーの壇上から私は次のように発言した。

「私たちのプロデューサーであるキャサリン・グレン、(カナダの)ミカエル・ドノ
ヴァンを代表し、私はアカデミーにこの受賞を感謝いたしたいと思います。ドキュメ
ンタリー部門にノミネートされた他の方々にもこの壇上に一緒に上がっていただきま
した。私たちはノンフィクションが好きなので、このステージで連帯しているので
す。ノンフィクションを愛するのも、嘘偽りの時代に生きているからなのです。嘘偽
りの選挙結果による、嘘偽りの大統領を戴く時代に、私たちは生きているのです。
たった今、嘘偽りの理由により、嘘偽りの戦争を推進しているのです。ミスター・
ブッシュ、ダクトテープの作り話であれ、嘘偽りの『オレンジ警報』であれ、私たち
はこの戦争に反対だ。恥を知れ。ミスター・ブッシュ、恥を知れ。ローマ教皇も、
ディキシー・チックスも反対した今となっては、あんたはもうお終いだ」

私の発言の半ばから、観衆の中から歓声が上がった。バルコニーの連中がすぐさま対
抗して、ブーイングを始めた。すると、私の支持者たちが大喚声でブーイングを黙ら
せた。ロサンジェルス・タイムスの報道では、私の言葉を遮るために、ステージ監督
が「音楽! 音楽!」とバンドに叫び、恭しい演奏が始まり、私の発言時間は
なくなった。(私の発言主旨について、ロサンジェルス・タイムスへの私の投稿記事で
もっと詳しく読めるし、私のウェブサイトにアメリカ中からの反響を掲載している)

翌日に始まる2週間、右翼有識者たち、ラジオのお下劣系ディスクジョッキーたちが
私の首を狩ろうと躍起になっている。私がこんなゴタゴタで傷ついただろうか? 私
を『黙らせる』ことができただろうか?

では、私のオスカーの『しっぺ返し』を観てみよう。

――私がアカデミー授賞式でブッシュと戦争を批判した日の翌日、
(BoxOfficeMojo.comサイトのDaily Varietyによれば)『ボウリング・フォー・コロン
バイン』上映館の観客全米動員数が110%アップ。続く週末、ボックス・オフィス
集計は桁外れの73%アップ(バラエティ部門)。今や全米最長ロングラン興行を記録
し、26週連続ランクイン、しかも大盛況だ。アカデミー賞この方、上映館数も『増
加』している。興行収入は、これまでのボックス・オフィス集計のドキュメンタリー
部門最高記録を300%近くの大差で塗り替えてしまった。

――昨日(4月6日)のニューヨークタイムズ紙ベストセラーリストで、『アホでマヌ
ケなアメリカ人』が1位に返り咲いた。これでリスト入り50週目であり、うち8週
がナンバー・ワンだったことになる。トップへの返り咲きは4度目であり、これは前
代未聞のことだ。

――アカデミー受賞に続く週、私のホームページのヒット数は『1日』に1000万
から2000万(ある日など、ホワイトハウスのヒット数を凌駕!)。寄せられるメー
ルは圧倒的に私を肯定し、支持してくれている(罵倒メールは実に滑稽!)。

――アカデミー賞に続く2日間、アマゾン・コム・オンライン書店ビデオ予約数で、
『ボウリング・フォー・コロンバイン』はオスカー最優秀作品賞『シカゴ』を上回っ
た。

――この1週間で、私はドキュメンタリー映画次回作の製作資金を獲得し、テレビ作
品『テレビ王国TV Nation』『恐るべき真実The Awful Truth』アップデイト版製作の
機会提供を受けた。

我々が毎日のように聞かされているメッセージ――『その気になって、政治的な発言
でもすれば、後悔する。傷つくことになるが、たいがいは経済的に困る。職を失い、
雇ってくれなくなる。友人も失う。そんなことがどんどん続く』――こんな脅しに対
抗したいから、私は皆さんに上記のように告げるのだ。

ディキシー・チックスの話は皆さん既にご存知だと思うが、そのボーカルがブッシュ
と同じテキサス出身だから恥ずかしいと発言をしたので、CD売り上げは『ガタ落
ち』、ラジオのカントリー専門局も曲を流すのをやめてしまったと言う。しかし実を
言えば、CD売り上げは『落ちていない』 攻撃に晒された後も、ディキシー・チッ
クスのアルバムは今週のビルボード・チャート、カントリー部門で1位につけている
し、エンターテインメント・ウィークリーも、この大騒ぎにもかかわらず、彼らの曲
はポップ・チャートで6位から4位に上昇したと報じている。フランク・リッチが
ニューヨーク・タイムズで、ディキシー・チックスのライブステージのチケットを何
とか手に入れようとしたが、どのステージも完売だったと書いている。(昨日の
ニューヨーク・タイムズ紙のリッチ記者のコラム『ボウリング・フォア・ケネバンク
ポート』を読むには、ここをクリック。リッチ記者はこの件について実に適切に解説
し、私の次回作と、その潜在的な影響力についても書いてくれている)ディキシー・
チックスの『トラベリン・ソルジャー』(美しい反戦バラード)は先週のインター
ネット・リクエストで1位になった。彼女たちは実はなにも傷ついてなんかいないんだ

――しかし、メディアが視聴者に信じさせたいのはこんな事実ではない。何故か?
今、異議の声、それに疑問の声を『沈黙』させることよりも重要な事はないんだ。嘘
偽りで塗り固めて、わずかの情報通の芸能人を押さえ込めさえすれば、平均的アメリ
カ人に「わぁ、ディキシー・チックスやマイケル・ムーアがあんな仕打ちを受けるん
だったら、取るに足らない自分だったら、きっとひどい目に遭うだろう」と思わせる
ような、明確で声高なメッセージを届けることができる。言い換えれば、『黙ってろ
!』なのだ。

友人諸君! まさしくこれこそ、私がオスカーを獲得した映画の要点なのだ――すな
わち、廻し者たちはいかにして『恐怖心』をかきたて、大衆を言うなりに操っている
か。

さて、こんな週にも良いニュースがあったとして、グッド・ニュースは、私も、他の
人たちも沈黙などしていなかっただけではなく、同じ考えを分かち合っている何百万
人ものアメリカ国民と結ばれていたという事実だ。いんちき愛国者たちが政治日程と
ディベート用語で煙に巻こうとしても、脅されることはない。戦争支持率70%とい
う世論調査にくじけてはならない。調査対象になったのは、自分の(または近所の)子
供がイラクの戦地に行かされた人々だということを忘れないで欲しい。人々は兵を心
配し、望んでもいない戦争を支持するように囲い込まれたのだ。人々は友人、家族、
隣人の無言の帰宅を怖れている。皆、兵士たちが生きて帰還することを望んでいる
し、私たち皆、この人たちに手を差し延べ、知るべき事を知っていただかなければな
らない。

残念なことに、ブッシュ一族はこれでも満足しない。この侵略と征服に味をしめて、
彼らはどこでも同じことをするだろう。この戦争の真の目的は『テキサスの邪魔をす
るな。お前の物は、我が物!』と全世界に宣言することだった。
今は、平和と共にあるアメリカを信じる我々、多数派が黙っている時ではない。
声を大にしよう。連中が骨抜きしようとも、それでも、ここは我々の国なのだから。

諸君と共に、
マイケル・ムーア

(翻訳:井上利男・中西仁美/TUP) 

参照サイト
http://www.latimes.com/
*ロスアンゼルス・タイムズは1週間で記事が削除されるようです。

マイケル・ムーアからのメッセージ
2003年4月15日
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

アメリカに、冷たい風が吹いている

 ハリウッド男優ティム・ロビンスの代表作は、「ショーシャンクの空に」。
奥さんのオスカー女優スーザン・サランドーンの最近作は「バンガー姉妹」
や「ムーンライトマイル」です。
 夫婦とも、活発な平和活動家として知られています。特にスーザンは、
アメリカのテレビCMで、「イラクは私たちに何をしたというのでしょう?」
という反戦メッセージを広めたことでも有名です。 (パンタ笛吹)

・・・・・・・・・・・・・・・・
アメリカに、冷たい風が吹いている
・・・・・・・・・・・・・・・・
                 ティム・ロビンス(映画俳優)
                 ナショナル記者クラブでの講演
                 4月15日  ワシントン市

 今日は私を記者クラブにお呼びくださって、どうもありがとうございます。
この機会を利用して、野球とショービジネスについてお話ししましょう。(笑い)

 9/11の直後、私はこれがいい機会になって、アメリカがすばらしい国へと生まれかわれるの
では、と希望を抱きました。この国のリーダーが、今こそ学校や老人ホームや貧民街に出向いて奉
仕活動を始めるときだと国民に説き、テロの混乱から新しい調和へと導くと思ったのです。

 ところがブッシュ大統領の最初のメッセージは、「世界は我々の敵か味方かのどちらかだ。近所
で不審な人を見つけたら通報しなさい。愛国心があるのなら、景気浮上のために買いまくりなさ
い」でした。

 あれからたった1年半の間に、民主主義は恐れと憎しみにとってかわり、アメリカに心から同情
してくれた世界中の国々は、今ではアメリカを信用しなくなり、旧ソ連のような「ごろつき国家」
だと軽蔑するようにまでなりました。

 私の11歳の甥が、学校の歴史の先生から、「スーザン・サランドーンは戦争に反対すること
で、我が米軍兵士を危険にさらしている」と言われたし、私の姪は別の先生から、「学芸会にはサ
ランドーン夫妻を連れてこないでくれ」といじめられたそうです。

 親戚の学校では、戦死した米軍兵士の冥福を祈る集まりが、中止になりました。その理由は、生
徒たちが、死んだイラク人に対しても祈りたいと希望したからです。別の学校の先生はピースマー
クの付いたT’シャツを着ていたというだけで解雇されました。

 スーザンと私はマスコミの「裏切り者」リストにのり、「サダムの支援者」と呼ばれています。
特に(19世紀フォックス社)はひどいです。(笑い)

 2週間前、スーザンは招待されていた女性会議の参加を断られ、先週あった「野球の殿堂記念パ
ーティー」では、主賓だったはずの私たち夫婦もまた入場禁止をくらいました。でも、参加を拒否
された一番の犠牲者は、「言論の自由」だったのです。

 先週、有名なロックスターが電話をくれ、「ティム、俺たちのかわりに戦争に反対してくれてあ
りがとう。俺もそうしたいんだけどラジオ局から干されてしまうからできないんだ」と嘆いていま
した。

 この国に、冷たい風が吹いています。ホワイトハウスやマスコミが流しているメッセージは、
「もしブッシュ政権にたてつけば、ろくなことにはならないぞ」というものです。

 国中で、自由に言いたいことを言う人々が、報復に恐れおののく時代が来ました。そんな今こ
そ、私たちは怒りの声をあげるべきです。流れを変えるのは、そんなに難しくはありません。

 先ほど話した私の11歳の甥でさえ、恥ずかしがり屋でいつもは黙っているのに、「先生、スー
ザン・サランドーンはボクの叔母さんです。そんなことを言うのは止めてください!」と立ち上が
ったのです。すると先生は恥じ入って、引き下がったそうです。

 この国のジャーナリストも、憲法違反の第二愛国法を止めさせることができるんです。ハリウッ
ド映画的には「続・愛国法」と呼びますが、私たちは、あなたたちジャーナリストがこの「続・愛
国法を防げ!」のスター俳優になることを期待しています。

 ジャーナリストは、「自分たちは政府のおかかえ宣伝役ではないぞ!」と主張することができる
んです。(拍手喝采)

 11歳の甥の未来のためにも、多くの迫害と差別の犠牲者のためにも、この国に調和を取り戻そ
うではありませんか。227年も生きのびた「言論の自由」を守るためにも、野球のフェアープレ
ーを守るためにも、お互いに戦っていきましょう。(拍手喝采)

                  (抄訳・パンタ笛吹・TUP)
http://www.commondreams.org/views03/0416-01.htm
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 なぜ、なぜ、なぜ?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
            キャシー・ブリーン(イラク・ピースチーム)
            4月17日 バグダッドにて

 今朝、鼻を突き刺すような人間の汚物の臭いで目が覚めた。ホテルの1階におりてい
くと、腐った食べ物の臭いが襲ってきた。昨日、友人の宿舎まで行くのに、排泄物が濁
り固まったヘドロの上を歩いたのを思い出した。

 ロビーでは救援活動をしている二人の友人と会った。二人は、病院で糖尿病や高血圧
の薬がすっかり切れてしまったことを心配していた。フセイン政権下では、血清などを
管理するすシステムがちゃんと機能していたので、患者さんたちは、それらの薬を毎月
きちんと受け取っていた。しかし、今ではそのシステムが崩れて、停止してしまった。

 電気も水道もまだ断たれたままのバグダッドでは、下水やゴミが緊急をようする問題
だ。まだ確認はしていないが、丘の上の住民にコレラが発生したと聞いた。また、乳牛
牧場のあるアブ・グライブ地区では、戦闘に巻き込まれて多くの市民と大量の牛が殺さ
れ、それらの死体が放置されたまま腐ってきたので、ブルドーザーでならしているそう
だ。

 午後は、旧友のサード・ハッサーニ教授と再会し、この数週間で起きたことを話しあ
った。教授の家の隣にミサイルが着弾して、家は壊されたけれど、幸い家族はみな無事
に生きのびて、今は親戚の家に住んでいるという。

 教授の息子アリ君は、戦争のショックで失語症に陥り、今後数年におよぶ心理治療が
必要だろうという。教授の奥さんもまた、爆撃と占領の犠牲者だ。彼女は自分の愛する
イラクに外国軍が駐留することに耐えきれず、米軍を目にするくらいなら国外に出たい
という。

 「妻の心理的な苦しみを考えると、妻には海外で暮らさせた方がいいと思っていま
す。私は学生たちとともに大学に残るつもりです」

 ハッサーニ教授は、怒りで何度も涙を流しながら、略奪のひどさを語ってくれた。
「大学は完全に壊され尽くしました。私のすべての本や学生たちとの思い出もすべて燃
えてしまいました。大学が破壊されるのを見に行ったのですが、略奪者は銃とナイフを
持って私に襲ってきたんです。すんでのところで車に逃げ込みおおせました」

「先日は、ビルの前で兵士が二人死んでいるのを見ました。一人は手に手榴弾を持った
まま、もう一人は胸にマシンガンを抱えたまま横たわっていました。その死体の上を、
奪い取った獲物を腕いっぱいに抱えた略奪者たちが踏みつけていったのです」

 「彼らは国立図書館まで燃やしてしまったんです」教授は憤りを十分に表す言葉が見
つからなくて、心の中でただ、「なぜ、なぜ、なぜ?」と繰り返しているのだろう。

「また私は、アメリカの従軍医者が、路上でイラク人の足の手術をしているのを見まし
た。ショットガンで撃たれたそうです。手術が終わったのでドクターに話しかけると、
彼は一刻も早くイラクを立ち去りたいと言いました。そのわけを聞くと、アメリカ軍が
壊して傷つけたものを、同じアメリカ人の自分が修繕してまわるのに我慢ができなくな
ったからということでした」

 午後遅くになって、キャシーと私はタクシーに乗って友人のアマルがお世話になって
いる家まで行きました。途中、略奪者に襲われた銀行の前を通るとき、大勢の群衆と、
破れた紙幣が一面に巻き散らばっているのを見ました。タクシーの運転手モハメッド
は、「あれが私の銀行なんですよ」とためいきをついた。

 アマルは今、二人の女友達の家に居候している。彼女の家は爆撃で壊され住めなくな
り、その後、彼女の手芸ショップは略奪で荒らされて空っぽになってしまった。私たち
には彼女にかけるなぐさめの言葉もなかった。

 アマルは絶望と涙と怒りをぶちまけた後、「何度も自殺しようと思ったけど、書きつ
づることだけが今の私に残された生きる意味なの」と言った。
 
               (抄訳・パンタ笛吹/TUP翻訳メンバー)

http://electronicIraq.net/news/675.shtml

(訳者注)上記の少女アマルは開戦4日目、13歳の誕生日をむかえ、爆撃の下で誕生
パーティーを開きました。彼女については、「アマル、私の愛する友よ」でもふれてい
ます。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

『イラク脅威は本物だったのか?』
――マーク・エングラー 2003年4月27日

【原文】
http://www.zmag.org/content/print_article.cfm?itemID=3528&sectionID=15


バグダッド陥落以来、国防省タカ派はアメリカ軍の疑問の余地ない優位性の自
賛に余念がない。だが、世界の注目は、見過ごされてきたブッシュの戦争の論
拠である、サダム・フセインが保有しているとされた大量破壊兵器が引き起こ
す危険の真実性に移った。ハンス・ブリックス国連査察官は4月22日に安全保
障理事会に出席し、アメリカの主張を独自に検証する必要性をもっぱら強調した。

サダム・フセインが忌まわしい独裁者であることには、反戦活動家にも異論は
ない。暴君がある程度の化学生物兵器を査察チームの目から隠し持っていた可
能性は十分にあるし、将来、もっと多く製造する意志を持っていたに違いない。

それでも、反戦の中心論拠は妥当性を失っていない――

ブッシュ大統領が断罪しようが、コリン・パウエルが衛星写真を突きつけよう
が、世界の目には、バース党体制が、近隣諸国に対して、ましてや遠く離れた
アメリカに対して現実的な危険を及ぼしていたと信じるに足る理由が見当たら
ない。第一次湾岸戦争の結果、サダムの軍事力は大きく破壊された。その後の
国連査察によって、残る兵器の削減も大きく進展したし、10年にわたる厳しい
制裁期間中に、いかなる隠匿化学物質も実質的に品質が劣化した。

しかも、新規の査察も実施されていた。禁止兵器製造に執着する、サダムの野
望は、国際社会の注目には価したが、200億ドル規模の電撃作戦、その後の海
兵隊による占領、勘定もされない何千もの人命には、とても価しない。ブリッ
クスの査察チームに任務遂行の時間を与えたにしても、ブッシュ政権が敵意を
もって臨んでいたので、大量破壊兵器が真の関心事であったとは考え難く、格
好の戦争の口実であったに過ぎない。

メディア監視団体『報道の公正と真実』が、ニューヨーク・タイムスの「さらにミサ
イル破壊; イラク武装解除努力の複雑化、ワシントン危惧」という見出しの
3月4日付記事を引いて、皮肉な状況を完膚なきまでに捉えている。NBC
ナイト・ニュース特派員、アンドレア・ミッチェルも、「アメリカには悪夢の状
況――イラクがミサイルを破壊すれば、軍事行動への支持獲得が困難に」と追
い討ちをかけた。

ジョージ・ブッシュとトニー・ブレアは、今ふたたび、禁止兵器の動かぬ証拠を
提示する政治的必要性に迫られていて、私たちとしては、審判の時が迫ってい
ると期待してもよい。これまで、軍による探索は何の成果も得ていないが、破
棄された化学物質を知っているとされる、名前を明かされていないイラク人科
学者が軍の案内役として最適任であると報じられている。

世界が軍の主張を疑う理由はまだある。本当の世界安全保障に関心を寄せるア
メリカ国民にも、独立組織による調査を求める世界の声を支持する理由がある。

歴史的にも、アメリカ政府は戦争正当化のために証拠を恣意的にでっち上げて
きた過去がある。報道にしても、政府方針に忠実に追従する場合が余りにも多
い。1898年、キューバ沖でのアメリカ艦メインの沈没事件は、おそらくもっと
も有名な歴史の先例であろう。ハースト系列新聞による扇動が功を奏して、
マッキンレー大統領は謎の事故の責任をスペインに押し付けることに成功し、
アメリカ‐スペイン戦争で帝国主義的利権を追求した。

1964年の詐欺的なトンキン湾事件では、北ベトナム哨戒用魚雷艇がアメリカ駆
逐艦をいわれなく攻撃したとジョンソン大統領が声明し、アメリカによる北ベ
トナム空爆開始の口実を与えた。(だが1965年には、ジョンソンは「私が知る
限り、我が国海軍はあの海域でクジラを撃っていた」と認めた)

1991年の湾岸戦争に先立ち、先のブッシュ政権は、イラク兵たちがクウェート
の病院で新生児を保育器から引きずり出しているとする報告を既成事実化し
た。どうして、残虐な悪行の長い歴史を有する体制について作り話を重ねる必
要があるのかは、まったく誰にも分からない。結局、これは広告宣伝会社ヒル
&ノートンの手を借りた捏造であることが判明した。

この度の紛争期間中のアメリカ政府の通信簿の誠実さ評価は貧弱である。アメ
リカの情報源は、侵略支持を強化する目的で、偽造文書を誇大宣伝した。最近
のインタビューで、ハンス・ブリックスはイラクが中央アフリカのニジェール
から核物質を購入することを企てたという論難を例に挙げた。「これは真っ赤
な嘘でした」とブリックスは明言した。「全部、嘘です。情報はアメリカ情報
機関から国際原子力機関にもたらされました。移動式研究装置については、ア
メリカ人からアメリカに伝えられた資料を確認しますと、農業用種子の処理と
管理に従事するトラックを何台か見つけただけです」

このように厄介な事例があるにもかかわらず、フォックス・ニュースなどの番
組は違法兵器疑惑を確定した事実として扱った。連中にかかると、「アメリカ

査察団、イラク軍需工場で違法兵器発見せず」という、4月16日付けニュー
ヨーク・タイムス見出しなどは、新聞が、言語同断な弱虫で、怠惰な共産主義

ンパであることを示す証拠に過ぎないとされる。

それにしても、「イラク軍、化学兵器実戦配備」など、フォックスのこれまで
のニュース・タイトルは、今では勇み足であることが分かっているし、よく
言っても、戦争の正当化である。連中の言い分では、ブッシュの「比類なく邪
悪な」敵は、自
らを排除しようと躍起になっている軍勢に直面しながら、禁止兵器を実戦使用
しないというほどの比類ない自制心を持っていることになる。

政府機関が流す作為と虚偽情報は情報部門内部にさえも疑心暗鬼を呼び起こし
てしまった。最近、AFP通信が配信したインタビューで、隠退したCIA情
報分析官レイ・マクガバンが、「大量破壊兵器をでっち上げなければならない
というのに、私の同僚には本当に見つかると信じている者も幾人かいる」と言う。

「確かに私もいくらかは見つかると信じている」と、彼は述べた。「それにし
ても過大に見積もっても、アメリカにとっても、多国にとっても、脅威と名指
されるものではない」

独立組織による調査を拒否するブッシュ政権の方針は、危険な単独行動主義へ
の道をさらに一歩進むことになる。現実的な世界安全保障の追求のためには欠
かせない国際間の協力と善意の促進そのものを、ワシントンの主戦論が損なっ
ている。

観点をアメリカの外交益という狭い分野に絞っても、アメリカ政府は、イラク
政権告発を正当化し、尾を引く疑惑を解消するために、独立組織による査察を
望むべきである。

古くからの格言に学ばないならば、またもや真実が戦争の犠牲になる。

(翻訳: 井上 維摩/TUP)
------------------------------------------------------------------
Mark Engler, a writer based in New York City, can be reached at
<engler@eudoramail.com>. Research assistance for this article provided
by Katie Griffiths.

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

平和と公正を称える

2003年5月4日
エルサルバドルの大司教、人間の盾に殉じた若いアメリカ人女性、イスラエル
の若い占領地兵役拒否者たち、そして19世紀に戦争目的税に抵抗した、森の
賢者ソロー――「すべての闘いは、地球規模で共鳴しあっています」

講演者スーザン・ソンタグは、地球規模の闘いの精神的風景を鮮やかに描き、
現場での具体的な運動の心構えを語ります。

井上 利男/TUP

----------------------------------------------------------------------
オスカル・ロメロ賞
授賞式基調スピーチ:
『平和と公正を称える』
――スーザン・ソンタグ 2003年4月27日

【原文】ZNet | Mideast
Honoring Peace And Justice/A Keynote Speech
by Susan Sontag; April 27, 2003
http://www.zmag.org/content/print_article.cfm?itemID=3527&sectionID=22
----------------------------------------------------------------------

まず、ここで故人を偲ぶことをお許しください。ひとりではなく、お二人の故
人です。お二人だけです。彼らはヒーローでした。何百万ものヒーローのなか
の二人でした。彼らは犠牲者でした。何百万、何千万の犠牲者のなかの二人で
した。

最初の一人は、サンサルバドルの大司教、オスカル・アルヌルフォ・ロメロで
す。23年前、1980年3月24日、ミサ執行のさなか、祭服着用のまま、
殺されました。(本日、イシャイ・メヌチンに授与されましたオスカル・ロメ
ロ賞の記載内容を引用しますが)彼が「公正な平和の唱導者」となり、「暴力
と抑圧を旨とする勢力に公然と反対を唱えた」からです。

二人目は、ワシントン州オリンピア出身、23才の学生のレイチェル・コリー
です。2週間前、2003年3月16日、ガザ地区南部の(エジプトと境を接
する)ラファフで、ほぼ日常化しているイスラエル軍による住宅破壊の現場で、
『人間の盾』たちが安全性の向上を期して、被視認性を高めるために用いる、
反射材の縞模様を入れた、発色性蛍光オレンジのジャケットを着用していたの
に、殺害されました。取り壊しの矛先が向けられていたパレスチナ人医師の住
宅の前で、アメリカとイギリスから来た8人の若い人間の盾ボランティアの一
人として、コリーは、迫ってくるD-9装甲トラクターのオペレーターに向き
合い、手を打ち振り、メガホンで叫びかけていましたが、減速もしないで迫る
超大型ブルドーザーの前に膝を折り、崩れました。

彼ら二人の人物は犠牲の象徴であり、非暴力で、理に適う、だが危険である異
議申し立てをなした、当の暴力と抑圧の勢力に殺害されたのです。

***

先ず、リスクから始めましょう。罰せられるリスク、孤立させられるリスクで
あり、傷害、あるいは殺害されるリスク、はたまた嘲笑されるリスクです。

私たちはある意味ですべて召集兵です。私たち皆にとって、列を乱すのは困難
なことです。忠誠心について考えが違う多数派の感情を害し、批難の的になる
のは苦しいですし、酷評されるのも、暴力を蒙るのも大変です。だから、私た
ちは正義、平和、融和といった類の標語の下に逃げ込み、こじんまりしていて、
力もそれほどないが、現代的ではある、似た者同士の共同体に巻き込まれるの
です。そうしたものが、練兵場や戦場でなくとも、いわゆるデモ、抗議行動、
市民的不服従パーフォマンスに私たちを動員するのです。

自己の帰属集団から足を踏み外す行為は、疎外感を伴います。あなたにとって、
疎外感と違和感が慣れ親しんだ、あるいは喜ばしい心的状態でないならば、自
分の仲間たちから別れて、精神的には広大だが、人数としては小規模な世界へ
赴くとすれば、錯綜し、困難な旅路を辿ることになります。

集団メンバーの生命の価値を、すべての他者のそれよりも上位に置くという知
恵、すなわち帰属集団の知恵を否定するのは困難です。他集団の人命の価値は、
自分たちのそれと同等であると発言すれば、どんな時でも不評を買うでしょう。
どんな時でも非国民扱いされるでしょう。

私たちが見知っていて、交際もあり、心寄せ、分かち合いもする人々――言わ
ば、恐怖を共有する共同体に忠誠を誓うほうが楽なのです。

私たちが対抗する勢力を見くびらないでおきましょう。多数者の恐怖によって、
正当であると考えられた残虐行為と弾圧に、あえて異を唱える人々に加えられ
うる報復の力を過小評価しないでおきましょう。

私たちは生身の存在です。銃剣で貫かれもしますし、自爆テロでバラバラにも
なります。ブルドーザーで潰されますし、大聖堂の中でも銃撃されます。

恐怖が人々を結束させます。また、恐怖が人々を分断します。恐怖と同様に、
勇気は伝染しますので、手本となる勇気が共同体を奮いたたします。しかし、
その勇気でも、ある種の勇気は勇者を孤立させるのです。

道義の本質は永続です。誰もが道義をわきまえていると公言しますが、都合し
だいで、道義はいとも簡単に棄てられます。一般的に言って、道義は人を慣例
と衝突させるものなのです。社会が言行一致して道義を本当に守ることを願う
あまり、共同体が抱える矛盾を突くようなことがあれば、その人は報復の憂き
目に遭いますし、衝突は因果をもたらすものであり、時に面白くない結果にな
ります。

社会なるものは、自ら公言する道義を現実に具えてしかるべきであるという価
値基準は、人の道が現実に状況と相反しているのですから、ユートピア的幻想
に過ぎませんし、これからもずっとそうでしょう。物事の現実は、絶対悪でも、
絶対善でもなく、不完全で、矛盾していて、粗雑なのですし、これからもずっ
とそうなのです。道義は、矛盾の泥沼のただなかで正しく生きるために、なん
らかの行動をなすようにと誘っています。道義は、私たちの行いを清めるよう
にと、だらしない素行、妥協、臆病を認めず、不和混乱の種に近寄らないよう
にと誘っています。私たちの行いは正しくないと告げる、心に秘めた痛みがあ
り、考えないでいるほうが楽だよと、そっと囁くのです。

人の道に外れた人たちは、「できる限りの最善を尽くしているのだ」というもの
です。もちろん、与えられた状況での最善です。

***

さて、道義とは何でしょう――世人を威圧したり、恥じ入らせるのは、間違っ
ています。世人の住居と適正な食事を組織的に奪ってはなりません。世人の居
住地、生活手段、教育、医療機関への交通手段、たがいに交際する能力を破壊
してはなりません。

どんなに怒っていても、このようなことをするのは間違っています。

そして怒りはあるものです。怒りも否定すべきではありません。

***

私たちの倫理生活と私たちの倫理想像力の核心に、抵抗の偉大な模範、すなわ
ち、嫌だと言った人たちの偉大な物語があります。嫌だ、私は忍従しない。

どんな模範であり、どんな物語なのでしょうか? モルモン教徒であれば、一
夫多妻禁止令に抵抗するでしょう。中絶反対論者であれば、中絶容認法令に抵
抗するでしょう。彼らにしても、世俗社会の命令に抗して、宗教(または信仰)
と道義に訴えるでしょう。国法に反抗するための絶対的根拠として、より上位
の法に訴えるのは、正義のためのもっとも崇高な闘いを擁護するためにも、犯
罪的な破戒行為を正当化するためにも用いうるのです。

勇気なるものは、それ自体では、道義としての善ではありませんので、勇気自
体に倫理価値があるのではありません。卑劣な悪党、殺人犯、テロリストが勇
敢であるかもしれません。勇気を徳目として定義するためには、形容詞が必要
です。私たちは、「真の勇気」のことを語ります。没道徳の勇気というものもあ
るからです。

レジスタンス自体にも、価値はありません。抵抗の真価を決めるのは、その内
容であり、倫理上の必要性なのです。

例えば、犯罪的な戦争に対する抵抗と言ってみましょう。他国民の土地の占領
と併合に対する抵抗と言ってみましょう。

さらに、レジスタンスに生得的に備わる美点などはありません。正当な抵抗で
あるとする私たちの主張は、すべて、抵抗活動家たちが正義の名の下に行動し
ていると言う申し立ての正当性に依拠しているのです。そして、動機の正当性
は、主義主張を申し立てる人たちの美徳に宿っているのでも、美徳によって膨
れ上がるものではありません。正当性は、ものごとの始まりから終りまで、偽
りなく、不公正で不必要な状況があると言う認識の真実性にかかっているので
す。

***

ここに、私が真実であると信じている状況があり、これを認識するために、長
年にわたり、私は不安、無知、苦悶を潜り抜けねばなりませんでした。

傷つき、怖れている国であるイスラエルは不穏な歴史を歩んできましたが、
1967年の中東戦争で勝ち取った領域での、入植地を拡大強化する政策を止
むことなく推進してきたために、最大の危機に直面しています。イスラエル統治
の継続決定が、西岸地域とガザ地区の支配を固定化することによって、隣人で
あるパレスチナ民族の独自国家を否定することになり、双方の民族にとって、
倫理的、人道的、政治的に破局的状況をもたらしました。パレスチナ人には主
権国家が必要です。イスラエルにも、パレスチナ主権国家が必要です。外国に
いる私たちは、イスラエルの存続を願うとしても、イスラエルが生存するため
に、手段を選ばないことまでは願えないし、願うべきではないのです。イスラ
エル軍の制圧下で、また入植地占領下で、苛酷になる一方の束縛を課せられて
いるパレスチナ人の苦難を、記述し、記録し、異議を唱えてきた、イスラエル
の勇気あるユダヤ人証言者、ジャーナリスト、建設家、詩人、小説家、大学教
授に対して、私たちには格段の恩義があります。

私たちは、1967年当時の国境の外での兵役を拒否したイシャイ・メヌチン
に代表される、勇敢なイスラエル兵士たちに最大の賛辞を贈らねばなりません。
すべての入植地は最終的には撤退しなければならないことを、これらの兵士た
ちは知っているのです。これらの兵士たちはユダヤ人であり、1946年の
ニュルンベルク裁判で提唱された原則を忠実に遵守したのです。すなわち、兵士
には、戦時国際法に違反する不当な命令に従う義務はなく、この場合、不服従
こそが確かな義務なのです。

占領地域での兵役を拒否しているイスラエル兵士たちは、特定の命令を拒絶し
ているのではありません。違法な命令が間違いなく下される地域、言い替えれ
ば、パレスチナ民間人に課せられている抑圧と屈服の固定化のための任務遂行
を命じられるのが確実な土地への立ち入りを、彼らは拒んでいるのです。家屋
は取り壊し、果樹園は根絶し、村落マーケットの露店はブルドーザーで潰し、
文化センターは略奪し、今や、ほぼ毎日、あらゆる年齢層の民間人を射撃し、
殺しているのです。将来のパレスチナ国家が樹立されるはずの、元英領パレス
チナ領域の22パーセントに当たる土地での、イスラエル占領政策の残虐性の
深まりには論争の余地もありえません。私と同じように、彼ら兵士たちは、占
領地から無条件に撤退すべきであると信じているのです。「一国民全体を支配
し、駆逐し、飢えさせ、屈服させるために」、1967年時国境を越えて、戦
い続ける意志はないと、彼らは集団宣言したのです。

入植地は解体されなければならないという、掛替えのない最終的な要求に比較
すれば、拒否宣言者たち(現在では、1100人ほどであり、そのうち250
人以上が入獄)の行動でさえも、イスラエル人とパレスチナ人との和平を達成
する方法として、私たちを納得させうるわけではありません。パレスチナ自治
政府の改革と民主化が強く求められていますが、この英雄的な少数派の行動が
役立つわけではありません。彼らの姿勢が、イスラエル社会にはびこる宗教的
敵対感情と民族優越感の支配力をやわらげるのでもありませんし、虐げられた
アラブ世界で繰り広げられる、憎しみに燃えた反ユダヤ扇動の宣伝を減らすわ
けでもありません。それが、自爆テロを防ぐこともないでしょう。

それは、単純に、もうじゅうぶんだと宣言しているのです。言い替えますと、
ものごとには限度がある、と……。イェシュ・グヴル。

それは、抵抗、不服従の手本になっています。抵抗、不服従には、いつでも罰
則があります。

私たちの誰れひとりとして、彼ら勇敢な新兵たちが耐え抜いたような試練に直
面していません。監獄に入った者も多いのです。

現時点で、この国で、平和のために語れば、(今年度のアカデミー授賞式会場
でのように)嘲られ、攻撃され、(ディキシー・チックスが最有力ラジオ系列で
放送禁止されたように)ブラックリストに名が載るだけです。早い話が、非国
民の悪口が広がるだけです。

私たちには、『我ら一致団結して(United We Stand)』とか、『勝てば官軍
(Winner Takes All)』気質があり、合衆国は、愛国心を国民総和と等しいもの
とした国家なのです。今でももっとも卓越したアメリカ観察者であると言える
トクヴィルは、当時、新生国家だったアメリカのいまだかってない画一性に着
目しましたが、168年の時の流れは、彼の観察の正しさを追認しているだけ
です。

アメリカの外交政策が急激に動き、新しい局面にさしかかると、時に、アメリ
カの偉大さについての国家的合意が欠かせないかのようなのです。ともすれ
ば、それが途方もなく活性化して、勝利至上主義者の国家的自己愛にまで沸騰し、
やがてこの度のような戦争の形に昇華して、世界を統治するのがアメリカの権
利であり、義務でさえもあると説得された国民大多数の協賛を得るのです。

***

道義に基づいて行動する人々の到来を告げる通常の方法は、彼らは不正行為に
対する反乱の最終勝利の前衛であると言うことです。

だが、そうでない場合には、どうしましょうか?

実際には、悪が不滅であれば、どうしましょうか? 少なくとも、当面はで
す。
そして、その当面が、ずっと続き、実に末永く存続するのです。

占領地での兵役を拒否する兵士たちへの私の賞賛の念は、彼らの良識が勝利す
るまでには長い時が必要であるという私の確信が強ければ強いほどに、深まる
のです。

力のバランスを目に見えて変える見込みもなく、平和の旗印の下ではなく、治
安確保のスローガンの下での行動を要求する政府方針の、目にあまる不公正と
残虐行為を改める見通しも立っていない時に、道理に従って行動していること
が、それ自体の自明の理により、今この瞬間、私の脳裏にしっかり刻まれるの
です。

軍事力はそれ自体の論理を持っています。他国に侵略されて、抵抗する時に
は、
銃後の国民に、戦闘継続が必要であると納得させるのは容易です。ひとたび前
線に軍が出動すれば、兵士たちは支持されなければなりません。そもそも軍が
前線にいるのは何故かと問題にするのは、お門違いになります。

『我が国』が攻撃され、脅かされているので、兵士たちは前線にいるのです。
我が国の側から先制攻撃を開始したことなどは、決して気にしないのです。敵
が反撃に打って出ていて、死傷者が出ているのです。『適正』な行為など平然
と無視して、振る舞うのです。世界の私たち側の人たちが、世界のあちら側の
人たちを名指すのに、好んで使う言葉ですが、『野蛮人』のように振る舞うの
です。そして、敵の『野蛮』で『無法』な行為が、新たな侵略のさらなる口実
を与えるのです。さらに、勢いが新たに勢いを呼んで、政府が手を染めた侵略
に反対する市民を抑圧し、検閲し、迫害するのです。

***

私たちが反対する勢力を見くびらないでおきましょう。

ほとんど万人にとって、世界は実質的にコントロールがまったく及ばない場で
す。世人共通の感覚と自己防衛意識が、自分に変えられないものには巻かれろ
と囁きます。

正義について、戦争の必要性について、どのように私たちの一部が説得される
のかを、いとも簡単に目撃することができます。とりわけ、小規模で限定的な
軍事行動であり、実際に平和と安全保障の構築に貢献する戦争であると説明さ
れると、侵略が武装解除(もちろん、敵の武装解除)のための作戦行動であると
声明に謳われると、さらに、遺憾なことに圧倒的な軍事力の投入が必要になれ
ば、その侵略は解放戦争と公式に呼ばれることになるのです。

戦時のいかなる暴力も、報復として正当化されます。私たちは脅かされている
のです。私たちは自国を防衛しているのです。他国の敵が私たちを殺害したが
っているのです。私たちは敵を阻止しなければなりません。

ことここに到れば、敵が計画を実施に移す前に、私たちは阻止しなければなり
ません。私たちを攻撃しかねない敵が非戦闘員の背後に潜んでいるならば、市
民生活のいかなる側面も我が方の略奪行為から逃れる術はありえません。

軍事力、経済力、火力、あるいは単なる人口の格差など、けっして気にするこ
とはありません。イラクの人口が2400万であり、その半分が子ども年齢で
あることを、果たして何人のアメリカ人が知っているのでしょうか?(アメリ
カの人口は、もう忘れないでしょうが、2億9000万です) 敵の砲火を浴び
て、逃げてくる人々を支援しないのは、大逆の罪にも匹敵するように思えま
す。

ある場合には、脅威が現実的でありえます。

そのような状況では、道義原則の持ち主は、「止まれ! 止まるのだ!」と叫び
ながら、疾走する列車の動きを追いかけているようにも見えます。

列車を止められるでしょうか? いいえ、止められません。少なくとも、今は
止められません。

列車に乗っている人々が飛び降りる気になって、地上の人々に加わるでしょう
か? たぶん、何人かはそうするでしょうが、大多数の人たちはそうしないで
しょう。(少なくとも、新たな恐怖が一通り出揃うまでは、そうしないでしょう)

『道義に基づく行動』のドラマツゥルギー(上演法)に即して言えば、私たちは、
道義に基づいて行動することが方便であるかどうかを考える必要はありません
し、私たちが始めた行動の結果としての成功が期待できるかどうかを考える必
要もありません。道義に基づいて行動すること自体が善であると、私たちは聞
かされてきました。

それでも、あなたが自分のためにそれを実行するのではないという意味で、そ
れは政治的行為であることには変わりありません。あなたが正しくあるために、
あるいは自分の良心を満足するために、行動するのではありません。いわんや、
自分の行動がその目的を達成する確信があるからでもありません。 あなたは
連帯行動として抵抗するのです。ここでも、どこでも、道義を抱き、屈服しな
い人々の共同体との連帯なのです。現在もそうです。将来もそうなのです。

1846年に、ソローがアメリカの対メキシコ戦争に抗議して、人頭税納入を
拒否し、入獄しましたが、戦争を止めたとはとても言えません。しかし、(よ
く知られた話ですが、獄中一晩という)非罰的で最短の刑期が、共鳴現象を引
き起こして、不公正に対する道義的抵抗を鼓舞しつつ、20世紀後半を通して
鳴り響き、私たちの新しい紀元まで届いているのです。核軍拡競争の中心地で
あるネバダ核実験場の閉鎖を求める1980年代の運動は、目標を達成しませ
んでした。核実験場の作戦行動は抗議行動に動じませんでした。だが、この抵
抗は、遥かかなたのアルマアタの抗議行動の形成を直に促し、そこの活動家た
ちはカザフスタンにあるソ連の主要実験場の閉鎖に成功しました。彼らはネバ
ダの反核活動家たちをインスピレーションの源泉と考え、ネバダ核実験場が立
地している土地の先住アメリカ人への連帯を表明していました。

あなたの抵抗行動に訴えても、不当行為を阻止できそうにないとしても、あな
たの共同体にとって最善であると、誠実、内省的に確信している行為から、逃
げているわけにはいかないのです。

従って、イスラエルにとって、迫害者であることは、最善の利益に沿うもので
はないのです。

従って、アメリカにとって、今、自ら選んだ路線に沿って、自分の意志を世界
のあらゆる国にも押し付ける能力を持つことは、すなわちハイパーパワーであ
ることは、最善の利益に沿うものではないのです。

現代社会共同体にとって、真の利益にかなうのは、公正さなのです。

近隣国民を組織的に迫害し、幽閉するのは、公正でありえません。殺戮、追放、
併合、壁の構築は、すべての人々を従属、貧困、絶望に投げ込むのに役立つだ
けであり、これらによって迫害者に安全と平和を約束できると考えるのは、確
かに間違っています。

アメリカの大統領が、地球の大統領として、施政権を委任されていると信じて、
アメリカの味方でなければ、『テロリスト』の味方であると公言するのは、正
しいはずがありません。

パレスチナ国民の窮状と人権を代弁して、自国の現政権の政策に対し、誠意あ
る、積極的な異議を申し立てている、あの勇敢なイスラエルのユダヤ人たち
は、
イスラエルの真の利益を擁護しているのです。アメリカの現政権の世界覇権を
追求する計画に反対している私たちの同胞は、アメリカの最善の利益のために
発言しているのです。

私たちが誠心誠意から堅持するに価する、これらの闘いを超えて、覚えておか
なければならない大切なことがあります。政治的抵抗の道筋において、因果関
係はたがいに入り組み、絡み合っています。すべての闘いは、すべての抵抗は、
具体的であり、明確であらねばなりません。すべての闘いは、地球規模で共鳴
しあっています。

ここでなければ、あそこなのです。ここと同じく、どこでも、今でなければ、
間もなくなのです。

オスカル・アルヌルフォ・ロメロ大司教に、レイチェル・コリーに、そしてイ
シャイ・メヌチンと彼の仲間たちに。

----------------------------------------------------------------------
[当スピーチの初出メディアはネーション誌であり、初掲載ウェブサイトは
TomDispatch:
http://www.tomdispatch.com
ネーション協会の同サイトは、長年の出版編集経歴があり、『勝利絶対主義の
終焉The End of Victory Culture』の著者であるトム・エンゲルハートが編集
するオルタナティブ情報、ニュース、意見を絶え間なく提供している。日本語
翻訳許諾は、エンゲルハート氏を通じ、ソンタグ氏より取得済み]

(翻訳: 井上 利男/TUP翻訳スタッフ)

**********************************************************************
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

だれがメディアを所有するかを心配する理由

         「ムーブオン」掲載記事

           5月2日 エリ・パリザー   ムーヴオン・ブルテン


それは悪夢のようだったが実際起きたことだ。ある寒い1月の夜中1時半、
ノースダコタ州のミノット市で何十万ガロンもの有毒アンモニアを載せた
列車が脱線した。市の係員が緊急警報を出そうとしたが故障してはたらか
なかった。白い有毒ガス雲が住民を襲う危険をなんとか市民に知らせよう
と、係員は市のラジオ局に電話した。しかし、1時間半も呼び続けてもだ
れも電話にでなかった。ニューヨークタイムズによれば、300人が入院、
そのうちの何人かは部分的に失明、そしてペットや家畜が死んだ。

2002年1月18日ミノット市のDJはどこにいたのか?夜勤のラジオ局
員はどこにいたのか?じつはこういうことだった。地元の7つのラジオ局
のうち6つが、全米に1、200以上のラジオ局を有する巨大ラジオシン
ジケート、クリア・チャネル・コミュニケーションズに買収されていたのだ。
縮小経済のため地元スタッフはカット。おかげでミノットのラジオ局はお
おむね自動操作方式になり、番組編成もほとんどクリア・チャネルの上の
方からコントロールされている。局ではほとんど誰も働いていないから電
話が通じなかったわけだ。ミノットで放送される曲は中西部全域にあるク
リア・チャネル局で掛かる曲と同じだ。

クリア・チャネルのような会社は、放送の質を保持するには経営規模縮小
で経費をカットせざるをえないと主張する。しかしそれは地元へのサービ
スが犠牲になることだ。単なる緊急警報だけの問題ではない。メディア合
併のために地元の選挙合戦や中小企業、地元イベント情報などの報道が減
少している。1970年代にくらべ、新聞社とTV局会社の数は3分の1に
減っている。(今日約600。当時1、500以上)今やアメリカ市民に
とって、地元で起きていることを知ることがますます困難になってきている。

6月2日に連邦通信委員会(FCC)はメディア寡占を許す規制緩和あるいは
撤廃を考慮中だ。実際の規制変更がどのようなものかまだ機密扱いだが、
それによってアメリカのメディア環境は大幅な変化を受けるだろう。例えば、
ある会社がABCとCBSとNBCを買収することも可能になる。そうなれば同
じ町に新聞社とテレビ局を持つことも確実に許されることになる。メディ
アジャイアントの新時代に入ることになるだろう。

あなたは一つか二つの大企業がニュースや娯楽番組をコントロールするよう
にしたいだろうか。ほとんどの人はノーだ。電波はあきらかに私たち、アメ
リカ市民のものだ。私たちは、公共のために使用するという確約と交換にメ
ディア会社に電波を使用することを許しているのだ。そしてそれを管轄する
のが連邦通信委員会の仕事だ。アメリカンジャーナリズムの将来のために、
そして地域メディアの多様性の保存のため、私たちは連邦通信委員会という
とりでを持っているのだ。さもないとミノット市の悪夢は私たち全員の正夢
になるかもしれない。

(訳・森田 玄/TUP翻訳メンバー)

------------------------------
*ムーブオンは、アメリカの西海岸の企業家の手で設立された、草の根の声の
サイト。現在200万人が会員として、参加している。
興味のある人は、下記へ。
Interested in taking on the FCC and other media-related concerns? Join
the MoveOn Media Corps, a group of over 29,000 committed Americans
working for a fair and balanced media. You can sign up now at:
<http://www.moveon.org/mediacorps/>http://www.moveon.org/mediacorps/

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

帰還兵士の健康検査問題

2003年5月6日

★湾岸戦争での苦い経験にもとづき、戦地に赴く兵士の健康を守る法律があ
るにもかかわらず、それを適用しようとしない米国防総省。軍に奉仕した兵
士たちも、これでは報われませんね。(田村優子/TUP翻訳メンバー)

★この問題で一番厄介なのは劣化ウランによる後遺症でしょうが、どんな健
康診断をどれだけ継続して行うかも注目したいと思います。対イラク戦帰還
兵士の健康検査はイギリスでも話題になり、規定どおり行われると報道され
たばかりです。ちなみに、湾岸戦争で自らも被曝しながら、米軍の劣化ウラ
ン被害防止プロジェクトを担当したダグラス・ロッキー陸軍少佐は、イラク
やアフガニスタンの住民も含めた継続的な健康検査と治療を求めています。
http://www.ribbon-project.jp/SR-shiryou/shiryou-12.htm
                    (星川 淳/TUP翻訳メンバー)

******************************

帰還兵士の健康検査問題
――独立系サイトの意見広告でペンタゴンが方針転換!?

******************************

インターネットサイト「トムペイン・コモンセンス」より

スティーブン・ローゼンフェルド記

4月30日 

 ペンタゴン(米国防総省)は「広報活動の大失敗」を避けようと、4月2
9日、イラク戦争から帰還した部隊に対し、法が定めるとおりの健康診断を
実施すると発表した。公法105−85号にもとづき、軍は派兵前後の兵士
の健康診断を行わねばならないが、同省はイラク戦争派兵前の検査を行わな
かったことを認め、また部隊が帰還後も実施しないとの見解を示していた。
こうしたペンタゴンの決定は、退役兵士の権利擁護活動家や議員、軍に助言
を行ってきた医師からの批判を招いていた。

 批判を取り上げた独立系評論サイト「トムペイン・コム」は、ニューヨー
ク・タイムズ紙に意見広告を寄稿するとともに、自らのホームページに関連
記事を掲載した。するとペンタゴンは、タイムズ紙に広告が掲載される前日
の29日午後6時20分、兵士への健康診断を実施すると発表した。

 元陸軍特殊部隊に所属し、退役兵士の権利擁護活動にたずさわるスティー
ブ・ロビンソンは、ペンタゴンの動きはトムペインの意見広告に刺激された
ものであり、広報活動における「先制攻撃のようだ」と語っている。

 意見広告の要旨は次のとおり。

 合州国公法105−85号はペンタゴンに対し、戦地に赴く部隊の兵士に
ついて、派兵の前と後に身体検査を実施することなどを定めている。ところ
が、カンザスシティー・スター紙が3月に報じたところでは、イラクに派兵
された部隊には、法の定める身体検査や血液検査が実施されなかったという。 

 ペンタゴンは法に従わなかったことを認めている。総じて健康な兵士たち
に健康診断を行うことは意味がなく、簡単なアンケートで十分だというのだ。
また、短期間で戦争に突入したため、事前の検査の時間がとれず、帰還後も
兵士は足止めを嫌うだろうというのが言い分である。

 この問題で3月25日に議会の公聴会を開いたクリス・シェイズ下院議員
は、そんな言い訳には納得していない。「法の条文を守らないのは、法の精
神にもとることだ」と、シェイズ氏は公聴会に出席したペンタゴンの証人に
語った。公聴会では、兵士の健康保護について軍に助言をする医師たちから
も、懸念が表明された。そのひとりであるマニング氏は、「法は重要な使命
を担っているが、実施が断片的でしかない」と指摘する。

 公法105−85号は、兵士の健康保護について軍に助言する医師たちの
勧告や、過去の退役軍人の悲しい経験を踏まえて、1997年に成立した。
過去に、何万人もの兵士が、退役軍人に与えられる政府の医療サービスを何
年も待たねばならなかったのだ。なぜか? それは、「湾岸戦争症候群」と
呼ばれる疾患が兵役に由来すると、ペンタゴンが決定に至るだけの医療デー
タが不足していたからだ。

 「戦地に赴く兵士を守るための法が無視されている。兵士は、兵役に起因
するかもしれない疾患や障害について、またもや否定とごまかしに苦しめら
れる」と、元陸軍特殊部隊のスティーブン・ロビンソン氏は訴える。

 この問題については会計検査院が調査を実施することになり、報告が夏に
出る予定だが、それを待つ間、ラムズフェルド長官に問いただしてみたい。

(翻訳:田村優子/TUP)

http://www.tompaine.com/op_ads/opad.cfm/ID/7673

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

ブッシュ陣営・あぶない虚言録

2003年6月12日

 イラク戦争の口実だった大量破壊兵器がいまだに見つからないので、ブッシュ政権
はなにかと「言いわけ」に忙しい。
 彼らのついた「ウソの数々」は、ウォーターゲート事件以来の政治スキャンダルに
発展するのでは? と一部で報道されている。
 そこで、さまざまな論考に引用されたブッシュ陣営による「大量破壊兵器のウソ」
を、発言順にまとめてみた。

                 (パンタ笛吹/TUP翻訳メンバー)

・・・・・・・・・・・・・・
ブッシュ陣営・あぶない虚言録
・・・・・・・・・・・・・・


☆率直に言って、サダム・フセインが大量破壊兵器を持っているということは、疑い
ようがない。サダムは、それらの大量破壊兵器を我が国や友好国を攻撃するために、さ
らに備蓄しているのは間違いない。

            チェイニー副大統領・会議講演 2002年8月26日


☆サダムはいま自由だ。われわれは、サダムが核兵器を作っているという証拠をつか
んだ。彼は生物化学兵器にも改良を重ねている。アルカイダとフセインが共謀してテロ
を起こす恐れがあり、私はサダムの脅威を世界に警告する。
 
            チェイニー副大統領 CNN対談 2002年9月10日

☆いまこの時、イラクは生物兵器の生産施設を改良し、拡張している。

            ブッシュ大統領・国連演説  2002年9月12日


☆イラクは生物化学兵器を備蓄し、さらに多くの兵器を作るために兵器工場を再建し
ている。

            ブッシュ大統領・ラジオ講演 2002年10月7日


☆わが諜報担当職員は、イラクが生物化学兵器を搭載し、広いエリアを攻撃できる有
人・無人の飛行兵器を開発していることを発見した。イラクがこれらの飛行兵器でアメ
リカ本土を直撃しようともくろんでいることに、われわれは憂慮する。

 また、サダム・フセインが、「核兵器による聖戦部隊」と呼ばれる核科学者たちと
何度も会合をくり返し、核兵器生産を再開しているという証拠も、われわれはつかんだ。
 スパイ衛星写真は、再建された核兵器工場の所在を明らかにした。またイラクは、
核爆弾製造目的で、遠心分離器に使うための高強度アルミニウム管も購入しようとして
いたのだ。

 ブッシュ大統領・オハイオ州シンシナティでの講演 2002年10月7日

☆あなた方は、ブッシュ大統領が、「サダムは大量破壊兵器を持っている」と何度も
繰り返して言っているのを聞いただろう。
 もしフセインが(大量破壊兵器を)何も持ってないと宣言するのなら、彼は今回も
また、世界をまどわそうとしているのだ。

            フライシャー報道官  2002年12月2日
 

☆われわれは、事実として、(大量破壊)兵器がそこに隠されていると知っている。

            フライシャー報道官  2003年1月9日

☆われわれの諜報当局は、イラク政府が500トンにもおよぶサリンやマスタードガ
スやVX神経ガスなどの原料を隠し持っていると推定している。
 また、サダム・フセインは、25000リットルの炭疽菌や38000リットルの
ボツリヌス菌を貯蔵し、30000発の生物化学兵器を搭載できるロケット弾を持っ
ている。

            ブッシュ大統領・一般教書演説 2003年1月28日
 

☆われわれは、サダム・フセインが大量破壊兵器を持ち続けることを知っているし、
また彼がもっと多くの兵器を生産しようとしていることも知っている。
 イラクは移動式生物兵器製造施設を隠しているし、化学兵器を積める6500発に
ものぼる弾頭は、いまだに行方不明である。
 
               パウエル国務長官・国連演説 2003年2月5日


☆サダム・フセインは近ごろ、化学兵器を戦闘で使う許可を指揮官たちに与えたとい
う情報をわれわれは得た。この独裁者は、自分たちは化学兵器など持っていないと公言
しいてるのにである。

            ブッシュ大統領・ラジオ講演 2003年2月8日
 

☆バグダッドの指導者(フセイン)が、大量破壊兵器を破棄すると戦略的に決意した
かというと・・・われわれの判断では、フセインにそんなつもりは全くないのは明らか
だ。     
            パウエル国務長官    2003年3月7日


☆米英の諜報局が集めた証拠によると、フセイン政権が、史上最も殺戮力の強い破壊
兵器を隠し持ち続けていることは、疑いようのない事実だ。

          ブッシュ大統領・国民向けテレビ演説 2003年3月17日


☆私はサダム・フセインがアルカイダに生物化学兵器を供給したと信じている。
実際、イラクはすでに核兵器を再編成しているのだから。

       チェイニー副大統領・TVインタビュー 2003年3月16日


☆イラクが大量破壊兵器、特に生物化学兵器を持っているという情報と証拠をわれわ
れが持っているので、これはもう疑いようがない。
 これらの証拠は、どれくらい時間がかかろうとも、戦争が進むにつれて明らかにさ
れていくだろう。

            フライシャー報道官  2003年3月21日


☆サダム・フセインが大量破壊兵器を隠し持っていることには、疑いのはさみようが
ない。作戦が遂行される過程で、それらの兵器は調査され、発見されるだろう。また、
それらを作った科学者や、兵器を守る兵士たちも、一緒に逮捕されるだろう。

            トミー・フランクス陸軍大将  2003年3月22日


☆作戦目標の一つは、大量破壊兵器を見つけだし、破壊することだ。われわれは、い
くつかの候補地を知っている。

            クラーク国防総省報道官 2003年3月22日


☆われわれはもうすぐ、大量破壊兵器を発見した! という大ニュースにお目にかか
るだろう。

            エイデルマン国防会議員 2003年3月23日


☆われわれは、(大量破壊)兵器が、どこにあるか知っている。それは、ティクリッ
トとバグダッド周辺、その東か西か、南か北だ。            

             ラムズフェルド国防長官 2003年3月30日


☆まちがいなくブッシュ政権は、米軍が見つけた大量破壊兵器はすべて公表する意向
だ。それも大量にあることだろう。

            ロバート・ケーガン(ネオコン理論家) 4月9日


☆みなさんが今までお聞きになったように、またこれからも聞くように、自信を持っ
て私は断言します。「大量破壊兵器は、必ず発見されます」と。

            フライシャー報道官  2003年4月10日


☆われわれはイラクの科学者や政府や軍の人間たちから、大量破壊兵器について情報
を集め、協議している最中だ。サダムはそれらの兵器をすでに破壊したか、いくつか
は分散させたかだろう。どちらにしろ、われわれは兵器を見つける。

           ブッシュ大統領・TVインタビュー 2003年4月24日


☆イラクには、大量破壊兵器について、われわれが必要としている情報を持つ人間が
いる。だから、われわれはその兵器を突きとめることができる。

           ラムズフェルド国防長官   2003年4月25日


☆われわれは必ず見つける。あとは、時間の問題だ。

           ブッシュ大統領   2003年5月3日


☆私は大量破壊兵器の存在を明らかにする証拠を、見つけることができると、確固た
る自信を持っている。

           パウエル国務長官    2003年5月4日


☆イラクでは、(ただぶらぶらとしていて)大量破壊兵器につまずくなんて、そんな
甘い考えは持っていない。

           ラムズフェルド国防長官   2003年5月4日


☆そろそろ大量破壊兵器が発見されても、私は驚きはしない。なぜなら、サダムは兵
器開発計画を持っているからだ。

           ブッシュ大統領   2003年5月6日


☆アメリカ政府は、大量破壊兵器が、「車庫のドアを開けたら、そこにあった」など
と、そんなに簡単に見つかるとは期待してはいない。

           ライス安全保障担当補佐官   2003年5月6日


☆それが、もう何年も前に破棄されていたのかどうか、私には分からない。数年前ま
で化学兵器があったことは疑いないが、戦争直前に破棄したのか、まだ隠されているの
か、それも私には分からない。

           パトレアス少将 101空挺団指揮官 5月13日


☆私はその答えを知らないけど、フセインたちは、(大量破壊兵器を)戦争が始まる
直前に破棄する時間があったのかもしれない。

           ラムズフェルド国防長官   2003年5月27日


☆ホワイトハウス内部の官僚のせいで、(イラク攻撃を正当化する)理由として、大
量破壊兵器に焦点をしぼることにした。というのは、大量破壊兵器だけが、誰もが納得
できる理由だからだ。

            ウォルフォウィッツ米国防副長官 2003年5月28日


☆われわれが禁止された兵器やそれらの製造機器を未だに発見していないと言ってい
る人たちは、まちがっている。なぜなら、われわれはそれらの禁止兵器をすでに見つけ
たからだ。    
(訳者注:この禁止兵器とは、移動化学トレーラーを指すものと思われるが、それは

気球を膨らますためのイギリス製・水素製造車だということが判明した)

             ブッシュ大統領   2003年5月30日


☆大量破壊兵器がいまだに見つからないのは、驚きだ。われわれが努力していないと
いうわけではない。われわれは、クウェート国境からバグダッドにいたるまで、ありと
あらゆる候補地を探し回った。しかしただ単に、大量破壊兵器など、どこにもないのだ。

             コンウェイ第一海兵隊中将 2003年5月30日


☆イラクは大量破壊兵器の開発計画を持っていた。そのことを時間とともに解明でき
ることを、私は確信している。
 世界はこれまでより平和になったし、イラクの人々は解放され、自由になった。

             ブッシュ大統領   2003年6月9日


・・・以上が、大量破壊兵器に関する発言だ。
これらのウソにより、数千人の市民が殺され、数万人が傷ついて、今も苦しんでいる
ことを、忘れてはならない。

                   (抄訳・パンタ笛吹/TUPメンバー)


http://www.bayarea.com/mld/mercurynews/6010098.htm
http://www.cnn.com/2003/LAW/06/06/findlaw.analysis.dean.wmd/
http://billmon.org.v.sabren.com
http://truthout.org/docs_03/060303A.shtml
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

勘定に入らない人々
――なぜ、イラク戦争の民間人犠牲者を忘れてはならないのか――
2003年5月14日

イラク戦争のさなか、バグダッド攻略がたけなわのころ、「米英軍の戦死者は
個別に勘定される。イラク軍の死者は100人単位で勘定される。だが、民間
人死者となると、勘定さえされていない」と、(日本の)テレビのニュースキャ
スターがコメントしていました。
命の軽重に差がつけられる、戦争の本質をマーク・エングラーが抉ります。
(TUP 井上 利男)

-------------------------------------------------------------------

『勘定に入らない人々
――なぜ、イラク戦争の民間人犠牲者を忘れてはならないのか』
        マーク・エングラー
        2003年5月12日

【原文】
http://www.tompaine.com/feature.cfm/ID/7753
-------------------------------------------------------------------
イラク侵略戦争が終結して、翼賛論調と高揚感がすっかりアメリカ国民全体の
気分に浸透してしまった。テレビのニュースキャスターたちと国防省は、アメ
リカが喜びに包まれていると意気投合している。兵たちは大いに得点を稼い
だ。
大統領と将軍たちに反対の論陣を張った私たちは、輝かしい戦勝を目の当たり
にして、恥じ入るしかない。

広く行き渡った自己満足気分の中で黙殺された、何よりも重要な疑問点が一つ
ある。批判を許さない雰囲気のもと、「何が犠牲になったのか?」と、あえて問
う人はほとんどいない。

外国のテレビ画面では、海兵隊の電撃作戦と空軍の爆撃が人命の犠牲を生み出
している。アメリカ国内で、記者会見するドナルド・ラムズフェルドの顔が戦
争の唯一の象徴になったのにひきかえ、世界の他の国々では、バグダッドの爆
撃で、両親と8人の家族を失い、なおかつ自らの両腕を失った12才の少年、
アリ・イスマエル・アバスの映像が放映された。

もちろん、、このような映像を政治宣伝の食い物にした勢力もある。もちろ
ん、
殺戮場面を追い求めて、時として、趣味の悪い興味本位に終わったこともあ
る。
だが、アメリカ国民にとって、死んだ人々を見ることがあっても、見ぬふりを
した結果の影響は何だったのだろうか?

戦争による民間人死亡者数推計値は入手可能である。イギリスのボランティア
19人が創設した『イラク・ボディカウント(イラク戦争死者累計
IraqBodyCount.org)』というウェブサイトでは、『最低限』2050人の死者
が数えられている。この数値は、報道された死亡事例を合計したもので、あく
までも最小値である。 もっと完全に数え上げることが可能ならば、瓦礫の中
に埋まったまま、黙して死んだ人々、傷病者で溢れかえり、ついには略奪に遭
った病院に、傷ついて収容され、結局、死んでしまった人々など、まったく報
道されないままに死亡した何百もの、いや何千もの人々を加算しなければなら
ないだろう。

どの国も、あるいはどの『国際組織』も、このような推計作業に着手していな
い。イラク・ボディカウントのジョン・スロボダは、「戦争のさなかにスイス政
府が問題提起したが、政治的圧力を受けて、潰えてしまった」と語る。

この事実が抱えるジレンマは、昔ながらのものであり、危険なものでもある。
生命の重さはどれほどだろうか? 問題になるまで、何人死ねばいいのだろう
か? 適切な答えなど、ありえない。戦争の残忍窮まる場面のみに注目すれ
ば、
他の死者を見逃してしまう。過去10年にわたる経済制裁のために、何十万も
のイラク民間人が死亡した。サダム・フセインの責任も大きいが、初めから終
りまで、アメリカは手を下す権限を行使してきたのだ。制裁が長びけば、もっ
と多く死んでいただろう。それに、イラク征服で弾みがつき、起こりうる将来
のさらなる侵略の結果として、あるいは復讐行為の結果として、これから何人
殺されることになるのか、知る術もない。

作戦行動中に殺されたアメリカとイギリスの兵士の数は、もちろん、ワシント
ンが細大漏らさず計算している。だが、民間人の死亡数の計算については、考
慮さえも論外のこととされている。ジャーナリストの多く、とりわけテレビ報
道陣は、このような公式見解を大本営発表として受け入れている。

もっとも信頼できる部類の新聞でさえも、推計困難という思い込みを呪文にし
てしまった。「(殺された民間人の)正確な数は、明らかではないし、これから
も知ることはできないだろう」と、ニューヨーク・タイムズは書いた。「最終的
な死亡数が確定することはないだろう」と、ワシントン・ポストは書いた。繰り
返し繰り返し、報道記者たちは正確な集計が困難であると指摘する。

表面的に見れば、これは謙遜の表明であり、軍事紛争が必然的にもたらす無知
蒙昧を正直に告白していると受け止めることもできる。だが、ある限界を超え
れば、計算を放棄し、あるいは試算さえ拒む、この傾向はまったく別のものに
転化してしまう。

それは、政治的否認の一形態になってしまった。

ごく稀にだが、民間人死亡者に関する政府の表向きの立場に触れるだけでは済
まない速報記事が、戦争の人間的側面を露わにしてしまう。若い兵たちが命の
危険に脅えつつ、急を要し、困難な決断に身を委ねるしかない一方で、人間の
命に対する驚くべき鈍感さをも浮き彫りにしてしまったのだ。幾度も引用され
た報道だが、数人の民間人に混じっていた一人のイラク兵に向かって海兵隊が
発砲した突発的な事態を、シュランプという軍曹がニューヨーク・タイムズに
語っている。その時、一人の女性が殺された。「悪いと思う。だが、その小娘
が邪魔だった」と軍曹は言った。

海兵隊に向かって接近してくる車列にぎっしり乗り込んでいるのが、敵なの
か、
あるいは無害な民間人なのか、判断がつかないまま、発砲してみると、民間人
だったという状況を、もう一人のタイムズ記者が報道している――

「一人、また一人と、民間人が殺された。海兵隊の位置から数百メートル先
で、青いミニバンが撃破された。3人が殺された。杖を突いて、道端を歩いて
いた老人が撃たれて、殺された。彼が何をしていたのか、分からない。たぶ
ん、
動転しつつ、街から逃げようとしていたのだろう。数台、別の車が撃破され
た。
10人ほどの死体が残った。二人を除いて、明らかに、軍服も着用せず、武器
も持っていなかった」

「中隊指揮官は、乗員を殺傷することなく、車両を無力化することを図っ
て、
狙撃手が何発か撃つまで、発砲は控えるようにと部下に命じていたと、記者の
前方、道のずっと向こうにいた二人のジャーナリストが明言した。指揮官は、
『民間車両は狙撃手に任せろ』と言っていた。だが、狙撃手が威嚇射撃を始め
たとたんに、他の海兵隊員たちもM-16機関銃や自動小銃を撃ちまくってし
まったようだ」

「射撃が止むと、分隊指揮官は、『俺の部下たちは情け容赦がない。抜群
だ』と叫んだ」

侵略はテレビゲームではないと思い知らされるだけであるとしても、現実の戦
闘で殺された民間人の数が問題になる。戦争の道具がいかに洗練されようと
も、
戦争なるものは、罪なき脇役の『付随的被害』を常に伴うだろうから、それが
問題になるのだ。

生命に対する、このような冷淡な無関心は、最前線の軍曹たちや分隊指揮官た
ちに限られているのではない。それは、次はシリア、さらにイランと、さらな
る征服を手配しながら、犠牲者を数えない政府が育んでいる姿勢なのだ。

それは、戦時を超えて平時にも、社会にはびこる態度であり、私たちが国名の
発音を学びさえしない、そしてアメリカの強硬派たちが『ならず者』国家呼ば
わりしている国々の国民に対する私たちの偏見を導いているのである。

戦争と略奪、憎しみとテロの連環を断ちきるために、いつの日か、アメリカ
は、
単にこの度の戦争だけではなく、常に無視してきた死者の数を数えることから
始めなければならない。そして、この作業は、計測可能であると思い定めると
ころから始めなければならない。なぜなら、いったん開始すれば、二千程度の
問題ではなく、さらには20万でも収まらないと思い知ることになるからであ
る。

この世界の大部分が、計算対象として名乗りをあげるだろう。

-------------------------------------------------------------------
【筆者】マーク・エングラー――ニューヨークで活動する作家。
【資料調査協力】ケイティ・グリフィス
-------------------------------------------------------------------
(翻訳 井上 利男/TUPスタッフ)

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

ラムゼー・クラーク元米司法長官からブッシュ大統領への書簡

 朝日新聞5月16日朝刊は、新任のイラクに着任したブレマー文民行政官が「治
安回復」を最優先課題とするようORHA(復興人道支援室)スタッフに指示し、
また、在バグダッドの陸軍第3歩兵師団のブロウト少将も銃を持たない略奪者に
も発砲する可能性を示唆した、と報じています。このようなニュースに接して、
クラーク元米司法長官がブッシュ大統領に送った発砲許可の撤回を勧める書簡
が、5月15日に受信したA.N.S.W.E.R.からのメールニュースに載っていましたの
で、翻訳提供します。
 もともとアメリカが略奪を煽動したとの報道もあり、複雑な想いです。
A.N.S.W.E.R.(Act Now to Stop War and End Racism 戦争を止め人種差別を終ら
せるために今こそ行動を)は、イラク侵略に反対する世界中の反戦運動の協働行
動を提起してきたアメリカの市民組織です。 (TUP 寺尾 光身)

----------------------------------------------------------------

ラムゼー・クラーク元米司法長官からブッシュ大統領への書簡

        2003年5月14日

【原文】
1.International ANSWER のウェブサイト
http://www.internationalanswer.org/news/update/051503rc2bush.html
2.ラムゼー・クラークさんが立ち上げた International Action Center の
ウェブサイト(こちらがオリジナル)
http://www.iacenter.org/
-------------------------------------------------------------------

2003年5月14日

ジョージ・W・ブッシュ大統領閣下
ホワイトハウス
ファックスにより送付:202-456-2461
1600 Pennsylvania Ave., NW
Washington, D.C. 20500

ブッシュ大統領閣下

 本日の報道によれば、イラクの米軍兵士に略奪者に対する発砲が許可されると
のことですが、これは直ちに撤回されるべきです。戦争諸法規はもとより、平和
の概念も、また「アメリカの正義」の適法な如何なる定義も、兵士および警官に
略奪者に発砲する権限を与えておりません。略奪者に発砲した兵士は、被弾者に
傷害を与えれば武器による暴行を、死に至らしめれば謀殺を犯したことになりま
す。若い米軍兵士の手と良心にイラクの人々の血をしみつかせるようなことを貴
方はしてはなりません。

 1960年代の人種暴動の時期には、「略奪者に対する発砲について多くの思慮を
欠いた発言」がありました。司法長官として私は、「この話はおしまいにすべき
だ!」「もしアメリカに一片の良心があるのであれば、こんな略奪者に発砲する
などと言うとんでもない話から目を覚まし、現実を直視すべきだ。」「略奪者へ
の発砲は効果をあげるどころか、人種間の亀裂を深め、怒りをかき立て、憎悪を
助長し、さらに暴力に向かわせる・・・。これがアメリカの正義だろうか?」と
発言しました。

 火器をはじめ人を死に至らしめるような暴力装置は、直接的かつ差し迫った人
命への脅威を抑止するのに必要な場合の、最後の手段としてのみ使用が許される
ものなのです。

 新たに略奪者への発砲を許可することは、既に衝撃と畏怖作戦によってイラク
市民に対してなされた過剰な武力使用という問題をさらに悪化させます。それは
アメリカ合州国がイラク市民の生命を尊ばず、武装兵力を用いて意のままにイラ
ク市民を殺すことを意味しています。

 更なる死と我が国への更なる憎悪を防ぐには、貴方が時を移さず適切な措置を
とることしかありません。

敬具
ラムゼー・クラーク

-------------------------------------------------------------------
(翻訳 寺尾 光身/TUPスタッフ)
ラムゼー・クラーク元米司法長官から
ブッシュ大統領への書簡
2003年5月16日
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

世界最大企業ベクテル:企業支配拡大に戦争という口実

2003年5月19日

1982年に「科学・技術・エコロジーのための研究基金」をインドで創設
したヴァンダナ・シヴァは、物理学者でエコロジスト、活動家、作家など多面
な顔をもつ、第3世界を代表する論客のひとりです。彼女の一貫した反グロー
バリズム精神はこの論文にいかんなく発揮されています。じつは、このタイトル
の前半分は「ベクテルと水のための血」というのですが、いま、インドをはじめ
第3世界の国々は水道の民営化問題で大揺れに揺れています。ベクテルは世界
で200の水事業に関わっており、グローバリゼーションの最大旗手といって
もいいでしょう。
(森田 玄/TUPメンバー)


「世界最大企業ベクテル:企業支配拡大に戦争という口実」
ヴァンダナ・シヴァ
5月12日 Zネットマガジン


対イラク戦争が始まって1ケ月もたたないうちに、本当の勝者が姿を現わしつ
つある。ベクテルはイラク再建のため6億8千万ドルの契約をものにした。ア
メリカ主導の戦争がまずイラクの病院、橋、水道施設を爆撃し、こんどはアメ
リカ企業が入念な破壊のあとの復興事業から利益をむさぼりはじめている。

血は石油のためにだけに流されたのではない。狙いは水道やほかの生活必需サ
ービスの支配にもあったのだ。経済成長の鈍化とグローバリゼーション停滞の
折、戦争は企業支配拡大の都合のいい言い訳になった。WTOで不足なら戦争
を使えばいい。

これが、アメリカを支配し、また世界を支配しようとしている新保守主義者た
ちの基本的な経済・政治哲学らしい。この1ケ月で明らかになったのは、新世
界秩序が徹底した腐敗の上に成り立っていることだ。

ボブ・ハーバートが「戦争の効用はベクテルに聞け」で述べているように(ヘ
ラルド・トリビューン、2003年4月22日号)、どこかでジョージ・シュ
ルツがほくそ笑んでいる。軍産複合体の説明にだれかの写真をつけるならもっ
てこいのシュルツは、ロナルド・レーガン大統領のもとで国務長官を務めたが、
サンフランシスコに拠点をおくベクテル・グループの長年の重鎮で、かつては
社長の座につき、現在は同社役員で最高顧問になっている。

米地上軍がバグダッドに迫る皮肉なタイミングで、今月、帰らぬ人となった反
戦ソウルシンガーのエドウィン・スターとは違い、シュルツは戦争の効用をわ
きまえている。そして、彼はこのイラク戦争を喉から手が出るほど求めていた。
シュルツは主戦論の最右翼を担う「イラク自由化委員会」の議長を務めていた
が、この委員会は石油資源豊富な同国の政治的民主化にとどまらず、アメリカ
が儲けやすい“経済復興”にまで狙いを定めていた。

「今行動しよう、危機は迫っている」というタイトルのもと、昨年9月ワシン
トンポストへの意見投稿記事でシュルツは、「フセインに対する即時軍事行動
とフセイン後のイラク再建に向け、多国間協力のための強力な準備ができてい
る」と書いた。いったい彼は、その再建準備をどの会社が采配すると考えていた
のだろうか。

先週、シュルツのベクテル・グループは戦争の効用を端的に示してくれた。ブ
ッシュ政権はベクテルに最初の大規模なイラク再建契約を与えた。18ケ月で
6億8千万ドルというこの契約により、1000億ドル以上にのぼるであろう
イラクの長期復興再建事業の先鞭をベクトルが勝ちとったことになる。ベクテ
ルは金儲けのライセンスをもらったようなものだ。しかもそのライセンスは、
ブッシュ政権との結びつきが深い一握りのアメリカ企業だけで密室決裁された
ものだ。サダム・フセインの独裁制がアメリカ企業の独裁制にとって替わられ
つつある。それら企業の役員室に座っている人間たちと、ホワイトハウス、国
防総省、各政府機関に座っている人間たちのあいだには、ほとんど線引きがで
きなくなってしまった。

不透明性と腐敗。重症急性呼吸器症候群(SARS=新型肺炎)で中国の不透
明さが露呈した。ベクテルがイラク復興事業の最初の契約を得たことは、企業
ルールが不透明性、秘密主義、腐敗のもとで決められている顕著な例だ。ボリ
ビアやインドの水道民営化契約であれ、イラクの復興事業契約であれ、秘密主
義と民主主義と透明性の欠落が、市場と利益獲得手段の特徴だろう。「自由貿
易」のどこにも自由などありはしない。それは高圧的で腐敗し、嘘にまみれて
暴力的である。企業支配がサダム・フセイン型独裁制への代案になることはあ
りえない。それは独裁制の入れ替えにすぎない。国を乗っ取り、市場獲得のた
めに軍事力を行使する企業の新たな独裁制がはじまるだけだ。

企業独裁制に固有の不誠実さと欺瞞について、「イラク自由作戦」の名でそれ
を押しつける人間たちは、はっきり見抜けないらしい。その原因は、自由と創
造に関する根本的混乱にあるようだ。

7000年におよぶメソポタミアの歴史が米軍の目前で破壊されたとき、ドナ
ルド・ラムズフェルドは、「自由な人々は自由に間違いをするし、犯罪も犯し、
悪事もはたらくものだ」という不見識で無責任なコメントを吐いた。この理屈
でいけば、世界貿易センターに飛行機を激突させたテロリストたちは「犯罪を
犯し、悪事をはたらく」合法的な自由を行使していたことになる。そして、米
軍がバグダッドとその歴史的遺産の略奪を黙認してかまわないという同じ理屈
から、アメリカは9・11以後の対テロ戦争を始める権利をもたなかったこと
になる。

戦争で他国に「自由」をもたらそうとしている連中が考える人間的自由に混乱
があるのと同様、再建と「破壊」についても混乱がある。イラクで起きたこと
は破壊だ。なのに、それが再建という話にすりかわっている。無実の人たちが
殺され、何千年におよぶ文明の歴史が破壊と消滅の憂き目を見た。

ところが、復興人道支援局(ORHA)の責任者に一方的に任命されたジェイ
・ガーナー元米陸軍中将は「イラクに新しいシステムを誕生させる」という。
爆弾が社会を「誕生」させることはない。生命を抹殺するだけだ。古代文明の
歴史・文化的遺産を破壊して、新しい社会など「誕生」するはずがない。イラ
クの歴史的遺産を破壊されるまま黙認したのは、この新しい社会「誕生」幻想
を振りまく必要条件だったのかもしれない。

アメリカの指導者たちは、彼ら自身の社会がアメリカ先住民の皆殺しの上に建
てられたため、この冒涜行為が見えないのかもしれない。「他者」の抹殺も、
世界唯一の超大国の実権を握る人びとには「自然」なことのようだ。「誕生」
の過程で、文明と何千もの無実の人命を故意に破壊するという考え方が、もし
や西洋的家父長制の「創造幻想」の表れだとしたら、それが破壊を創造と、抹
殺を誕生と取り違える混乱を招いているのだろう。

「創造幻想」は、資本と機械(戦争機械を含む)を「創造」の源泉とみなし、
自然と人間社会、とくに西洋以外の社会を、死んだ、無力で、受身なものか、
危険で残虐なものとみなす。この世界観から、暴力に訴えてでも自然と非西洋
社会を解放しなければという「白人の責務」観念が生まれ、それを自由の「誕
生」と錯覚させるのである。「再建」の名のもとでイラクに略奪と暴力の経済
を打ち立てることの裏に何があるにせよ、ベクテルのような企業が戦争利益を
むさぼる事実は、戦争が手段を変えたグローバリゼーションであることを実証
している。全世界の人々にとっての課題は、反グローバリズム運動と平和運動
と真の民主化運動のエネルギーをひとつにまとめることだ。

私たちの課題は、自由の本当の意味を取り戻すことであり、それが「自由貿易」
とか「イラクの自由作戦」といった詭弁に貶められている状態から救い出すこ
とである。自由貿易協定とWTO規定に則って求められる「自由」や、イラク
戦争で得られる「自由」とは、企業が利益を享受する自由にほかならない。こ
んな自由は略奪のライセンスだ。そして企業の略奪と企業の自由が、民主主義
と人々の自由と社会を破壊している。全世界の人々が求めている自由は、軍国
主義と戦争で支えられた企業独裁制からの自由だ。このことはイラク市民にと
って重要であると同時に、軍隊や「自由貿易」協定で護られたグローバル企業
の侵略を受けているほかの国々の市民にとっても、またアメリカ市民にとって
も重要である。

ベクテルの契約と「復興」利権をもたらしたイラク戦争は、アメリカ企業と境
目がなくなったアメリカ政府の経済的・政治的決定について、民主主義と透明
性とアカウンタビリティ欠落の問題を浮き彫りにした。政府が企業利権の道具
になった政権はもはや民主主義ではない。「人民の、人民による、人民のため
の」統治が、「企業の、企業による、企業のための」統治に変質している。生
きた民主主義のためには、アメリカとイラク、そして企業独裁制が根をおろし
つつあるすべての国の政権交代が急務だろう。

(抄訳:森田 玄/TUPメンバー)

訳者注:ボブ・ハーバートはニューヨークタイムズのコラムニスト

*******************************

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

傲慢と無知――ケネディの遺産はどこへ
2003年5月25日

ケネディ大統領の特別補佐官でありスピーチライターも務めたセオドア・ソ
レンセンが、5月11日に首都ワシントンのアメリカン大学で学生に対して行っ
たスピーチはしみじみと説得力があります。そういえばアメリカも昔はまと
もだったのですね。
(川井孝子/TUP翻訳メンバー)

―――――――――――――――――――
傲慢と無知――ケネディの遺産はどこへ
―――――――――――――――――――
5月13日 トムペイン・コモンセンス掲載

セオドア・ソレンセン

故ケネディ大統領が40年前に立たれたこの演壇に立ち、身に余る光栄です。
ケネディ大統領は「平和への戦略」と題した歴史に残る素晴らしい演説で、
冷戦の見直しと、アメリカの武力によらない平和の追求を呼びかけました。
この演説はキューバ危機に言及しましたが、同危機は軍事力の発動なく解決
されました。その後も大統領は矢継ぎ早にさまざまな改革を実行に移しまし
たが、この時期に大統領が署名した部分的核実験禁止条約は、核時代におけ
る軍縮への第一歩でした。

●ケネディ大統領の平和戦略

ケネディ大統領は本学の演壇で演説を行い、「最も敵対的な国々も国際条約
の義務を守ることが自国の利益になる」として、「すべての隣人を愛する」
理想を求めるより「互いに寛容の精神をもって共存する」現実主義と、 「対
立を公正かつ平和的に解決」できる「世界法」を提唱するとともに、国連の
財政強化により法にもとづいて対立を解決できる安全保障システムの構築を
訴えました。アメリカが武力ではなく模範によって、一国主義的な武力では
なく多国間外交によって、世界をリードすることを唱えました。ケネディ大
統領が伝えようとしたのは、平和と正義を重んじるアメリカの価値観、すな
わち平和を愛するアメリカ人の最良の本能ともいえるものです。この価値観
を保持することで他国からの尊敬を勝ち取れば、恨みや攻撃の標的となるこ
とが避けられ、アメリカ国民の安全が確保されるという主張でした。

●今日の戦争戦略

残念ながら、これから皆さんが巣立ってゆくのは、ケネディ大統領の平和戦
略を忘れ去り、絶滅戦略へと後退した危険な国です。皆さんが引き継ぐ世界
は、狂信的な若者を使った自爆テロや、国防省ご自慢のバンカーバスターな
ど、いたるところ兵器だらけです。アメリカ人が自分達の身の安全を不安に
思うのも無理はありません。

イラクの独裁者を追放した我々のめざましい勝利を見て、アメリカの攻撃を
抑止するには自ら核武装するしかないと考えた国々もあります。米国防総省
も、以前には現実性がないとされていた核兵器の使用を検討しているといわ
れています。国連決議もなく、差し迫った危険の確かな証拠もなく、国際法
に違反して開戦してしまった以上、我々は他の国々がこの前例にならってア
メリカやその他の適国を不意討ちしてくる可能性に怯えなければなりません。

解決のきざしはありません。テロに対する戦いを第三次世界大戦とするなら
ば、敵対国に対して現在検討中だという攻撃の新段階は、終わりのない第四
次世界大戦ということになります。敵国の多くは宗教、イデオロギー、民族
的に過激で交渉は難しく、抑止力もききません。テロに対する確実な解決策
などないのです。テロリストは、アメリカを含めほとんどの国に潜んでいる
可能性があります。その国々をすべて攻撃するわけにはいきません。一部に
熱狂的信者がいるからといって、イスラム諸国を相手に宣戦布告することも
できません。イスラム教徒のほとんどは、イスラムの歴史、文化、人道的・
平和的な伝統、他宗教に対する寛容を誇りとしています。異教徒を改宗させ
ようとする不用意な「十字軍」発言が、彼らを憤激させてしまったのです。

残念ながら、軍事的勝利ばかりを急ごうとする今日では、このような不用意
な発言もめずらしくはありません。アメリカが宣言した先制攻撃主義は、こ
うした攻撃を得意とするテロリストを喜ばせるものですが、先制攻撃が世界
中で起これば、各国が大量破壊兵器を備え、最速・最強の爆弾を持つ国が勝
利をさらい、法を守る者が苦しむことになる、弱肉強食の世界的な無法状態
を招きます。先制攻撃で他の国に民主主義を強制しようとする輩は、これを
「新現実主義」と呼びますが、一国だけで他国の運命を決定できるという考
え以上に非現実的なものがあるでしょうか? アメリカが卓越した軍事力に
より道徳的な優越性までも手にしたという錯覚は、力を笠に着た傲慢と歴史
に対する無知からしか生まれません。

戦争を始めて勝利することだけを目指すならいざ知らず、ケネディ大統領が
唱えたように戦争とその恐怖の回避を目標とするなら、それは達成できてい
るとはいえません。しかし「勝てば官軍」の風潮が高まっている今、大方の
アメリカ人はこれを認めないでしょう。民主・共和両党とも相手以上にタカ
派になろうとし、諸国間の平和的な協力を唱える者を悲愛国的だとしてけな
す始末です。ベトナム戦争以来続いてきた反戦の気運は、説得よりも侵略を
良しとする風潮にとってかわられました。ケネディ大統領が40年前にこの演
壇から熱く説いた、包括的核実験禁止条約をはじめとする国際条約重視の方
針は見向きもされなくなってしまいました。現在は、アメリカが軍事力を背
景に他国の意見を無視して行動し、自国の方式を他国に押しつけることので
きる「アメリカの世紀」だと言われ、アメリカ帝国という言葉も聞こえてき
ますが、軍事力だけに頼った帝国は例外なく滅亡してきた事実が忘れられて
います。

●新しい平和戦略の提言

こうした時にこそ、ケネディ大統領が唱えた「法治世界」の実現に向かって
突き進まなければなりません。アメリカは恒久的な戦時体制に入ったわけで
はないのです。それにはまず、国際刑事裁判所に対する反対を取り下げるべ
きです。第二に、いかなる国もその国だけで戦争の正当性を決定できないよ
う、強力な国際的司法機能の確立が必要です。第三に、「法治世界」の建設
のため、大量破壊兵器、化学・生物兵器、核兵器の保持・使用を禁じる諸条
約の締結をめざして、さらなる努力を行わなければなりません。地球温暖化、
地雷、種の多様性、人権などの問題に関する条約についてもあらためて交渉
し、これらを拒否してきたアメリカは過ちを正す必要があります。さらに国
連の主導のもと、軍事力の行使に関する統一基準を定めるべきです。国際法
は都合のいいものだけ守り、あるいは相手側にだけ遵守を要求すべきもので
はなく、各国が断固として遵守することが、最も確実なテロ対策となります。

第四は国連の強化です。国連の財政と紛争処理手続きを強化し、平和維持軍
や核査察官、人権監視員、国際検察官などを増員して、問題を起こしそうな
国に送りこむのです。そして最後に、法の支配にもとづく平和な世界を築こ
うとするならば、今世紀の最も重要な戦い、すなわち貧困に対する戦いに勝
利しなければなりません。これは、希望を捨てることなく誠実に努力すれば
今世紀中に達成できる目標です。アメリカは財政的・軍事的に優位な立場に
あり、必然的に指導的役割を担うことになりますが、軍事行動におけるリー
ダーではなく人道的活動のリーダーとして、勇気を持って、戦闘ではなく調
和を追求していきましょう。

(抄訳 川井孝子/TUP翻訳メンバー)
http://www.tompaine.com/feature2.cfm/ID/7765

*トムペインコムは、独立宣言の影の起草者、トーマス・ペインに触発されて、
作られたウェブ・ジャーナルです。無料定期購読も可能です。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

ブッシュ政権の大衆欺瞞兵器

2003年6月11日

イラクのWMDがまだ見つからないので、イラク侵攻の正当性について、さまざま
な論議がなされています。関連記事もいろいろ出ているのですが、この記事は、
侵攻時に大量破壊兵器が使われなかったこと自体が、侵攻の正当性のなさを示
していると指摘しています。見落とされがちな自明の理なので、抄訳してみま
した。(丸田由紀子 / TUP)

*******************************************************

ブッシュ政権の大衆欺瞞兵器(WMD)- 重要なのは、サダムが使わなかったこと

        2003年6月5日
        イワン・エランド
        英インディペンデント紙

イラク侵攻の口実となったサダム・フセインの大量破壊兵器は、戦後2か月近
く経った今、ブッシュ政権の命取りともなりかねない熱い論争を引き起こして
いる。サダムが隠しているとされた大量破壊兵器がまだ見つからないのだ。最
近の報道によれば、開戦を正当化するため、イラクの大量破壊兵器について、
情報の無視または歪曲が意図的に行われたことは明らかである。

しかし、大量破壊兵器が見つからないことが、そんなに重要なことなのだろう
か。現在の大量破壊兵器未発見に焦点を当てた報道には、好ましくない結果を
生じる可能性がある。たとえば、最終的に、それらの兵器が発見されたらどう
なるのだろうか。ブッシュ政権が国民を欺いたという疑惑は、霧のように消え
てしまうのだろうか。イラクが大量破壊兵器を所持している確かな証拠がある
という主張は、ブッシュ政権の「小さな嘘」にすぎない。ブッシュ政権がその
軍事的冒険を売り込むため、もっと「大きな嘘」で、一般大衆を欺いたことを
忘れてはならない。つまり、サダムが彼の政権および彼自身の命取りとなる外
国からの侵略に対し、それらの兵器を使わなかったという事実自体が、すでに
ブッシュ政権の「大きな嘘」を暴いているのだ。そのような緊急事態において
も使わなかったなら、侵略下でない場合は、なおのこと使わなかっただろう。
圧倒的な核兵器保有国であるスーパーパワーに対して、サダムが大量破壊兵器
を使う可能性などなかったのだ。もちろん、タカ派は、独裁者なんて何を考え
るか知れたものではないと言うかもしれない。

しかし、サダムは、湾岸戦争時も、それ以降も、イスラエル、フランス、米英
など、核兵器で武装した強国に対しては、そのような兵器を使っていないので
ある。

ブッシュ政権のイラク侵略を正当化するもう一つの大義名分、大量破壊兵器が
フセインからテロリストに渡る危険性については、そんなことをしても、フセ
インには何のメリットもないばかりか、彼がそのような供与を行ったという記
録もない。イラクが支援しているとブッシュ政権が非難したテログループとは
、イスラエルを標的とするグループで、米国は対象外であった。また、いつ歯
向かってくるか分からず、強国との問題をさらに悪化させる可能性の高いその
ようなテロリストに、フセインが高価な武器を与えたとは思えない。

イラクが米国の脅威でなかったことを示すこれらの情報は、CIAやFBIなどから
報告されていたが、いずれも、戦争支持の強い潮流のなかで、議会や報道関係、
一般国民によって無視された。

イラク侵攻の場合のように、政策の理由付けがくるくる変わるときは、注意し
なければならない。世論の支持が得られるかどうか、さまざまな大義名分が試
されているからだ。また、いわゆるならず者国家の兵器プログラムの情報がそ
んなに不確かで、歪曲や粉飾が要るとしたら、正確な情報を絶対に必要とする
「先制戦争」を、一体どのようにして遂行できるというのだろう。大きな疑問
を感じる。

http://www.independent.org/tii/news/030605Eland.html
"The Bush Administration's Weapons of Mass Deception"

               (抄訳 丸田由紀子 / TUP)
******************************************************

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

ペンタゴン提供、戦争エンターテインメント
                       ――トム・エンゲルハート
2003年6月16日

前回の『1968−2003――ベトナム世代からイラク世代への伝言』とペ
アになった2回シリーズ。今回は、編集者トム・エンゲルハート自身の筆で、
大衆エンターテインメントに見るアメリカ国民の戦争イメージの通史を振り返
る。

騎兵隊の進軍ラッパから第2次世界大戦記まで、映画などの大衆娯楽は戦意高
揚プロパガンダの道具であるが、ベトナム戦争敗北によるアイデンティティー
喪失の悪夢を経て、現代では、戦争ニュースそのものがテレビゲーム型のエン
ターテインメントに仕立てあげられているかのようだ。

エンゲルハートは言う――「アメリカの勝利文化の再来はつかの間の夢に終わ
るはずだ」 そして、「そうあってこそ、たぶん、私たちは幸運の星に感謝すべ
きなのだ」 この言葉の中に、未来への希望を見るべきであろう。

                        (TUP 井上 利男)

[目次]---------------------------------------------------------------
序文
ペンタゴン提供、戦争エンターテインメント
『サヨナラ、ジョン・ウエィン』 西部劇の時代は過去に…
『リビング・ルーム戦争』 ベトナムの傷を抱えて…
『戦争の略取』 今ふたたび、栄光の勝利を求め…
======================================================================

[序文]

さて、ここに『過去から未来への伝言』2回シリーズの第2回(すなわち最終
回)をお届けする。2日前の第1回では、クリス・アピーが昔と今の戦死者につ
いて考察した。続けてお届けするのは、以前に私が本に書いた主題、アメリカ
の勝利至上主義、そして戦争にまつわって私たちに吹き込まれる伝説について
の私の現在の思索である。(第一次湾岸戦争を素材にした)私の見解の詳細をお
望みなら、『勝利文化の終焉(The End of Victory Culture)』を一読なさるよ
うにお勧めする。(署名)トム
----------------------------------------------------------------------

『ペンタゴン提供、戦争エンターテインメント』
――トム・エンゲルハート トム・ディスパッチ編集者
2003年5月25日
----------------------------------------------------------------------

まるでサダム・フセイン、ムラー・オマール(タリバン指導者)、オサマ・ビン・ラ
ディンがどこへとも知れず消えてしまったのと同じように、戦争がいつのまに
か消え失せてしまったように感じないだろうか? アメリカ軍の前にイラク人
が倒れ、戦車隊が北を目指し、ミサイルが家屋を撃破し、その多くが自宅リビ
ングのスクリーンの中でリアルタイムで進行しているうちに、いかにもあっけ
なく戦勝に終わった。ジェシカ・リンチの英雄的救出があった。サダム像の引
き倒しがあった。サダムの宮殿のひとつで、大理石のテーブルの奥で、我らが
将軍たちがニヤッと笑っていた。アメリカはなんて強いんだろう。戦勝に続い
たのが、略奪と発砲騒ぎ。無能な一代目の占領行政官。ガソリン・スタンドの
行列。シーア派イスラム教徒は怒っている。大量破壊兵器は見つからない。従
軍記者たちは出国し、どこへ行ったのかも分からない。カメラは向きを変えた。
リアド、カサブランカ、エルサレムで爆弾だ。足元、アメリカ国内では、夫た
ちが妻たちを殺し、妻たちが赤ちゃんを殺している。

これまでも30年近く、国民に楽しめる戦争を提供するために、ペンタゴンは
メディアの動員に励んできた。年年歳歳、封切りに次ぐ封切りで、『最高に偉
大な世代』は国民に『グッド・ウオー』なるものを上映してみせてきた。ジ
ョージやドン、それにポールや私などが、かつて遠い昔の幼いころ、暗がりに
座って、アメリカの小国民として、勝利と凱旋に彩られたアメリカのイメージ
にドキドキしながら見つめたアメリカ流の良い戦争。奇妙だ。あのころの映画
では落ち着いて戦勝を楽しめた。どこかへ消え失せるなんて思えなかった。

『サヨナラ、ジョン・ウエィン』

1990年代初頭のある時、そのころはたぶん7才だったと思うが、息子をつ
れて、カウボーイとインディアン(それに騎兵隊)が登場する、1953年製作
の立体映画『フェザー河の襲撃』を観に行った。私にとっては懐古趣味に浸る
機会だった。あの時代のハイテクSFXである3-D映像が得意技を見せて、
物がスクリーンを飛び出して、こちらへ突進してきても、今では粗雑としか言
えない技術の立体効果で、はたして私を怯ませることができるだろうかと思っ
ていた。

1953年の昔、初めて3-D映画『ティー砦』を観た時は、1本目の火矢、
それもこともあろうに私のと同じ名前が焼き鏝で刻まれたやつがスクリーンか
ら飛び出してくると、私は座席の前に転げ落ちてしまった。さて、40年後、
蛇の毒(つまり唾液)が私の方に飛んでくると、私はやはりたじろいでしまうこ
とが分かった。

だが映画そのものは、1953年当時の基準で判断しても、『襲撃』はレトロ
だった。インディアンが極悪だったし、野蛮人に捕われた白人女性たち、お馴
染みの救出という筋立ても、アメリカ文化殿堂の大衆路線コーナーに店晒しに
なった一番古いやつだった。メアリー・ローランソンが1682年に出版した
彼女自身の虜囚体験記は、アメリカ史上初のベストセラーになった。彼女が大
ヒットに恵まれたのだから、3世紀近くの後の世でも、救出劇は有効であって
もおかしくないのではなかろうか?

実際、三文小説、薬売りの客寄せショー、大衆演劇、大西部ショー、それにも
ちろん、後には映画に支えられて、3世紀もの間、栄光に包まれた戦争物語が
延々と発展してきた。映画館上映室の暗がりの中、地平線に光る銃の映像の背
後に潜むアメリカの軍事力至上主義のお話が、私が子どもだった時から、ゾク
ゾクする感覚で虜にしてしまった。

私と同世代の子どもたちの父たちは、自らの戦争体験について――戦争に行っ
た、勝った、程度しか言わず――ジョン・ウェインやゲイリー・クーパーといっ
た無口なスクリーンの巨星たちと同じように寡黙だが、その重い口から戦争に
ついて学んだのも、この勝利至上主義の視点からである。そして、私たち以前
の幾世代ものアメリカの子どもたちと同じく、棒切れ、時には軍用品ショップ
の陸海軍放出品、自分たち自身の特殊効果を用意して、裏庭や町の公園に繰り
出し、戦争で敵を掃討するシーンを自分たちで演じたものである。これは学校
の教科書の知識ではなく、私たち自身が学んだリアルな歴史であり、全ての点
で私たちに意味があるものだった。生命力のある神話と同じく、満足しうる信
念の体系だった。 今になっては、認めるには時代遅れであるように思えても、
私の幼年期のころ、子どもたちの多くにとって、映画で観た、公園で遊んだ、
あるいは床の上で人形の兵隊を動かした戦争は、成長期のもっとも楽しいでき
ごとだったと認めることが大事なのだ。

それはさておき、10年昔のあの時に話を戻せば、映画館の暗がりに座ってい
て、私は、隣りの席で静かに座っている、私の息子のことをいささか忘れてし
まっていた。やがて彼は私の袖を引っ張り、声を抑えて話し掛けてきたが、そ
れでも劇場全体に響いてしまった。「お父さん。わかんなくなったよ。ぼく、
インディアンはいい人たちだと思ってた」

あの映画館観客席に座っていた時、第一次湾岸戦争直後であり、スターウオー
ズ、ランボー、プラトーンよりもずっと後、ダンス・ウィズ・ウルブズ、トラン
スフォーマーズ、ヒーマン(学術用人体解剖構造データベース)からも後、それ
にダンジョンドラゴンの初期バージョンと最初のビデオゲーム以降の時代にな
って、私の幼年期の頃の、もっとも不可欠であり、もっともアメリカ的だった
物語が過去のものになってしまったと悟った。それは、アメリカ兵たちの隊列
が前進する時、騎兵隊ラッパが鳴り渡り、あるいは海兵隊讃美歌が湧きあがり、
背中がゾクゾクする物語が進み、負けそうにもない敵が負け、我が方は勝ち、
敵が失点し、我が方は得点する――その理由を解明してくれる物語だった。

私の息子は床で忍者タートルズとスケレターズを動かして遊んでいたが、カウ
ボーイもいなければ、インディアンの酋長もいなかった。(南軍の)灰色軍服も、
(北軍の)紺色軍服もなかった。オキナワ上陸作戦の準備がととのった緑色プラ
スチックの第二次世界大戦セットもなければ、ノルマンディでナチスと戦うG
Iジョーもいなかった。ベトナム戦争後、アメリカ流物語の語り口はすっかり
廃れてしまった。私の息子にとって、『フェザー河の襲撃』を観ることは、私
が東京の夜のホテルの部屋でサムライ・メロドラマを観るのと同じだった。ア
クションの見せ場はたっぷりあるが、何が起こってるのか、ぜんぜん分からな
い。インディアンが悪者なのはどうしてなのと息子が訊ねることは、何あろう
――アメリカの勝利の伝統は地に落ちてしまったことを示している。サヨナラ、
ジョン・ウェイン。

さて、第2次イラク戦争後、私たちは新しいアメリカの勝利の瞬間の真っ只中
にいるが、これには奇妙な点があって、この度は、私は、映画館で不信感を示
した息子の気持ちと同じ気分である。我が国の大統領があの航空母艦に着艦し、
世界を観客に見立て、シャッター・チャンスとウイニング・ランを演出して以
来、あるいはジェシカ・リンチ映画…いや失礼、捕われの白人女性が野蛮人の
手から救出されるアメリカの昔話さながらのニュースがほぼリアルタイムで放
映されて以来、私は息子の10年前の言葉について考え込んでいる。戦時中の
何週間か、『従軍』テレビ・レポーターたちが、来る日も来る日も、夜毎の褪
せた色合いの緑の画面で、ほぼリアルタイムで送り続けてきた視点は、子ども
時代の私が観た映画の画面中央で、移住者たちが幌馬車で円陣を組み、ハイテ
ク兵器構えの姿勢で、狂信者たちの襲撃に備える、あの古典的なシーンと同じ
であると理解して以来、私は息子の言葉について考えている。

『リビング・ルーム戦争』

第二次世界大戦のころ、ニュース映画が戦場から映画館まで届くのに数週間か
かり、政府が管理し、検閲したハリウッド映画が公開されるまで1年あるいは
それ以上かかった。ベトナム戦争は(ニューヨーカー誌の記者マイケル・アーレ
ンのうまい表現に従えば)『リビング・ルーム戦争』と呼ばれたが、それでも
あの頃は、ニュース映像が撮影されてから放映されるまで少なくとも24時間
かかった。だが、その後、戦争とテレビの戦争シーンとの時間差は消えてしま
い、あるいは別の言い方をすれば、逆転してしまった。ペンタゴンの担当官た
ちはこの度のイラク戦争のための準備と人員・装備の配置に1年近くを費やし
たが、リビング・ルーム戦争をほぼリアルタイムで一斉に放映するための準備
と人員・装備の配置にも、同じような時間を費やされた。

政府の戦争宣伝と、政府肝いりの戦争映像製作には長い歴史があり、ペンタゴ
ンには――軍事顧問、部隊、高価な軍用装備を貸与する契約を映画スタジオと
結ぶなど――映画製作とメイキングに参画してきた長い歴史がある。だが、最
近の射撃企画と『射撃映像』企画の両者とも、何か別の意味があると私は信じ
ている。ペンタゴンは、アメリカ式の戦争とアメリカ流の戦争神話との融合を
試みていて、今や、戦争と『戦争』とを同時進行的に進めるのに余念がない。
ペンタゴンの役人たちは、世界支配と同様、永遠に残るイメージを創造しよう
としている。だが、我が国の新しい植民地戦争とそれを伝える物語は、賞味期
間が著しく短いようだ。戦争にしても、物語にしても、進行中は意気揚々と戦
勝気分にも浸れるが、その満足感たるや、さほど長くはもたない。また、昔の
戦争物語のような賞味期限も望めないだろう。戦争にも物語にも疑問が付きま
とう。まさしく、何というインスタントな勝利主義の時代に私たちは突入した
のだろうか?

もちろん、ペンタゴンは映画館の戦争を管理下に置くことを簡単には諦めない。
例えば、ディズニーの『パールハーバー』(2001年)のために、ペンタゴン
は装備と助言を提供し、台本を校閲し、しかも、映画のプレミア・ショーのた
めに、航空母艦にマンモス・スクリーンと観覧席を装備して動員した。だが、
ここには奇妙な点がある。彼自身が軍事オタクであるプロデューサーのジェ
リー・ブルックヘイマーでさえも、大して稼げなかった。期待された割には、
映画は国内的にも世界的にもヒットしなかった。

実際、一分も考えてみると、ベトナム以降の紛争を描いた戦争映画で成功した
のは、クリントン政権時代のソマリアでの無惨な軍事的冒険を描いた(同じく
ジェリー・ブルックヘイマー製作の)『ブラック・ホーク・ダウン』(2001年)
と、第一次湾岸戦争を辛辣に解釈した、デービッド・O・ラッセルの『スリー・
キングス』(1999年)の2本だけである。現代の戦争で観客をシネマコンプ
レクスに一貫して動員しているのはベトナムでの我が国の敗北であり、最近の
ベトナム物ヒット作は、おかしく聞こえることは分かっているが、スティーブ
ン・スピルバーグの『プライベート・ライアン』(1998年)であり、これは第
二次世界大戦に背景を借りたベトナム戦記である。(この映画では、ノルマン
ディー上陸直後に、単独の行方不明兵捜索のために、偵察小隊が独自行動任務
に就くが、このテーマは、第二次世界大戦ではありえなかったことであり、ベ
トナム以降のベトナム戦争映画には不可欠であることに、あなたはお気づきで
なかっただろうか?) これ以外の近頃の戦争映画は、程度の差はあれ、おしな
べて興行上の失敗作である。『ハートの戦争』(2002年)、『ウインド・
トーカーズ』(2002年)のような第二次世界大戦再録映画はがた落ち、メ
ル・ギブソンの英雄的なベトナム戦記、『ウイ・ワー・ソルジャーズ』(2002
年)は立ち消え、ブルース・ウィルスの特殊部隊物『太陽の涙』(2003年)は、
ストーリーの核心に白人女性救出という昔馴染みの売り物があるにもかかわら
ず、討死にであり、その他に何があるか、誰が知っているだろうか?

近頃は、結局、私たちが映画館の暗がりに潜り込むのは、勝利史観であれ何で
あれ、現実の歴史から逃れるためである。私たちは、何百万人の単位で、外部
宇宙、あるいは地下、ファンタジーの時代、コミックの神話的世界へ消え去る
のである。『戦闘』といえば、敵地ローハンで騎士たちと対決するサルマンの
ウルク・ハイであり、あるいはコミック世界のニューヨーク上空でグリーン・ゴ
ブリンに飛び掛かるスパイダーマンであり、あるいはマトリックスのどこかで
5層構造の時間の中、ジャッキー・チェン張りのカンフーで闘うネオであり、
あるいはコンピューター画像のコロシアムで切りあい、刻みあうグラディエー
ターたちの群なのだ。アクションは目が廻るほどたっぷりだが、どれ一つとし
て、私たちの現実世界と連結しているとは認められない。戦争は、輝かしいエ
ンターテインメントの素材としては、ベトナム戦争時代にアメリカ文化から一
掃され、何光年かなたのギャラクシーにおけるスターウォーズでようやく熱狂
のうちに復活したが、いまだに惑星地球にしっくりと定着したのではない。

エンターテインメントとしての戦争は、ベトナム戦争後の今では、神々の恵み
たるささやかな収穫を僅かな例外として、賞味期限が短くなったようだ。いみ
じくもブッシュ政権の登場により、戦争は、Xメン、テレビ番組企画サバイバ
ル・ゲームのサバイバーたち、スティーブン・キングとラシ・ピーターソン、昨
今のテロ攻撃、NBAファイナル戦、セインフェルド再放送がひしめき、競り
合う文化のフリー・マーケットに放り込まれた。綿密な事前計画があったにし
ても、行き当たりばったりで、ペンタゴンとメディアが大急ぎで継ぎ接ぎした
戦争は、文化的創造物としては奇妙にも調子はずれの作品である。なるほど、
戦争は数週間は私たちの目を惹きつけているが、程なく、お次の24時間オー
プンの出し物にお株を奪われてしまう有様である。はてさて…。でも考えてみ
ると、たった今でさえ、ごく最近の戦争について、もっとも輝かしい瞬間をど
れだけ憶えているだろうか? 明日、あなたをゾクゾクさせるのは何だろう
か?

『戦争の略取』

現在では、大衆の心を捉えて離さない戦争物語を案出するのは、生半可な芸当
ではなくなった。ペンタゴンは、これまでの30年間、計画を十分に練り、資
金もたっぷり注ぎ込んで、努力を傾けてきたが、それは先が見えないままの苦
しい道程のままである。

1982年と言えば、ベトナム戦争の傷がまだ癒えない時期であり、敗戦の要因として、裏切りに等しい戦争報道も大きな理由の一つだったと確信していたペンタゴン当局者たちは、イギリス軍が隔絶した南大西洋でアルゼンチンを一方的に打ち破り、同時に報道を抑え込んでいるのを注意深く見つめていた。(アメリカのベトナム体験を注目していた)イギリス軍は、記者たちをおおむね英海軍艦艇に閉じ込め、批判的なジャーナリストたちは置いてきぼりにして、戦争ニュースの流れをほぼ完全に掌握していた。これにヒントを得て、我が国の軍はより良い戦争を提供する準備を始めた。

レーガン政権が命令した、1983年のグレナダという小島への侵攻作戦以降の我が国の数多くの戦争と軍事介入のひとつひとつが、軍産複合体の実地実験、すなわち、より新型の、より強力な、より技術的に進歩した世代の兵器体系の実戦試験であったと言われている。例を挙げれば、最近の我が国の戦争では、実質的に核爆弾級の威力がある(『すべての爆弾の母』とやさしい名前で呼ばれている)MOAB爆弾が、フロリダの実験場からペルシア湾岸地域へ急送されたが、実戦使用には間に合わなかった。その初回実戦試験の機会は、お次のアメリカ帝国拡大戦争まで待たなければならないだろう。しかし、戦争の度毎に行われる、このような実地試験の実施は滅多にそうと気づかれることもない。報道管制のためであり、より正確に言えば、報道とニュース映像としての戦争が現場で製作されているからである。

イギリスを模範としたペンタゴンの最初の反応は、メディアに対して、すなわち一般国民に対して、戦争を否認することだった。イギリスが報道陣をフォークランド諸島に寄せ付けなかったのと同様、グレナダ侵攻に際して、ペンタゴンは先ず記者たちを沖合いに『留め置き』、数日間、事態の推移の取材、撮影、報道を許さなかった。この処置は、ベトナムでの敗北の記憶をすべて消し去り、アメリカ国民の心証の内にどこか心ときめく戦争のイメージを再構築する露骨な企ての始まりに過ぎず、また、従軍するメディアに対する怒りと復讐心の要素も含んでいた。戦争報道にある種の罰則を課したのである。パナマ侵攻に始まり、アフガニスタンまで、戦争の度毎に洗練されてはきたが、この方針は、内実として防御であり、聖書の戒律にも似て、否定詞を連ねた――例えば(アメリカ兵の戦死は一般国民の厭戦気分を招き、本国世論の支持率を下げかねないので)、『汝、テレビで遺体運搬袋を見せるなかれ』といった――禁止項目の列挙で構成されている。遺体袋は別の品名で、気付かれもしないうちに、空輸される。しばらくの間は、戦闘のどちらの陣営にも戦死者は存在しないことになった。

こうした報道管制手法は第一次湾岸戦争で極点に達し、ペンタゴン、メディア共同製作としてスムーズに運んだ。報道陣は今度も一ヵ所に集められ、『作戦行動』現場から遠ざけられ、本国の一般国民は、砂漠景観の荘厳な日没と青い空に向かって発射されるロケットの現実離れした映像と、イラクの標的が破壊される最高の見せ場を、ペンタゴンが編集し、選別し、提供した形でふんだんに見せられることになった。おまけに、テレビでは――(「湾岸の対決」といった)キャッチフレーズとテーマ・ミュージックが色を添え――前の戦争で活躍した退役将校がしゃしゃり出て、前に在籍していた部隊の作戦行動を解説し――精巧にデザインされた動画地図が理解を助け――(実態としては、メディアにとって見世物が何もなかったフォークランド戦争を起源とする流れの帰結なのだが)スターウォーズ流儀の映像が流れ――このような演出がメディアの第二の天性になってしまっている。さらに、ペンタゴンは、戦争をディズニー風の光の芸術――バグダッド上空のテレビ向き花火スペクタクル映像――として、リビング・ルームのプライムタイムに、放映することまでやっている。

だが、このような報道のど真ん中には矛盾があったと、あなたは言うかもしれない――そして、これこそはいまだに疼くベトナム症候群の後遺症なのだ。それで結局、『戦争』は、作戦行動は――何処にある? ペンタゴンとホワイトハウスの役人たち皆は、子どもの頃に照明の消えた映画館で観たワクワクする英雄的な瞬間を、どのようにはっきりと憶えていられたのだろうか? 最高の見せ場は別にしても、作品そのものは奇妙にも駄作だった。記者たちは相変わらず登場せず、アクション映像も不足していた。戦争はそこにあって、計画通りに進行していたが、たいていは視野の外だった。

12年後、第二次イラク戦争が、第一次イラク戦争の続編としてではなく、改良されたリメイクとして計画された。今回は、暴君がノックアウトされ、アメリカ国民は我が国の勝利で沸き立つことになっていて、その通りに筋が運んだ。
2回目ともなれば、ホワイトハウスとペンタゴンはギャンブラーたちの支配下にあり、地球ゲーム盤の上でサイコロを振る用意も整って、メディアも控えていた。新規に採用された手法は、記者たちを軍隊に『抱え込む』ことであり、開戦準備中の『前線基地』に固め、ブラッドリー歩兵戦闘車とエイブラムズ戦車で編成された(奇妙にも、数え切れない映画で繰り返し見せられた、西を目指す開拓者たちの幌馬車の長いキャラバンによく似た)戦闘車列の各部隊毎に、記者たちを配置して送り出し、戦争を本国の私たちに中継したのである。これは、彼らがサダム・フセインのパンチのない軍隊に圧勝する自信を抱いていたことを、疑う余地なく示していた。自信たっぷりだったので、リアルタイムの映像を絶え間なく放映する機会に賭けたのである。映画製作と戦争政策が絡み合っていたのだろう。今回の作品のロケ地がイラクだったのだろう。映画監督はペンタゴンだったのだろう。製作スタッフはカタールのドーハに設営したセントコム米中央軍前線司令部に駐留したのだろうし、そこでは、25万ドルを掛けて、報道ブリーフィング用の映画セットを築造していたし――私たち一般国民は我が軍の威風堂々とした前進を眺めていられたのだろう。

それでも、ペンタゴンの思惑通りにいかなかったことも幾つかあった。イラク国民が解放軍を歓迎しなかったし、短期間にしろ、南部で戦争が泥沼に嵌まりこんだ。すべて現実だった。このようなインスタント映画製作のハイライトは、たぶん、ジェシカ・リンチの救出劇であり、彼女の姿は病院に到着した米軍特殊部隊が装備した暗視カメラに捉えられ、救出シーンの映像が撮影され、ドーハのセントム前線司令部にリアルタイムで転送され、そこで編集され、放映された。結果は、本国メディアの演出による、夢のような愛国主義の熱狂であり、ジェシカTシャツ、その他関連商品、おまけに間違いなくすでに製作に入ったNBCの今週のテレビ映画までそろった波状キャンペーンである。 だがそれでも、ジェシカ・リンチのニュースは、バグダッドでの銅像引き倒しのニュース同様、サダム・フセインの巨大な大量破壊兵器備蓄のニュース同様、夏にはボロ切れ同然になってしまうだろう。すでに、BBCがジェシカ救出劇を検証し、大きく異なった、疑いようもなく非英雄的な――銃創も切り傷もなく、虐待もなく、救出を阻むイラク防衛隊もいない…云々の――バージョンを報告しいる。

それはさておき、世代を超えて再版され(今でも購入できる)メアリー・ローランソン救出物語に引き比べて、ジェシカ・リンチのニュースが明日になれば色褪せてしまうとすれば、カメラがいかにハイテクであっても、いかに劇的な舞台を設定しても、急拵えの神話につきまとう問題の一例であるにすぎない。第一次湾岸戦争で、ペンタゴンは新しい現象――すなわち、当時、CNNがネットワークを駆使して活用し、視聴者を捉えた――24時間放映テレビに真っ向から直面した。今や、24時間放映テレビは私たちの娯楽生活に完全に組み込まれていて、『私たちの生活』そのものに等しくなりつつある。初めて対面する時には、ペンタゴンは勝利者のように見えるかもしれないが、見掛けはあてにならないと私たちは見抜いている。

私が思うに、この政権を動かしているのは――驚くべきことかもしれないが――単にジョージ・H・W・ブッシュの一期限りだった政権の盛衰の記憶だけではない。トッド・ギトリンの言う『集中豪雨型メディア』の真っ只中にある、私たちの騒々しい文化宇宙では、幾多の戦争と幾多の政権を含め、遅かれ早かれ、すべては諸行無常に流れ去る。バグダッド国立博物館と同様、私たちの世界では――トピック、映像、脚色が目玉を鷲づかみにし、日常に溢れるスクリーンと音響システムで送り出されるニュース報道が、私たちの耳目を釘付けにし――生活が繰り返し略奪されている。私たちがイラクで目にしているように、略奪の雰囲気の下では(ABCテレビのショー『百万長者になりたい人は?』を観れば分かるが)――あるいは、再建の任務に当たる者たち自身が略奪者である場合には――永続的なものは何も建設できない。現今の文化フリー・マーケットは富裕な略奪者たちの天国であり、彼らには、戦争を題材にしても、神話は創造できない。お次のイベントに素材を求めても、とうてい無理なのだ。

結局、メディアとはそんなものなのだ。『インディアン』は悪者ではなく、領地全体を簡単に征服することも、自分好みに簡単に再編することもできないし、地球上のいかなる土地でも支配することは、よくても暫定的であり、戦争はさらなる敵を作るし、私たちが野蛮人のラベルを貼る人たちが今にも立ち去るわけではないという認識が広がっていく世界では、勝利の感覚よりも、恐怖こそが、現代の支配的な情動なのだ。9月11日攻撃に遭遇して、恐怖が大統領とその政府の一番目の反応であり、恐怖がアメリカ国民をイラク戦争支持に走らしたのだ。安全が保証された映画館では、サメが飛び出し、恐竜が跳ねても、異境の地であっても、恐怖は楽しみであるかもしれないが、伝統を築くことにも、長く安定した精神状態をもたらすことにも役に立ちはしない。

タコの足のように自らを蝕むシステムとして、アメリカの勝利文化の再来はつかの間の夢に終わるはずだ。今から10年先までどころか、1年先に、アメリカのどこでもいいが、裏庭や街路で、子どもたちが、GIとイラク兵ごっこ、あるいは対テロ特殊部隊とアフガン兵ごっこをして遊んでいるだろうか? YESには、私は賭けない。そうあってこそ、たぶん、私たちは幸運の星に感謝すべきなのだ。

----------------------------------------------------------------------
【原文】Tomgram: Giving good war
Copyright C 2003 Tom Engelhardt エンゲルハートによりTUP配信許諾済み
http://www.nationinstitute.org/tomdispatch/index.mhtml?emx=x&pid=698
======================================================================
                  翻訳 井上 利男/TUPスタッフ
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆