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2008年10月1日
原子力安全委員会・保安院等への要望書


 9月1日から3日間にわたり敦賀市で開催された「原子力行政を問い直す宗教者の会・敦賀大会」での研修及び協議をもとに、以下の要望書を提出しました。
 その上で10月1日、近藤正道議員の協力により、参議院議員会館第2会議室において、経済産業省の原子力安全委員会、原子力安全保安院をはじめ、外務省や内閣府等関係省庁の担当職員を呼び、回答を得ると共に1時間今日にわたり話し合いの時間を持ちました。

原子力委員長 鈴木篤之様
原子力安全・保安院長 薦田康久様
2008年9月24日
原子力行政を問い直す宗教者の会
 世話人会東京共同代表 阿蘇 敏文
東海林 勤
 「原子力行政を問い直す宗教者の会」は、原子力に関する国策を憂慮する各地の宗教者(仏教、キリスト教、神道など)の全国ネットワークです。1993年、「もんじゅ」の初臨界が迫っていたとき、宗教者が敦賀に集まって結成しました。「もんじゅ」が運転試験1年半でナトリウム火災事故を起こしてから13年、今再開を目指しており、並行して六ヶ所再処理工場も来年の操業開始を目指しています。
 私たち宗教者は、原子力が人間を含む生き物の命を脅かすにもかかわらず、日本の原子力政策は命よりも経済・軍事優先で推進されていることに強い懸念を抱いています。そこで去る9月1〜3日敦賀市に全国から90人の宗教者が集まり、『再処理〜もんじゅは総ヒバクと核武装への道――無核・無兵を!』という主題で学習し、協議をしました。
 この集会を代表して、貴委員会に以下のとおり見解と要望を述べます。
1.原発震災

 昨年7月の中越沖地震による柏崎刈羽原発事故は、地震による原発大事故の可能性が日本のすべての原発に迫っていることを示しました。柏崎刈羽原発は地震が中程度で余震も軽く、たまたま3機が停止中であったこと等により、辛うじて苛酷事故を免れたけれど、それでも構内地表は波打ち、7基が別な向きに傾いて、地下に重大な変化が生じたことを現わしました。直下に活断層があることも判明しました。たった3ヶ月の調査でも、7機と構内建物、設備に3,000件の損傷やトラブルが見つかりました。これらの原発が今後使用に耐えるとは、誰も本気で考えることはできないでしょう。

 地球は今地殻変動期で、日本は阪神・淡路大震災の頃から活動期に入り、今後40年は続くと予想されます。耐震設計審査指針(1978年)以前に建てられた原発は言うまでもなく、一部改訂の81年指針(旧指針)、さらに大幅改訂した06年の新指針をクリアした原発も、起こりうる大地震に耐えられるか、懸念されます。耐震審査は国が決めた立地を安全審査した後に行なわれるので、立地変更を要求するような耐震審査結果は出さないからです。手加減は、新指針そのものの中に含まれているし、指針の実際の適用時にも加えられます。そのため立地の直下か直近に断層があっても、それはない、あるいは影響ないとされてきました(石橋克彦氏)。

 断層は地下も海底も未発見のものが多く、その上、日本では断層がない地も震源地となり得ます。とくに海岸の地帯は地震に弱い地域です。それでも、この国ではどんな老朽原発も安全とされるのです(ex.浜岡原発訴訟の一審判決)。

 老朽化は深刻な事態です。老朽化は、定検短縮と運転長期化、熟練技師・作業員の減少、下請け孫請け企業や3次、4次請負会社への検査・補修の丸投げなどと重なって、事故の多発を招きます。放射線影響協会に登録された被曝労働者の数は42万人を超えました。それでも、被曝によるがんや骨髄腫、免疫不全と罹病、死亡は隠されていて、労災認定はたった10人です。地域住民の被曝の実情も隠されています。

 その上、ひとたび地震災害と原発の苛酷事故が複合し、「原発震災」となれば、人類未体験の破局的災害となり、現地被災者の脱出も外からの救援も困難を極め、多くの命と地域が放棄されるでしょう。国土の広い地域が被曝地となり、放射能汚染が地球全体に広がり、その影響は遠い未来の世代に及ぶでしょう。

 地震研究者たちは、若狭と浜岡でとくに原発震災の危険が高いと警告しています。これらの地元はもとより、風向きによって京阪神、中京圏、首都圏もそれぞれ大災害に見舞われるでしょう。百万単位の数の人々の生命・生活とこの国の産業機構が、想像を絶する崩壊に陥るでしょう。「総ヒバク」は空想ではありません。そのときには私たちが顧みなかった被曝労働者と現地住民の苦境とそれを超える悲惨を、私たち自身の境遇として引き受けるほかないでしょう。ふだん放射能の危険は分かりにくいとはいえ、自分が電気で恩恵を蒙った人々の命と人権を無視すれば、その結果は自分にはね返ってくるということです。

 こうは言っても、ただ悲観してはいられないし、この状態を脱する道はまだ開かれています。それは、国と企業がどんなに隠しても聞こえてくる原発被害者の訴えに心の耳を傾け、被害者と手を組んで被害を食い止めることです。幸い今日、一般市民の間にも危機意識が広まってきました。私たちは危機を新たな生活、政策への転機として捉えます。
2.核武装

 政府と企業は、六ヶ所村に集めた使用済み核燃料を早く処理しないと、原発構内の一時貯蔵プールが満杯になって原発の操業できなくなると言って、再処理工場の操業開始を急いでいます。しかし大量の高レベル放射性物質を扱う原子力プラントの危険性と、不安定な化学プラントの危険性を合わせ持つ工場の運転はひじょうに危険な作業です。英国のソープ再処理工場は2005年に配管破断事故を起こして停止してから、放射能のため事故調査もできない状態が続いています。原発「先進」諸国が安全性、経済性を理由に撤退した再処理工場を、日本はソープの2倍もの規模で建て、運転しようというのです。しかも、工場敷地の直下に断層が走っているのに、です。地震国の活断層の真上に巨大な再処理工場を新設するとは、どういう神経でしょうか。さらに過酷事故がなくても1日で原発1基1年分の放射能汚染を引き起こすと言われます。汚染はすでに試験の段階で広がっています。

 それでも六ヶ所再処理工場の操業を目指すのは、プルトニウム利用の「核燃料サイクル」の要になっているからでしょう。ところが、原子力基本政策「核燃料サイクル」がまったくの虚構であることは、もう否定しようもありません。まず第一に、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」が機能せず、実証炉も計画を立てられないからです。「もんじゅ」はきわめて不安定なプルトニウムを燃料にし、同時に爆発しやすいナトリウムを冷却材として大量に動かすという、安全上両立しえないことをする装置です。生産できる電力も原発1機の3分の1以下、運転して取り出せる燃料用プルトニウムは微々たるものです。

 第2のもっと重要なことは、「もんじゅ」運転が目指すプルトニウムは実は燃料用ではなく、きわめて同位体率(純度)の高いプルトニウムであることです。すでに高速炉「常陽」が純度99,2%のプルトニウムを12.2kg生産していたし、「もんじゅ」は1年半の運転試験中に純度99,8パーセントのプルトニウムを17kg生産していました。いずれも「使える核兵器」つまり戦術核に適したプルトニウムです。その量は両方合わせておよそ核兵器20発分です。今後「もんじゅ」が10年間正常に運転できれば620kg生産し、以前の20発分を加えて300発以上の兵器用プルトニウムができます。このプルトニウムを抽出する特殊な再処理工場「リサイクル機器試験施設」(RETF)は、東海村に建設され、「もんじゅ」再開にあわせて運転を開始するよう、すでに準備が整っています。(槌田敦氏)。

 米国はレーガン政権のときに戦後の日本非核化方針を変更し、アジアの核戦争を日本に肩代わりさせることにしました。日本の核武装は90年代の日米軍事再編の秘められたアジェンダでした。日本の政界には、サンフランシスコ講和条約の頃から将来の核武装を目指す動きが始まり、平和利用三原則、原子力基本法、非核三原則にもかかわらず、一貫して核武装への強い志向が働いていました。それがついに具体化し始めたのが、日米軍事再編の現状です。米国は最近RETF運転に関する技術供与を進めています(藤田祐幸氏)。

 「もんじゅ」の近くに活断層があることは以前から知られていた上に、近年、地下に活断層が2本あることが判明しました。大量のプルトニウム燃料と複雑なナトリウム配管を内蔵する「もんじゅ」が地震に遭えば、想像を絶する惨事となります。13年も操業を休止し劣化したこの異様な施設を、十分な安全審査も経ないで再開するなら、言語道断です。

 政府の原子力政策は、プルトニウムをウランにまぜて炊くという危険なプルサーマル計画を地方の電力会社と自治体に押し付けて、かろうじて核燃料「サイクル」を掲げていますが、本心では再処理から核武装へと「一直線」に軍事大国化をめざしているようです。そのため六ヶ所再処理工場と「もんじゅ」はどんなに危険でもやる、この国の市民と社会の命取りになろうともかまわない、ということであるなら、これは無謀な太平洋戦争に突入した時より桁違いに無謀な政策ではないでしょうか。起こり得る惨事に誰が責任を取るのですか。

 しかも米国からはあらたに首都圏に、北太平洋から中東までをカバーする米軍総司令部(キャンプ座間)と、最新鋭の原子力空母ジョージ・ワシントン(母港横須賀)を押し付けられました。これらは日本の安全を守るよりも安全を脅かします。ミサイル防衛網も同様です。とくに空母の原発は商業用原発より事故を起こしやすく、また地震―三浦半島に活断層群―による水位の変化等から過酷事故を起こしかねないのです。そのときには首都圏に百万人以上の死亡が予測されます(上澤千尋氏)。
要 望

 そこで私たちは原子力安全委員会と原子力安全・保安院に要望いたします。
1) 原子力政策は経済成長、GDP上昇を目標とせず、人命と人権、人間を含む生き物の安全と幸福を目標とするように、政策全体を捉えなおしてください。
2) 被害者の訴えを聴いてください。原発が被曝労働なしに成り立たないこと、被曝の実情、また原発が想像を絶する災害を引き起こす危険があることを、市民―被災の渕に立つ当事者―に正確に周知させてください。真実な姿勢で、市民と対話してください。情報公開を徹底し、公聴会、シンポジウム、懇談会を開いてください。
3) 廃炉と高レベル放射性廃棄物をできるだけ安全に管理し処分することに、ためた知恵、技術、資金を集中的に用いてください。
4) 敦賀3,4号機などの新設計画をすべて取りやめてください。
5) 柏崎刈羽原発の廃止を決定し、すべての原発を―とくに若狭と浜岡で―老朽化の度合いと耐震の見直しによって、速やかに順次停止、廃止してください。
6) 耐震性強化と防災計画は原発震災にも対応するよう、抜本的に改めてください。
7) 2005年に決定された「原子力政策基本大綱」を、その後に生じたさまざまな重要案件を考慮して全面的に見直してください。とくに再処理工場は工程の要となるガラス固化が頓挫した今、即時完全に中止し、「もんじゅ」の操業準備も即時中止して、再処理―プルトニウム利用という基本線を転換してください。
8) プルサーマル計画をやめて「核燃料サイクル」という看板をおろし、プルトニウムを無力化する研究を進めてください。
9) 日本が過去の侵略と支配に向き合うこともしないで核武装をすれば、アジアの対日批判は高まって日本はさまざまな困難に遭うでしょう。そのとき日本が国家主義を募らせれば、最悪の事態もありえます。日本が核武装に向かい、核戦争が現実味を帯び始めた今こそ、非武装の意味も明らかです。無核・無兵(非核・非武装)が、平和と安全の唯一の道です。日本国憲法の平和主義を原子力の観点で生かしてください。
 米原子力空母の横須賀母港化に対して、同空母の速やかな撤収を求めてください。
10) 政府と少数の独占的な電力会社は、原発関係で巨額の浪費とギリギリの危険を露呈しています。なによりもカネにものを言わせることで、自他共に人心の荒廃を招いています。原子力委員会は、日本の電力を天然ガスとコジェネレーションへ、再生可能なエネルギーへ、地方分散型体制へと転換してください。市民がだれも犠牲を強いられず、たがいに他を思いやり、平和に豊かに暮らすことに、予算(もとは税金)を回してください。市民は本来アジアの人々と信頼しあい、平和と安全を築く知恵と力を持っています。
以上





2007年11月21日
核の現場から《いのち》を考える


  2007年10月、浜岡原発訴訟の判決が静岡地裁で出ました。被告の中部電力でさえ予想しないような、推進側に有利な判決内容でした。本当に原発は安全なのでしょうか。今一度、考えてみる必要があります。そこで、11月21日、原発銀座といわれる福井県の若狭地方で活動する中嶌哲演さんをお招きし、小松川市民ファームでお話をうかがいました。中嶌さんは小浜市の名刹・明通寺の住職であり、とくに被曝労働者やその家族の立場に立って、原発の実態を訴え、問題提起されています。当日、ジャーナリストの長谷川彰さんがまとめてくださった原稿をもとに掲載いたします。

★若狭、原発、私

 若狭には現在、日本の原発55基のうち15基が存在します。そのど真ん中に位置する明通寺は、坂上田村麻呂が、敵として戦ったアイヌのリーダー、アテルイやモレたちの供養の為に創建した寺です。
 住職の中嶌さんは、現在65歳。50を過ぎてから住職になりました。学生時代には、美学などを学び、どちらかといえば、芸術志向のノンポリでした。しかし、明通寺の立地から、原発による被曝者たちの実態に接し、人生が変わったといいます。地獄が、単に、説話の中に語られる死後の物語ではなく、現に我々の生きている世界にあるという事実に気付いたのです。

★被曝するということ

 はじめは他宗派の僧侶と共に、原発被曝者からの聞き取り調査を行いました。その結果「妻にすら、理解されない。一見、健康そうに見える」と言う被曝者たちの深い孤独に向き合うことになりました。実際、“原爆ぶらぶら病”の患者さんたちと同じように、何とも言えない倦怠感を訴える症状が、原発被曝者にも現れていました。傍目には分からないことで苦しさが増幅します。
 被爆者の悲劇は、これだけに止まりません。多くの人が差別を恐れて、被曝手帳の申請すら躊躇します。手帳があれば、定期健診を無料で受けることができ、場合によっては援助金を受け取る権利さえあるのに。自分の子どもが結婚した後にやっと手帳申請をするという人も少なくありません。このような見えない苦しみが、被曝者の背景にあることに気付かざるを得ませんでした。
 広島の被爆者と列車に乗っていたとき、それまで、快活に話していた人が、急に口を噤み、暗い表情を浮かべました。少し落ち着いてから、わけを尋ねると、車窓から見えた美しい松原が、故郷の広島で被災した時のことを思い起こさせたといいます。その人は、故郷の緑豊かな松原が、一瞬にして、茶色に焼け爛れるのを見たのです。その時の恐怖、失望、不安などが良く似た風景から蘇ったのでした。
 このように、美しいものを見ていても、被爆者が、被爆体験と“美しいもの”を結びつけた途端に、美しいものを、恐怖と苦しみの象徴に変えてしまうのです。

★原発下請け労働の実態

 日本で初めて商業用原発が稼動したのは、1970年。原発を稼動させるためには、被曝しつつ働く労働者が不可欠です。年に一度義務付けられてきた定期点検の他、事故処理にも、下請け原発労働者は必要です。当初雇われていた人々は、日本列島が、高度経済成長を遂げてきた間、巨大産業の下請け労働者として働いていた元炭鉱労働者、減反や200海里問題で農漁業に従事できなくなった人々などで、原発の立地する地元住民は少なかったのです。何故なら、彼らの原発内での作業は、放射線の海に入るようなもので、悪影響が出れば原発設置への疑問が噴き出すからです。無論、法で定められた限界被曝線量があり、それを守るのは最低限の義務です。雇用サイドからは、限界被曝線量があるから、人海戦術で、原発労働者を使わなければならない、という論理が成り立ちます。
 しかし、現場ではそんなことは言っていられません。作業現場は、35度から40度の高温、おまけに多湿で、一々、防護服をまとっていては、暑くて耐え難いのです。炉心部で働けば、10分未満でアラームが鳴るのに、「マスクをしろ」という指示も無かったといいます。しかも、実績を上げなければ日当を失う、という畏れに、線量計が限界値を超えると、他の線量計を用いて作業を続けるようなことが行われ、原発労働者の健康に重大な被害を齎しています。また、初期のころは被曝線量はカードに鉛筆書きでした。そのため実際の被曝線量は、100ミリレムを超えているのに、「80ミリレムと書いておけ」などという指示が出されていました。このような指示で、被曝線量値を書き直すことは、月に3〜4回あったということです。それでも、日本人はまだましでした。観光ビザで来日し、原発下請け労働者として働いていた、アフリカン、台湾人、フィリピン人などは、最も被曝量の多いエリアで働かされていたのです。その、エリアで浴びなければならない放射線の量は、規定の20〜30倍でした。
 日本人労働者の多くは、50歳を超えていましたが、中には65歳以上の人もいました。若い人が、原発労働に関わるような場合には、「早く結婚して、子供を作っておけ」などという『助言』も囁かれました。次の世代に被曝の影響があるからです。
事実、1980年代の若狭で、組合員数180名で非公然に結成された“被曝下請け労働組合”で、下請け労働者300人の追跡調査を行ったところ、癌、白血病など、被曝が原因と疑われる疾病で亡くなった人は300人中43名もいました。
 放射線影響協会の資料によると、2005年3月末までの累積被曝労働者は、397.966人。うち、約6万人が現役で働いています。

★被曝者から学んだこと

 これら被曝者との出会いは、中嶌さんをも変えました。仏陀の言ったことの意味することに、深く共鳴した。生きることを深く考えてゆくと、支え合ってこそ、生は充足するという覚醒に至ったと言います。単に、目に見えるものばかりではなく、否、目に見える粗大な物・者らは、みな、寧ろ、目に見えない者・物達によって支えられている。このような認識から、生態系を考えるべきではないのか。なかんずく人間は、自然の恩恵を受けながら、動植物を食べながら、命を支え、目には見えないミクロの遺伝子で、新たな生命に種を継承してゆく。だが、核の放射線は、この目に見えない遺伝子を直撃する。そのことが、原爆被爆者、被曝労働者、核実験被曝者など、総ての被曝者を不安にするのです。被曝者の不安は、単に、自分の健康状態に終わりません。子孫にまで、遺伝子を通じて影響を与えてゆくのではないか、と心配するのです。この出口の見えない不安が、差別の温床にもなっています。
 周知のように、核物質は半減期を持ち、最終的に、放射線を出さなくなるまでに、ものによって、数百億年以上の年月を必要とします。常識的に考えれば、こんな塵を排出し続ける、原発や核兵器などを、人が管理し続けることが、手に余ることぐらい誰にでも納得がゆくはずです。それなのに日本だけで55基もの原発が作られ、また、もんじゅの運転再開が叫ばれるのは何故なのでしょうか。

★原発推進の光と影

 100万KW級の原発一基が稼動すると、1日当たり5〜6億円の電気代を稼ぐ、といわれています。100万KWの発電力というのは、1時間に100万KWの発電能力を持つ、という意味です。1日24時間稼動で2400百万KW。若狭全体での発電量は、15基の原発で1200百万KW/hだから、24時間では2億88百万KW。金額にして60億から72億という計算です。これだけ多くの電力と利潤の大半は、電力会社本社のある大都市に送られます。もちろん原発誘致地域にも、一時的に多くの金が舞います。地方の多くは過疎に悩み、若者の地域離れに悩み、天候に左右され、収益も低い一次産業しかない地域性に悩んできました。金の持つ魔力は、都市部より大きいのです。
 しかい、この膨大なエネルギーと金を生み出す原発には、避けがたい欠点があります。核のゴミです。100万KW級原発一基が1年間稼動すると、広島型原爆に換算して、1000発分の核廃棄物(死の灰)を生じるばかりか、長崎に落とされたプルトニウム型原爆30発分のプルトニウムを生み出す。加えて、地震の多発する我が国で、放射能の半減期が数十億年というような核の塵を生む施設を、自分達の生活の只中に持ち込むことは、単に、危険であるのみならず、自然を破壊し、ひいては、自らの健康・生活、それら、総ての基盤を破壊することに他なりません。これだけ危険な原発が立地する若狭での電力使用量は、最大限見積もって十数万KW/hに過ぎない。残りの千百八十数万KW/hは、京阪神へ送電されています。
 一方、大都市周辺や瀬戸内海沿岸部では、火力発電によって、約1500百万KWが、発電されています。原発推進側の言うとおり、原発が本当に安全ならば、わざわざ送電ロスを出しながら遠い過疎地から送るより、大都市周辺に原発を作り、そこから送電すればよいという声が上がるのは当然でしょう。

★原発立地住民の動き

 小浜に初めて、原発を作らないかという話が持ち込まれた1968、9年当時、若狭では、既に、6基の原発が、建設中でした。この時は、それまで分裂状況にあった、左派、市民が、危機を察し、大同団結して、有権者の過半数を超える署名を集め、原発推進派を封じ込めました。70年代に入ってからもまた、誘致話が来ましたが、これも何とか凌ぎました。しかし、今世紀に入った2004年には、「六ヶ所村の核処理施設が本格稼動し始めるまでの間の中間貯蔵施設を作らないか」という変化球が投げかけられました。この時にも市民が、立ち上がり、25000の有権者のうち保守・革新の別なく、14000の署名を集めて、誘致を拒否しました。この時、行財政から、提示された補助金は、50年間で、1200億円でした。つまり、年間24億円です。回復期に入った2004年度歳入総額が、142億1933万9千円の小浜市にとって決して小さな額ではありません。
 一方、苦渋の決断の結果、原発を受け入れた市町村はどうなったか。多額の援助金が、入った結果、地域住民の身の丈に合わないような、巨大な箱物が作られ、大手ゼネコンが儲けた後には、維持するだけでも大変な費用を必要とするハコモノだけが残りました。その経費負担で、市町村は更なる借金財政に陥っています。その結果、新たな補助金に頼らざるを得なくなり、補助金目当てに更なる原発を受け入れています。借金地獄というサイクルに絡め取られてしまったのです。
 プルサーマルに反対した刈羽村、柏崎で署名運動が起き、有権者の過半数の署名が集まった時にも、通産官僚、有識者と名乗る人々、東電関係者などが、大挙して押し寄せ、「文明の為に原発は必要」との大キャンペーンを展開しました。反対した地元住民は、反乱兵だといわんばかりの扱いを受けたのです。戦後60年以上、確かに日本は本格的戦争には巻き込まれませんでした。しかし、国内に於ける侵略は、このような形で行われてきたのです。そして反抗する者には、反乱兵という扱いが待っていました。また、被害の実態を隠す為に、企業は被曝者に、白紙の小切手などを渡し、沈黙を金で買ったのです。

★都市と原発

 このようなことが許されて良いはずはない、とは誰しも思うことです。しかし、現実に起きているにもかかわず、大多数の人々は「信じられない」といって、自分達の住む世界の問題という認識すらありません。加えて報道の偏りがあります。地方紙は、事故を始め原発に関する詳細を伝えるのですが、原発の恩恵を受ける大都市では、原発のマイナス部分が報道されることは、質・量ともに、遥かに少ないのが実情です。
 強大な者が、弱小な者の差別と犠牲の上に繁栄している現在の構造を変換し、各々の個性が、平等に尊重され、その幸福、安泰、安楽が、図られるべきではないでしょうか。弱肉強食の差別構造を、現在の核問題は、鋭く、問い直しているのです。
 核放射線は、微細で目に見えない領域から汚染・破壊しつつ、粗大で、目に見える領域に悪影響を及ぼしてゆきます。臭いも音もなく忍び寄り、姿を見せずに生命を滅ぼす。今こそ、都市に住む住人の、いのちに対するイマジネーションが問われているのです。