過去のメールメッセージ 〜2002.12
2002/12/28
サイード「緊急課題」
 過日、アラファトが来年1月に約束していたパレスチナ総選挙を、無期延期するという地方行政相の発表がありました。この状況の中では無理からぬことだとは思いますが、この発表前に書かれたエドワード・サイードの文章をご紹介します。
 サイードは、パレスチナ自治政府側の責任と、これからの市民的可能性について論じています。私自身も、オスロ合意がそれなりに意味を持っていた束の間の時期に、自治政府の「ヤバさ」に大きな不安を感じました。パレスチナのコミュニティ自体が、各政治勢力に絡め取られていかざるを得ない現実のなかで、イスラエルと言う「敵」の存在で、内紛/内乱/内戦が押さえられているともいえる、汚職と横暴がはびこっていました。
 それでもNGOを中心に、自分たち自身で家族や地域を守り、支えていこうという、ささやかながらも地道な活動が続けられており、いつかきっとこのような積み重ね、積み上げの上に、真っ当なパレスチナ国家が築かれていくことを信じています。
 このメッセージが出た後に選挙延期の発表があり、今後はイラク情勢(これについては田中宇さんのサイト<http://tanakanews.com/>をぜひご参照ください)などと絡み合いながら推移していくのでしょうが、いま「民主主義」や「市民政治」からますます遠ざかっていく日本の私たちとも共通の問題として、パレスチナの人々に注目していただきたいと思います。
 以下、中野真紀子さんのサイト<http://home.att.ne.jp/sun/RUR55/home.html>からの転載です。
「緊急課題」 Immediate Imperative

エドワード・サイード
(中野真紀子訳)
Al Ahram Weekly 2002年12月25日 No 617
 パレスチナ人の生命と財産の毎日の喪失は、休みなく加速している。アラブのメディアも西洋のメディアも、ぞっとするセンセーショナルな自殺爆撃を報道している。犠牲者の写真と名前が掲げられ、悲痛な詳細が描かれる. 何度でも言うが、こういう行為は道徳的に許せないし、政治的にはどこから見ても自殺行為だ。だが同じくらい忌まわしいのは、イスラエルが、たいていは非武装の民間パレスチナ人をはるかに大量に殺害し(あちらでは90歳の男、こちらでは一家族全員、きのうは看護婦、今日は精神障害を持った青年)、パレスチナ人への破壊行為をもう何ヶ月も休みなく続けている自国軍に、制止はおろか少しの抑制を加えることも拒絶していることだ。だが、たいていの場合、こうした恐ろしい虐殺も新聞の後方ページに現われるのみで、テレビでは言及さえされない。超法規的な暗殺を続けていることについてもイスラエルは何のとがめも受けていない。ジャーナリストが「〜といわれている(証拠はない)」とか「当局の発表では」という文句によって自らの報道責任の無さを隠しているためだ. 中でも『ニューヨーク・タイムズ』の中東報道(イラクを含む)はいまやこの種の文句であふれ返っており、いっそ『当局の発表』と紙名を改めてはどうかと思うほどだ。
 言いかえれば、イスラエルが引き続き非合法行為によって故意にパレスチナの民間人を締め上げているという事実はごまかされ、視界から隠されているが、じつは着実にずっと続いているのだ。65パーセントが失業し、50パーセントが貧困ライン(1日2ドル以下)を割り、学校も病院も大学も商売も絶え間ない軍事圧力にさらされている。これらはイスラエルの人道上の犯罪が外から見える部分に過ぎない。パレスチナ住民の40パーセント以上が栄養不良であり、飢饉が正真正銘の脅威になっているぶっ通しの外出禁止令、はてしない土地の接収と入植地の建設(200カ所近くに達している)、作物や樹木や家屋の破壊が普通のパレスチナ人の生活を耐え難いものにしている。
 多くがここを去っており、またはヤヌン村(Yanun)の住民のように、入植者のテロ(家を焼き、殺すと脅す)によってとどまることが不可能になり、やむなく立ち退きに追いこまれている。これは民族浄化に他ならないが、シャロンの悪魔的な計画は、それを日々の小さな行為の積み重ねによって実行することである。そういう小さな事件はきちんと報道されることはなく、全体として一つのパターンを構成するものとして累積的に把握されることもない。ブッシュ政権の無条件の支援が背景にあるのだから、シャロンが「作戦にはいかなる制約も課さない。イスラエルは何の圧力も受けない。わたしたちを批判する者も、批判する権利のある者もいない。イスラエルが自国民を守る権利のことなのだから」と言ってのけるのも不思議はない。(『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン 』2002年11月15日号 のロイター電)。 なにゆえ、このような傲慢な態度が、反駁もされずにまかり通るのか、あるいはスロボダン・ミロセヴィッチが現在ハーグで裁かれている種類のことと直接結び付けられないのはなぜかということは、国際社会がいかに偽りのものになったかを示すサインである。合衆国の保護の下で、シャロンはテロリズムとの戦いにことよせて、好き放題にパレスチナ人を殺している。
 これだけでも十分にひどいのだが、それでも足りないというのならパレスチナ人やアラブ人の情けない政治状況が指摘できよう。彼らのリーダーや支配階級が現在ほど腐敗したことはないし、これほど自国民に有害になったことも稀である。
 アメリカ政府はイラク侵略後に中東の地図を書き直すという計画を発表しているのだが、それに対してこの人たちは、集団としても、個々人としても、組織的な戦略を掲げることはもとより、組織的な抵抗を組織することさえしない。これらの政権に今できることは、自分たちは合衆国にとって不可欠だと売り込むか、さもなければ自分たちの中の反体派の芽を摘みとることぐらいである。合衆国特使ザルメイ・ハリザド(ベイルート・アメリカン大学の卒業生で、かつてはニューヨークのわたしの隣人だったが、今はチェニーとウォルフォウィッツの子飼いのネオコンだ)の監視のもとで、ロンドン在住のイラク反体制派たちが繰り広げているみっともない口喧嘩や無秩序ぶりは、ひとつの民族としてのわたしたちがどういう位置にあるかをはっきり見せてくれる。
 代表者たちが代表しているのは自分だけ、資源を横取りするため一つの国を滅ぼそうとしている大国の恩着せがましい尊大な庇護、信用のない専制的な現地政権(最悪のものがサダムだ)による恐怖政治、それらの政権の内部でも外部でも民主主義らしいものは不在──こういうことから見えてくるのは、とうてい安心できる将来像ではない。
 一般的な状態について特に目立つことは、民衆の圧倒的多数の無力と沈黙である。彼らは全体的な無関心と弾圧に包み込まれて屈辱を味わっている。
 アラブ世界ではすべてのことが、基本的に選挙で選ばれてはいない統治者たちによって上から決められるか、有能ではあるが任命されたわけではない仲介者によって裏で決められる。資源はなんの説明責任もなくバーター取引されるか売り渡され、政治的な将来は有力者と彼らの現地下請け人たちの都合の良いように作られる。人道援助や市民の福祉を増進するための制度は少ない。

 パレスチナの現状も、驚くべきドラマのなかにこのすべてを体現している。35年来の軍事占領が極度な段階に達し、イスラエル軍はこの9ヶ月のあいだ、西岸地区とガザの基本的な市民生活インフラを破壊してきた。占領地の人々は、電気やコンクリートのフェンスや、イスラエル軍による監視と自由な移動の阻止によって、ほとんど檻に入れられて暮らしている。ヤセル・アラファトの一党は、少なくとも彼らがオスロ合意で売り渡したものや、イスラエルの占領に正当性を与えたことによって、現状の行きづまりと荒廃に責任があるのだが、それでも権力にしがみついているようだ。彼らの汚職と不法な蓄財についての驚くべき実態がイスラエルやアラブや世界中のメディアに少しずつ漏れ出しているにもかかわらず。この男たちの多くが、アラファトの代理人・使用人としてかつて築いた信用から、最近のEUとの秘密交渉、CIAとの秘密交渉、スカンジナビア諸国との秘密交渉にかかわっていたということは、深く憂慮されることだ。その間もミスター・パレスチナ御本人は引き続き命令を発し、ばかばかしい非難を表明し続けている。それらはみな、何の役にも立たないか、さもなければ途方もなく時代に遅れている。彼が最近ウサマ・ビンラディンを非難したこともその一例だし、2000年のクリントン提案を今頃になって受け入れると言い出したこともそうである。
 それでもなお、アラファトや子分のモハメド・ラシード(別名ハリード・サラーム)のような人たちは、買収と、汚職と、自分たちの統治を長引かせるために、引き続き途方もない大金をばら撒いている。悪名高い中東カルテット〔アメリカ、EU、UN、ロシア〕は、ある日声を揃えて和平協議の開催と改革を発表したかと思うと、翌日にはもうその計画を撤回し、三日目にはイスラエルに弾圧強化を促す始末なのだが、だれも注意を払おうとはしないようだ。

 何がひどいといって、パレスチナの選挙の実施を求めるほどばかげたものがあるだろうか。選挙については、イスラエルの悪行の囚になったアラファトその人が、実施を発表し、取り消し、延期し、ふたたび発表している。だれもが改革について語るなかで、ゆいいつ声が聞こえないのは自分たちの未来がそれにかかっている当の人々、すなわちパレスチナの市民である。彼らは貧困と苦難の増大とともに、大きな犠牲を払い、耐え忍んできた。この長年苦しんできた民の名において、新統治体制の提案がそこら中から出されているのに、当のその民からは出ていいというのは、グロテスクとは言わぬまでも、皮肉なことではないか。
 確かにスウェーデン人も、スペイン人も、イギリス人も、アメリカ人も、そしてイスラエル人でさえも、中東の未来を開く象徴的な鍵はパレスチナであることは承知している。だからこそ、彼らはあらゆる手を使ってパレスチナ人たちを未来についての決定からできるだけ遠ざけておこうとしているのだ。そして、これに平行して進められているイラクとの戦争を推進する熱心なキャンペーンでは、多数のアメリカ人、ヨーロッパ人、イスラエル人たちが、いまこそ中東の地図を塗り変え、「民主主義」をもたらすべきだと公然と述べている。
 皇帝は新しい衣装(それを民主主義と彼は呼ぶ)に着替えたと主張しているが、ペテン師の正体をあばかれるときが来た。民主主義は輸入することも、押しつけることもできない。それは市民の大権であり、彼らこそがそれを作り、そのもとで生きることを望むことができるのだ。
 第二次世界大戦の終結以来ずっと、アラブ諸国はさまざまな「緊急」事態のもとに生きてきた。これが安全保障の名を借りて治世者が思いのままにふるまうライセンスとなってきた。オスロ体制の下でパレスチナ人たちに押しつけられた政権も、その第一の存在理由はイスラエルの安全に奉仕することだったが、第二は政権自身の便宜(と利権のつかみ取り)のためだった。
 パレスチナの大義は、アパルトヘイト下の南アフリカの解放と同じように、いつもアラブ人のみならず世界中の偏見のない理想主義者にとってモデルになってきた。それを筆頭とするありとあらゆる理由から、いま緊急に要請されるのは、パレスチナ人がみずからの運命の形成を自力で行なう力を取り戻すために、行動を起こすことだ。
 パレスチナの政治的な段階は、現在2つの選択肢に分かれているが、いずれも魅力がなく先のないものだ。一方では、自治政府とアラファトが残したものがあり、もう一方ではイスラム諸政党がある。どちらの選択肢も、パレスチナの市民にまともな将来を保証することなどとてもできない。自治政府はひどく信用を失い、制度構築の失敗はあまりに基本的で、そのシニカルで堕落した歴史は全面的な妥協の連続であるため、もはや将来を託されるような能力はない。そうでないふりをする(自治政府の治安長官や有名な交渉担当官たちの一部が現在装っているように)のは詐欺師だけだ。イスラム政党の方は、絶望的になった人々を、果てしない宗教闘争と近現代に背を向けた衰退という否定的な空間に導いていくものだ。シオニズムは政治的にも社会的にも失敗だったとわたしたちが語るのであれば、別の宗教にすがってそこに現世的な救済を求めるようなことがどうして容認されようか? できるはずがない。人間の歴史は人間が作るのであって、神々が作るのでも、魔法や奇跡がつくるのでもない。「よそ者」を土地から排除するということは、その言葉を発するのがムスリムであれ、キリスト教徒であれ、ユダヤ人であれ、現実の人間の生活──何十億という人々が異なる人種や歴史や民族的帰属や宗教や国籍などの混合のなかで生きてきたもの── への冒涜である。

 けれども、大多数のパレスチナ人には(きっと大多数のイスラエル人にも)そういうことは分かっている。また幸いなことにハマースでもアラファトの自治政府でもない、もう一つの政治的な選択肢がすでに存在する。それは、今年六月に新しいパレスチナのナショナル・イニシアティブ(moubadara wataniya)を発表した占領地のパレスチナ人の素晴らしい動きのことである。リーダーのなかには、ムスタファ・バルグーティやハイダル・アブデル・シャーフィー、ラウィーヤ・アッシャワーをはじめ多くの無党派の人々がいる。弱体化したパレスチナ社会が「改革」の標的にされており、それを推進している政党の真の狙いは、今後何年にもわたって政治的・精神的な勢力としてのパレスチナ人を解体することだということを、この人たちは理解している。アラファトや彼の副官たちの選挙についての無駄話は、民主主義はじきに到来するのだと部外者を安心させるためのものだ。
 実際には大違いで、こういう人たちが望んでいるのはこれまで通りの不正で破綻したやり方を継続することだけであり、そのためには完全な詐欺行為を含め、あらゆる手段を惜しまない。
 忘れてはいけないが、1996年の選挙はオスロ体制のもとで実施されたのであり、その主な目的はイスラエルの占領を別の題目のもとに継続することだった。
 立法評議会(al majlis al-tashri'i)は、アラファトの命令やイスラエルの拒否権発動の前には何の力もなかった。 シャロンや中東カルテットが現在提案しているのは、これまで通りの受け入れ難い体制の延長だ。 これが、世界中のパレスチナ人にとって ナショナル・イニシアティブが不可避の選択になった理由だ。
 まず第一に、ナショナル・イニシアティブは、自治政府のようにイスラエルの占領に協力するのでなく、占領からの解放をめざしている。
 第二に、これは広い範囲の市民社会の代表であり、従って軍人や治安関係の人々やアラファト宮廷の取り巻きたちなどは含まない。
 第三に、それが主張しているのは解放であって、少数支配層やVIPに都合の良いように占領体制を再調整することではない。
 最後に、最も重要な点として、このイニシアティブ(わたしは喜んで全面的推薦を与えたい)が提唱しているのは、民衆に奉仕するために選出され、彼らが必要とする解放、民主的な自由、公開討論や説明責任などを推進する統一政府という考えである。これらのことは、あまりにも長いあいだ先送りにされてきた。ファタハや人民戦線やハマースなどという旧来の分裂は今日ではもはや意味が無い。
 そういう馬鹿げたこだわりにとらわれている余裕はない。占領下の民として、わたしたちが必要としている指導体制の主要目標は、イスラエルの略奪行為と占領を終わらせ、わたしたちに必要な公正、国民的な視野、透明性、直接の語りかけなどを満たしてくれる新たな秩序を打ち立てることでなければならない。アラファトは二枚舌を使ってきた。これに対して、バルグーティ(ここでは一例として挙げている)はパレスチナ人に向けても、イスラエル人に向けても、外国メディアに向けても、一貫して一つの主義に基づいた話し方をする。村々に医療サービスを提供しているため、彼には同胞たちに対する敬意がある。彼の公正さと指導力には彼に接した人々のだれもが刺激を受けている。また同じように重要と思われるのは、パレスチナ人たちを率いるのは、これからは高度な近代教育を受け、ものの見方の中心に公民権的な価値観が据えられているような人々であるべきだということだ。現在のわたしたちの統治者は一度も市民であったことがない。彼らはパンを買うために行列に並んだこともなければ、自分の医療費や教育費を払ったこともなく、気まぐれな逮捕の不確実さと残酷さ、同族集団による横暴、陰謀による権力奪取などをたえしのんだ経験もない。バルグーティとアブデル・シャーフィーのような手本は、このイニシアティブに名を連ねるすべての主だった人々と同様に、わたしたちが必要とする精神の独立と責任のある近代的な公民権の問題に答えようとする。古い時代はもう終わっており、できるだけさっさと埋葬してしまうのがよい。
 結論として述べたいのは、本物の変化がおとずれるのは、人々が積極的にその変化を望み、自分たちの手でそれを可能にするときだけだということだ。イラクの反体制派が犯しているひどい間違いは、アメリカの手中に運命を託しながら、実際のイラクの民衆が必要としているものには十分な注意を向けていないことだ。イラクの人々は独裁体制もとで恐ろしい迫害に苦しんでおり、それに加えてじきに同じように恐ろしい合衆国の爆撃にさらされようとしている。
 パレスチナでは、いま選挙を行なうことは可能なはずだが、それはくたびれ切ったアラファトの一団を再任するためのものであってはならず、むしろ真の代議制に基づいた憲法制定議会への代表を選出するためのものでなければならない。「パレスチナの民主主義」についてたわ言を吐いてきたにもかかわらず、アラファトは過去10年の悪政のあいだ積極的に憲法制定を妨げてきたというのが、嘆かわしい現実だ。彼が遺したものは、憲法でもなければ、基本法ですらない。老いぼれきったマフィアだけだ。それにもかかわらず、またパレスチナの国民としての生命に終止符をうとうとするシャロンの今狂気じみた願望にもかかわらず、わたしたちの市民生活を支える公共機関は、極度の困難と拘束の下で、いまも機能している。ともかくも、教師たちは教え、看護婦たちは看護し、医者たちは治療を施しているのだ。こうした日々の活動が停止したことは一度もない。たとえ必要が無限の努力を強要しているからだとしても。いまこそ、ほんとうに社会に貢献してきたこのような人々や公共機関が前面に出て、平和的手段による純粋に国民のための解放と民主主義を実現するための、知的・精神的な枠組みを提供すべきである。この努力においては、占領地のパレスチナ人も、在外《ディアスポラ》のパレスチナ人も、等しく努力する義務を負っている。
 もしかすると、この国民発議は、他のアラブ人にも民主化の手本を提供することになるかもしれない。
2002/12/26
ナブルス:占領下で生きるということ
 イスラエル軍の市民に対する暴力をくい止めるために、パレスチナ人の「人間の盾」となり活動している『国際連帯運動(ISM=International Solidarity Movement)』が、今年度の「多田謡子人権賞」に選ばれ、同運動のコーディネーターをしているナブルス在住のパレスチナ青年、フセイン・カリリさん(29歳)が授賞式に参列しました。この10月にようやく日本政府がパレスチナ自治政府発行のパスポートを認めたことで、来日が可能になったのです。
 日本人としても、これまでに10数名のボランティアがこの活動に参加しています。清末愛砂さんや森沢典子さんをはじめそのメンバーの有志が主催した報告会で、フセインさんが占領下でのおけるナブルスのパレスチナ人の生活について語ってくれたお話をご紹介します。

■ナブルスからの報告−−占領下で生きるということ

     フセイン・カリリ(ISMコーディネーター)

 占領下で暮らすことはどういう意味を持つのか、言葉に尽くしがたいところがあります。常に兵士や戦車に囲まれているだけではなく、生活そのものが成り立たない状況です。生活が閉ざされ、文化も残せない。しかも、自分たちの権利のために闘い、占領に反対するとテロリストと決め付けられてしまうのです。
 ナブルスでは、6月から現在まで、180日間以上外出禁止令が続いています。そのうち、朝の6時から夕方の6時まで丸半日外出が許されたのは僅か2日です。それ以外の日は、数日おきに数時間の外出が許されただけで、その間にすべての事をしなければなりません。禁止令を破って外に出たり、店を開けると、イスラエル軍に発砲されたり、店を壊されたりします。
 しかし秋の新学期に、ナブルスの人々は、外出禁止令を無視して、命がけで通学や通勤を始めました。もちろん、登下校中の子どもたちに対して、イスラエル軍は戦車で威嚇したり、なりふり構わず発砲します。軍は子どもたちが普通に学校に通い、自分の街に普通に住むことを妨害するのです。
 私たちは毎日、学校へ、仕事へ通うときに、検問所を通らなければなりません。そこではもちろん身分証明書を見せなければならないし、様々な嫌がらせに合います。帰り道も同じです。ナブルスの街は非常に小さいのに市内に4つ以上の検問所があります。そのたびに「乗合タクシー」を乗り換えなければなりません。もはや私たちの日常生活の一部と化していますが、検問所で私たちは怒鳴られ人間以下の扱いを受けるのが常です。そこには男女の区別さえありません。最近では兵士は衆人の前でパレスチナ人に全裸になるように命じることがあります。
 パレスチナ人は、家族や隣近所が支えあいながら暮らしています。というのも外に出られないし、工場などのインフラも壊されている私たちは職がなく収入がないからです。ガザではいま兵器工場だと言う口実で、戦車が銃弾を打ち込んでいます。もちろん兵器工場など存在しないにもかかわらず。
 イスラエルの軍事作戦は、4月以降8ヶ月続いています。何百台の戦車や何千もの兵士が、一軒一軒「家宅捜索」をします。兵士は、住民が扉を開けるのを待たず、いきなり扉を爆破します。そして、家の中に押し入って、中にいる人間を夜間であろうと赤ん坊や病人であろうと外に追い出し、しばしば家がメチャメチャにされるます。同じ場所が月に1、2回襲われることもあります。8月の軍事侵攻の時だけで、ナブルスでは32軒の家が破壊されましたが、そこには何の理由も罪もなかったのです。
 頻繁な道路封鎖に対して、人々は自分たちの手で新しい道を作っています。平地の道路が破壊されれば山に道を作っています。こうして私たちは生活を続けているのです。2ヶ月ほど前、私はベツレヘムの帰りに、ナブルスの入り口の検問所で通行を許されませんでした。仕方なく周りの山々を越えて迂回して、10分のところを4時間半かけて街の中に入りました。他方、ユダヤ人入植者のため道路は非常に整備されていますが、パレスチナ人は通行を許されていません。この秋のオリーブの収穫時期、軍は農民が収穫することを禁じ、収穫作業に参加しようとした外国人ボランティアたちにも発砲しました。ナブルスの周辺の村はオリーブ栽培で有名なところです。しかし農民たちは収穫できず、収入がないのです。
 パレスチナを離れてまだ二日しか経っていませんが、自分たちの街に何か起きていないか、東京にいても非常に心配です。あそこで毎日起きていることは私の脳裏に焼き付いて離れません。この2ヶ月の間にナブルスだけで7人以上の子どもが殺されました。パレスチナ全体では2年間で1500人以上が犠牲になりました。「パレスチナ人は暴力を使うからけしからん」という人がいますが、インティファーダは最初、非暴力の抗議運動として始まりました。何万人もの人無防備な人々がデモに参加しただけで、イスラエル軍は発砲し、300人もが殺されたのです。また、パレスチナのグループの間で「イスラエル国内での自爆を止めよう」という話し合いがもたれると、かえってあおるかのようにイスラエル軍が爆撃します。イスラエル軍があたかも自爆テロを作り出すような形で私たちを攻撃しているのです。また、外国人や私たちの目前で心臓を打ち抜かれて殺された友人でもあった少年の死についてまで、イスラエル軍はそれを認めず、もっていた火炎瓶が爆発して死んだなどとこじつけをするのです。
 私は、将来に希望を持っているので、占領に反対する活動を続けることができます。
それがなければこうした活動はできないでしょう。しかし将来への展望も見えず、学校にも行けず、仕事もなく悶々としている若者たちがたくさんいて、その若者たちが自爆に駆り立てられているのは無理もないという気がします。目の前が真っ暗で、希望がないときに、生きることの意味を失う時があるのではないでしょうか? 目の前で戦車に人が殺されたり、ブルドーザーでなぎ倒された家の中で人が死んでいくのを見たときに、落ち着いて考える余裕がなくなり、自分たちの苦痛を相手にも味合わせたいという欲求に駆られるのだと思います。
 ある少女は、妊娠している友人がイスラエル兵によって衣服を剥ぎ取られたのを目撃して、自爆しました。ナブルスに住む17歳の少年は、4月のイスラエル軍の侵攻で、何の理由もなく家を爆破されました。その15日後、この少年は自爆しました。
 いま、ナブルスで、パレスチナの各地で、多くの人々がイスラエル軍に対して、素手で立ち向かっています。子どもたちも戦車に立ちはだかっています。その中には国際連帯運動の外国人もいます。普通に学校に通い、普通に暮らすためです。私たちはいつの日か、パレスチナ人もイスラエル人も、平和に暮らせることができると信じているからです。

2002/12/24
ガザの子どもたちへ緊急支援のお願い
 師走も押し詰まってきました。いかがお過ごしでしょうか。
 戦争で最も犠牲になるのは子どもたちです。イラクへの戦争は、何としても阻止したいと思います。湾岸戦争の時もそうでしたし、その後の経済制裁による犠牲、そして米軍が使用した劣化ウラン弾はいまだに罪のない子どもたちを苦しめています。
 パレスチナ・ガザでは、今月に入り、私たちのローカルスタッフの姉が犠牲になりました。子どもを保育園に連れて行こうとして、顎と肩を撃たれ、救急車が来るのを阻まれ、出血多量で亡くなったそうです。生後40日の赤ちゃんと、他に2人の小さな子どもが残されました。
 「昨日は、イスラエル軍の検問がひどくて、35人の職員が通勤できなかった。今日はクリスマスイブでも、いつもの大変な一日に過ぎないわね。」 アトファルナろう学校のジェリー校長は、事務局からの電話に、そういう悲しい話がどんどん近づいてくる気がすると語っていました。
 私も昨年の12月に滞在しましたが、パレスチナの冬は雨も多く、燃料にも事欠く人々にとってはひじょうに厳しい季節でもあります。私たちに今できることは限られていますが、この状態の中で、少しでも何かの足しになり、また彼らを勇気づけ、希望につなげればと、以下の通り「越冬支援募金」を呼びかる次第です。

     ☆☆ パレスチナの子どもたちへ ☆☆
             ★★緊急★★
          「越冬募金」の呼びかけ

 パレスチナのガザでは、毎日夜になると戦車が市街地に侵攻して家屋が破壊され、犠牲者は増えるばかりです。その上に深刻な経済状態が日常生活をますます苦しめています。先週も、生活に困った一家の男たち5人が職を求めてイスラエルへ越境しようとして、全員が射殺されるという事件も起きています。

 パレスチナの人たちは、いつ降って来るか分からない爆弾を心配するより、子どもたちを食べさせ、教育することに集中しています。どんなことがあっても自分たちの土地から離れず、子どもたちを大きくすることにしか未来はないと考えているからです。難民となって厳しい生活を半世紀以上続けてきた人々にとって、それが教訓なのです。 

 パレスチナ子どものキャンペーンでは、こうした子どもたちが少しでも無事に越冬できるように、ガザでの緊急支援として、今冬は2003年初めにろう学校の子どもたちへの給食と貧困世帯への一時金の支給を実施します。ぜひ皆さまのご協力をお願い申し上げます。

   送金先: 郵便振替00160−7−177367 
   口座名: パレスチナ子供のキャンペーン
        ※通信欄に「越冬募金」とお書きください。

 現地での栄養実態調査では、6割の家庭で食事の量が減り、その理由として、3分の2がお金の不足を、3分の1が外出禁止令や封鎖を挙げています。4割近い家庭では、子どもを養うだけのお金がないと述べ、半数は食料を買うのに借金したと報告。その割合は、ガザ北部やガザ市では7割を超えています。
 また、ガザ市や南部のハンユニスでは平均して4割の家族が食糧を買うために何らかの家財を売っています。調査の結果、肉類、魚、鶏肉などのたんぱく源を買わなくなったばかりか、3分の1の家庭ではパン、ジャガイモ、米といった主食さえ減らしています。
 この調査によると、ガザでは3割の子どもたちが、極度か慢性の栄養失調になっているということです。日常的に子どもたちはお腹をすかしているのです。親たちもどんなにか辛いでしょう。
 皆さまの温かいお気持ちをお待ちしております。詳しいことについてのお問い合わせは、私またはCCP事務局までお願いします。
2002/11/27
パレスチナフィルム『1コマ』サポーター募集
▼▽▼▽《転載大歓迎》▼▽▼▽

□◆□ 広河隆一 パレスチナフィルム自主制作
■◇■
□◆□ 『1コマ』サポーター募集


 『パレスチナが見たい』著者の森沢典子さんが、広河隆一さんが撮影されながら、様々な「壁」のため一般メディアでは公開されずに埋もれている貴重な映像を、みんなでサポートして編集しようと呼びかけを始めました。
 イスラエル・パレスチナに関しては、日本に限らず大多数の人々が、事件として表出するごく一面的な映像や数字の報道を通して知ります。そして一方では(しばしば神話とごっちゃにされる)1000年単位の歴史が持ち出され、真に本質的な問題が見落とされます。「真に本質的な問題」とは、国連決議により分割され、イスラエルのみが一方的に独立し、35年以上にわたり軍事占領が続いているということです。
 そして、その背景には、アメリカはもちろん欧州諸国や周辺アラブ国などの欲と都合が蠢いており、そのことが、私たちが持つべき本質的な認識、つまり私たちの無理解、誤解が人々を苦しめ現在と未来を危険なものにしているという認識の大きな妨げとなっています。
 このことを、しっかりと筋を通して表現していく事に関して、広河さんはじめ、現地と現地の人々(パレスチナ人もイスラエル人もそこに関わる他の人も)を良く知っている人たちが取組まれることは、たんにこの地域だけでなく、人間社会の歴史や未来を考えていく上にも、ひじょうに意義のあることと確信します。ぜひみなさんも、できればご協力を、少なくともご注目をお願いします。

◆『1コマ』サポーター募集
    −−−森沢典子さんからの呼びかけ
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 現在テレビや新聞がパレスチナ問題を扱うときに、イスラエル軍の侵攻の行方や自爆テロのみをとりあげ、根底にある占領や、イスラエル建国時大量に発生した難民の事まで立ち返って考えられることは、ほとんどありません。けれども、この問題の影響をもっとも受けてきた難民の存在やその後も占領下で暮らす彼らの苦しみを知ることなしに、私たちはどうやって解決の糸口を見出す事が出来るでしょう。
 6月にNHKで放映された広河隆一さんのパレスチナに関する番組では村を追われ難民として生きてきたある家族の証言と、自分たちが難民になる前まで住んでいた、(今はイスラエルとなっている)村の跡地を、お墓参りをするかのように訪ね、そこに生えている木の葉を持ち帰る場面が映し出されていました。難民の存在やその後の軌跡、証言などを取り扱った、とても貴重なものでした。けれども広河さんは「パレスチナについての番組を作るとき、NHKや大手民放では様々な限界にぶつかり取材者の思いを十分に伝えるのは困難なのが実状だ」と漏らしました。なぜならば広河さんの事務所には、長年撮りためてきたパレスチナ難民の証言や軌跡を追ったフィルムやVTRが山のようにありそれらのほとんどは、未発表のまま部屋の隅に並んでいたからです。
 私たちは情報がいくらでも入ってくる時代に生きています。でもそれは誰が選び、切り取った情報でしょう。テレビに映し出されていた画面は、誰の視線として流れているのでしょう。
 マスメデイアは、巨大ではありますが、本当は情報を提供してくれる一つの媒体にすぎないはずです。その偏りや限界を憂いているよりも、私たち自身が直接スポンサーになり必要な情報を確保していきたいという思いが沸いてきました。
 特にパレスチナの人々は、激しい破壊と情報規制によって、自分たちで情報を外へ伝える手段をほとんど失っています。でも私たちにパレスチナの情報を知る方法がないわけではありません。例えば広河さんの事務所にあった膨大なフィルムを自由に構成、編集したら、パレスチナ難民達の軌跡を追ったドキュメンタリーができます。
 情報を知りたいと思う私たち市民一人一人が、自分の意志でスポンサーになり、フリーのジャーナリストたちを支え大切な記録や情報を確実に残し、見たい人がいつでも見られる。それがあたり前の時代になっていくことを望み、皆さんへの呼びかけをさせていただきたいと思います。
 制作費として資金を集め、今後の活動で利益が出れば、次の作品を手がけていく基金を立ち上げたいと思っています。
 私たちは自分たちで「知る権利」を守っていきましょう。そのための一つの試みです。賛同いただける方はご協力ください。

 募集の内容

* 資金集めの呼びかけを一緒にしてくださる方。
* 広報・上映などに関わってくださる方
* 技術的な支援をしてくださる方
* 資金を提供してくださる方
金額の大小は問いません。
(編集は広河氏自らがやりますので、1000円で1コマ作れます。)
下記の口座番号までお近くの郵便局からお振り込みください。
00190−5−567661
森沢典子宛てでお願いします。
(通信欄に「フィルム制作費」と記入してください)
     連絡先 電話047-352-5538
     e−mail  midi@par.odn.ne.jp
皆さんのご理解とご協力をお願いします。

森沢典子

◆パレスチナビデオ自主制作企画について

      −−−−広河隆一さんからのメッセージ

 私がパレスチナ問題に関わって35年以上の月日が過ぎました。当初は農業共同体キブツに憧れてイスラエルに行ったのですが、すぐに第3次中東戦争が始まり、イスラエルは広大な占領地を手中にしました。そして私はいやおうなしにパレスチナ問題に向き合うことになりました。
 今語られている和平は、このときの占領地をパレスチナ人のもとに返して、パレスチナ人が念願の独立国家をもつかどうか、それと引き替えにイスラエルは安全保障を手に入れられるかという問題です。
 もちろんこれでパレスチナ問題がすべて解決するわけではありません。パレスチナ人にはいくつかの歴史上の大きな事件がありました。
 その第一は、1948年のイスラエルの独立とパレスチナ難民の発生です。およそ70万人以上が難民となり、400以上の村が消え、そこにユダヤ人の入植地が建設されました。
 第二は1967年の第3次中東戦争です。この戦争でイスラエルは全パレスチナを手に入れました。
 第三は1970年のヨルダン内戦です。この戦争でPLOはヨルダンを追われれました。
 第四は1982年のレバノン戦争です。このときシャロン国防相(現首相)率いるイスラエル軍はレバノンに侵攻し、二万人の死者を出し、そして数千人にのぼる難民の虐殺事件が起こります。そして今進行中なのがパレスチナ自治区の再占領です。
 これらの歴史に目を向けずに現在の状況だけ見ると、なぜパレスチナ人がイスラエル軍に抵抗しているのか分からず、パレスチナ人は単なるテロリストだと考える人もでるでしょう。

 私はいつごろか、表現手段として写真とビデオを両方用いるようになりました。しかしビデオの作品となってテレビで放映されたものは、全部合わせても素材の100分の1にもなりません。パレスチナ難民のインタビューや、彼らの故郷である消えた村々を撮影したものはほとんど、番組にすることもできませんでした。それは日本では、最近いよいよドキュメンタリー番組を放映する枠が少なくなっているせいです。
 消えた村々と難民の発生についての記録は、今年の秋「写真記録パレスチナ 第2巻 消えた村と家族」で発表しました。しかしビデオの作品でもこのテーマで制作し、多くの人に見ていただきたいという気持ちはいよいよ大きくなっています。テレビ番組では時間やそのほかさまざまな制約があります。
 そこで自主制作をしようと思うに至りました。

 「ショアー」という記録映画がありました。ユダヤ人のホロコーストについての証言記録です。これは9時間にも及ぶ大変な作品でした。これにはとうてい及ばないものの、私はパレスチナ人の歴史と苦しみが伝わるような大きな証言記録を作りたいのです。このテーマで作られた作品はまだ世界にはありません。

 このための企画・呼びかけ役を、森沢典子さんが申し出てくれました。この趣旨に賛同いただけるなら、是非ともご協力ください。よろしくお願いします。

2002年11月
広河隆一
2002/11/22
子どもの報復 Revenge of a Child
 イスラエルの平和団体“グシュ・シャロム”のリーダーである、ウリ・アブネリ氏が11月16日に書いた「Revenge of a Child」をご紹介します。
 去る11月10日に、パレスチナの若者がメツェルというキブツに侵入し、母親と子どもを撃ち殺したと言うショッキング事件がありました。
 たとえそれが復讐であっても、子どもをターゲットにして殺すことは、世界中のどの文化も、宗教も、もちろん法律も許さない蛮行です。それを行うと言うことは、いったいどういうことなのか。その背景には何があるのか。その視点から、現在のパレスチナ人が置かれる状況をイスラエルの市民に訴え、その立場や心情への理解こそが真の解決につながることを説いています。
 私はこの文章を読み、人間の弱さや醜さの現実を痛感するとともに、同時に、人間に対する深い信頼が根底にあることを感じます。ものごとをありのまま見れば、おおかたの人は正しい判断をすることができると。そしてどのような宗教も、まともな宗教であれば、それは究極には人間愛にもとづいているものと私は確信しています。だからこそ理解も宗教協力も可能なはずです。それを強く感じた文章でした。

原文は→http://gush-shalom.org/archives/article220.html

■子どもの報復

(2002/11/16 ウリ・アブネリ)

 日曜日以来、ある疑問が、眠れぬほど私の頭の中を駆け回っている。あの若いパレスチナ人に対し、キブツ「メツェル」に侵入し、母親と二人の小さな子どもに武器を向け、そして彼女らを殺すよう仕向けたものは何か?
 戦争でも、子どもを殺すことはしない。それは基本的に人間の本能であり、すべての人々、すべての文化において共通のことだ。それは何百人もの子どもをイスラエル軍によって殺されたことへの復讐を望むパレスチナ人であっても、子どもに対して報復することはない。どんな道徳的な戒律も"子どもがやられたら子どもをやれ"とは言わない。
 こういうことをした犯人たちは、生まれつき残忍な、狂気の殺人鬼と思われてはいない。親戚や隣人たちに聞いてもほとんど、まったくの普通で、非暴力的な人間と評される。そして多くは宗教的にも狂信者ではない。実際に、キブツ「メツェル」での行為をおこなったSirkhan Sirkhanは、世俗的な運動体であるファタハのメンバーだった。
 これらの人はすべての社会階層にいる。飢えに苦しむ貧しい家庭から出る者もいるが、他のものは中流家庭、大学生など教養のある人々だ。かれらの遺伝子は私たちと違いはない。
 だとすれば、何が彼らにそれをさせるのか。何が他のパレスチナ人たちにそれらを正当化させるだろうか。
 ちゃんと解決するためには、まず理解すべきである。それは、正当化することではない。子どもがベッドで眠っている家に爆弾を落とすイスラエルを正当化することができないのと同様、母親に抱かれた子どもを撃ち殺すパレスチナ人を正当化することはできない。100年前、キシネフの虐殺の後にヘブライ詩人のビアリクが書いたように、"サタンでも小さな子どもの血を流すような報復は考えつかない"。
 しかし本来、理解なくして対処することはできない。イスラエル国防軍の長官は単純な解決策しか持たない。叩け、叩け、叩け! 攻撃者を殺せ。指揮者を殺せ。組織のリーダーを殺せ。そいつらの家族の家を取り壊し、親類縁者を追放しろ、と。しかし、そういうやり方は解決とは逆の結果をもたらしているではないか。イスラエル軍の巨大なブルドーザーが、行く手にあるものすべてを破壊し、殺戮し、根絶して、"テロリストの基地"をぺしゃんこにした後、何日かの内には新しい「インフラストラクチュア」が出現する。イスラエル軍自身の発表によれば、"防御の盾"作戦以来、攻撃が来るぞという警告が、毎日50回はあった。
 この理由は一言で集約することができる。それは「怒り」だ。
 何の余地を残さず人間の魂を満たす、凄まじい怒り。命でさえどうでもよくなる、ひとりの人の生き方すべてを支配する怒り。すべての制約を拭い去り、すべての価値を凌ぎ、家族や自分が責任を負う枷をも破る怒り。朝起きるときも、晩に床につく時もつきまとい、夜は夢にも見る怒り。その怒りは彼らに告げる。さあ、武器を取れ、さもなければ爆弾を巻け、そしてやつらの家へ行って殺しまくれ、たとえどうなろうとも。
 パレスチナ人地区に行ったことのない普通のイスラエル人は、彼らの怒りの理由を想像することさえできない。われわれのメディアはおしなべて、そこで起こったことを無視し、あるいはちょこっと甘く矮小して書く。標準的なイスラエル人は、パレスチナ人が苦しんでいることを(もちろん、それは彼らの過失として)なんとか知っている。しかし、実際に何が起こっているかはわからない。それはどうしたって自分には関係ない。
 家屋が破壊される。地位のある商人も、弁護士も、職人も、一夜のうちにホームレスとなる。本人も彼の子も孫も。彼らの誰だって自殺爆弾(自爆テロ)の可能性をもっている。
 無数の果樹が根こそぎにされる。その単なる1本の木が、イスラエル軍の司令官にとってはじゃまものである。しかしその持ち主であるパレスチナ人にとっては、心の血であり、先祖伝来の財産であり、長年の苦労の賜物であり、家族の生活の糧である。彼らのだれもが自殺爆弾の可能性を持っている。
 村々の間の丘に、暴力的な一団が"入植地"を作る。その一団を守るために軍隊がやって来る。もともと住んでいる村人が自分たちの農地なのに来ると撃たれる。入植地の安全を確保するという名目で、そこから1〜2キロメートルの範囲では、すべての畑や果樹園で作業することが禁じられる。農民たちは、自分の子どもたちの食べ物もないというのに、自分たちの果実が収穫されずに腐っていく様子や、自分たちの畑がいばらやアザミで腰の高さまで覆われていく様子を、遠くから恨めしげに眺めている。彼らのだれもが自殺爆弾の可能性を持っている。
 パレスチナ人が殺される。引き裂かれた肉体が道に倒れ、人目にさらされる。そのうち何人かは、自らその運命を選択した"殉教者"だ。しかし他の大多数はどうだろう? 男も女も子どもも? "運悪く"か"たまたま"か "逃げそこなった"か"火種に近付き過ぎた"かで死んでいく。そしてそういう人々に対してイスラエル軍は謝罪することはない。指揮官も兵士も有罪になることはない。なぜならすべて"戦争の中で起こったこと"だから。しかし殺された人々にはそれぞれ両親がおり、兄弟、息子や従兄弟たちがいる。そんな彼らのだれもが自殺爆弾の可能性を持っている。
 さらにこれらの人々は、深刻な栄養不良に苦しむ飢餓の極限状態に暮らす家族だ。子どものために食べ物さえ持ってくることのできない父親は、絶望感に浸るしかない。そんな彼らのだれもが自殺爆弾の可能性を持っている。
 何十万もの人々が何週間も何ヶ月もカーフュー(戒厳令)下で2部屋か3部屋に8人が閉じ込められ、想像を絶する地獄の生活を送っている。外では入植者たちが兵士に護られながらボール遊びをしているというのに。昨日の自爆が今日のカーフューをもたらし、そのカーフューが明日の自爆犯をつくっていく。
 そしてそれ以上に、年齢、性別、社会的地位の区別なくどのパレスチナ人もが人生のすべての瞬間において経験する一切合財の屈辱がある。その屈辱は抽象的なものではなく、完全に具体的なものである。パレスチナ人がどこへ行くにも通らざるを得ない無数にあるチェックポイントにいたり、通りで尋問してくる18才の兵士の気分に生殺与奪(まさに生き残るか殺されるか)を握られているのだ。その一方、入植者の連中は自由に行き来し、パレスチナ人の村を"訪れ"、財産に損害を与え、パレスチナ人の農地からオリーブを摘み取り、果樹に火を放っている。
 現実を知らないイスラエル人は、いやなやつに支配され、主になった者が奴隷扱いされている立場、それに対しせいぜい呪うか押すくらいしかできない立場、時々実際に撃たれることもある武器でしょっちゅう脅されているというようなパレスチナ人の立場は想像できない。透析に向かう病人や、病院へ向かう妊婦、学ぶことができない学生や、学校に行けない子どもたちのことも伝えられない。パレスチナの若者たちは、本来尊敬すべき祖父が、軍服を着たイスラエルのハナたれ小僧に公衆の面前で屈辱的な扱いを受けているのを見せつけられる。そんな彼らのだれもが自殺爆弾の可能性を持っている。
 普通のイスラエル人は、そんなことは想像できない。どうあろうと、みんな私たちの子どもで、昨日までただの学生だった兵隊たちはいい子なのだ。しかしこのいい子たちを連れて行き、軍服を着させ、兵器によって占領地の中に放り込んだら、何が起こるだろうか。とてもまともではいられない環境の中でも人間の顔を保とうとする若者も少なくないだろう。しかし他の多くは命令を実行するロボットとなる。そして常に、どんな集団でも、こんな状況の中で、武器を振り回したり、司令官が目をつぶり、あるいは満足げにウインクすることを知りつつ、ぞっとするようなことをする異常な輩は何人かいる。
 以上のことすべてが、母親に抱かれた子どもを殺すという行為を正当化しない。しかし、このことがなぜ起こったか、あるいは占領が続く限り何が起ころうとしているかを理解する助けにはなる。
(以上、大河内秀人・訳)
2002/11/18
かき消される平和の可能性&ナブルス・レポート
 過日ご案内した、イスラエルの平和団体“グッシュ・シャロム”が呼びかけた「最後のオリーブ収穫支援」アクションには、160名のイスラエル人が参加し、それなりの成果を収めました。(詳しくは    http://gush-shalom.org/actions/olivesa_eng.html

 平和と共存を望む人々がたくさんいるにもかかわらず、(このようなニュースはほとんど伝えられることなく)パレスチナ側リーダーの暗殺やパレスチナ人地区への容赦のない攻撃と破壊が、分断と封じ込めを伴い軍隊によって続けられています。とくに「何者かによる」キブツ襲撃以降、幼児を含む子どもをターゲットとする報復殺戮が目立っています。
 先週、エジプトでパレスチナ側2大勢力のファタハとハマースの幹部がエジプトで討議した結果、ハマースも「イスラエル民間人に対する攻撃を停止する」意思を表明したことは、イスラエルメディアも伝えています。もちろん駆け引きの中での話ではあるにしろ、結果的には力に屈し、切羽詰まった中でシグナルを発しています。イスラエル市民の安全を本当に考えるならば、ここで対話を進め(P側幹部のカオを立てるという恩義を売りながら)紛争の終結へ一歩進めるチャンスです。
 まず停戦を実現し、パレスチナ国家を承認し、国際監視のもとで民主的な国家の建設を支え、その上でこれまでの自治政府の人権侵害や、過激派の犯罪を裁けばよいのです。しかし、そもそも目的が「平和」や「共存」ではなく「抹殺」にあるため、「不信」と「憎悪」を煽り立て、「抹殺するべき悪者」というラベルに一般の人々(P側もI側も)を巻き添えにして“「民族」浄化”を進めています。
 このことはイラクや北朝鮮にも当てはまります。どちらも一刻も早く独裁政権が崩壊すべきことは明らかです。そして、NGOとしてかかわりをもつ立場として、人々の願いや多様性を知る者として、彼らの中の小さな変化を認め、それを支え、彼ら自身の手によって大きな改革をもたらす可能性を確信しています。数年前、子ども支援のために派遣したスタッフが、北朝鮮の役人の「(金日成が提唱した)主体農法は間違っていた」という発言を伝えてきました。飢餓という現実の中で、やっと認めたものかもしれませんが、「人」としての何とかしたいと言う切実な思いで、はじめて「対話」の土俵に乗ってきたという感慨がありました。
 しかし、草の根の、小さな信頼関係を積み上げて行こうという私たちの声は、あくまでも「悪の抹殺」を主張する「プロパガンダ」にかき消されます。「脅威」を喧伝しながら、鼠が猫に噛み付くよう仕向けているのは明らかです。イスラムの「ジハード」も、資本主義の「正義」も、結果的に一般市民の命を奪っている点で非難を受けるべきことは同じです。そして、経済封鎖など間接的・構造的暴力を含め、圧倒的に多数を殺してきたのは明らかに後者であることは言うまでもありません。
 石油利権と戦争利権を狙うブッシュ政権も、その尻馬に乗り、北朝鮮の脅威をネタに有事法制を進めたい小泉政権も、どちらも私たちの未来を確実に破滅に導くものです。

 以下はビデオジャーナリストの遠藤大輔さんによるレポートです。
■ナブルスからのレポート

 僕が今回ナブルスに入ったのは11月4日(月)です。この10日間、通学中の児童への威嚇射撃、夜間の銃撃戦などが繰り返されていましたが、全体としては比較的平穏だったと思います。戦車の数も少なく、カーフュー(外出禁止令)下でも人々や車の移動が頻繁でした。6日(水)よりラマダーンに入ったこともあり、カーフューの解除された11日(月)には、旧市街周辺が買い物客で賑わい、久々にナブルスらしい光景を目にすることができ、嬉しかったです。日が暮れると子どもたちが通りに出て、花火でラマダーンを祝うという姿が見られました。
 しかし、12日(火)午後5時ごろから、報復攻撃に備えてほとんどの商店が店を閉じ、タクシーも休業。特に、バラタ難民キャンプのメインストリートがひっそりと静まり返っていたのには、大変驚きました。ナブルス市街がカーフューでも、バラタの商店はいつも遅くまで賑わっていたからです。
 この日、ナブルス西部のベイトイバから5キロの地点を、多数の戦車が通過した、との情報を得たのは、午後8時過ぎだったと思います。ナブルス市街に近い知人宅の窓から西の空を見ると、二つの照明弾が上がっており、しばらくすると何台かの戦車が通過していきました。午後10時頃に知人宅を出て、バラタの宿泊先に戻りましたが、通りにはほとんど人影がなく、すべての家はシャッターを閉めていました。
 イスラエル軍が実際に行動を起こしたのは、13日(水)午前2時半ごろだと記憶していす。地鳴りのような震動で目が覚めてルーフに上がると、南のフワラ方面と、東北のアスカルキャンプの方向に、何台かの戦車の姿が見えました。しかし、エンジン音とキャタピラのキリキリという音が混じった、いつもの戦車の音が聞こえません。ごうごうという唸り声のような音がどんどん迫ってくるのです。それは戦車の数があまりにも多いため、音が反響しているのだということに気づき、戦慄を覚えました。よく見ると、戦車が2台ずつ連なるようにして、あちこちを移動しているのがわかりました。8月の侵攻時よりもはるかにその数は多く、あらゆる道路を戦車が通っているように見えました。
 午後3時半、バラタの周辺にも3台ほどの戦車が到着しました。ラマダーン前の朝食時間を知らせる太鼓の音が響くと同時に、パラパラと銃声が鳴り響き、あちこちで銃撃戦の音が聞こえ始めました。次にバラタの東側で戦車砲か家屋の爆破のような爆裂音が2回、旧市街方面からも2回聞こえました。しばらくルーフで撮影をしましたが、すぐにキィンという実弾の音が迫ってきたので屋内に退避。その直後、一台の戦車が南側からバラタのメインストリートに進入し、宿泊先の軒下に停車しました。恐る恐る窓を覗くと眼下に砲身が見え、戦車の排気ガスが部屋の中にも入ってきました。明かりを消し、同宿のISMメンバーらと相談し、僕は家族に付き添うことにしました。宿泊先の家族とは7月からの付き合いです。空からはアパッチヘリの音も聞こえてきました。
 午前4時45分、排気ガスの匂いが漂う暗い室内で、家族とともに朝食を食べました。外からは大きな銃撃音とアザーン(祈り)の声に混じって、時々ヘブライ語の会話が聞こえます。戦車に乗ったイスラエル兵がトランシーバーで連絡をとりあっているのです。
 自爆攻撃で息子を亡くした宿泊先の母は、「エンドーも私の息子だと思っている」と言い、「でも、なぜこんなにリラックスできないところにわざわざ日本から戻ってきたの?」と聞きました。
 今日でこの家は最後かもしれない―そういう不安を分かち合って過ごす夜が何度もありました。そのたびに、通りに面した居間のソファで、僕は耳をすまして眠りにつくのです。
 午前5時半、戦車がメインストリートを走ってゆく音が聞こえ、次にトラックの音が聞こえてきました。テラスのドアからこっそり覗くと大型の護送車が見えました。
 子どもたちの遊ぶ声で目を覚ますと、メインストリートに戦車の白い轍が刻まれていました。午前10時過ぎ、周辺の撮影をしようと外に出ると、小さな路地に人だかりができていました。子どもたちが「フィ・ヤフード」(イスラエル兵がいる)というので、路地を登って行くと、4階建ての家に向かって大勢の子どもたちが石を投げていました。しばらくすると階上から銃撃を受け、子どもたちは蜘蛛を散らすように逃げていきます。
 家の壁にはハートマークや花の絵が描かれています。フリースクールの建物だということでした。どうやら、夜間に兵士が侵入して占拠してしまったようです。この情報についてはISMのほうからも詳細な報告があるのではないかと思います。いずれにせよ、住宅密集地での占拠は、兵士と住民の距離が近すぎて、緊迫した状況を生むことは必至です。
 いったいイスラエル軍はこれから何をしようとしているのでしょうか。ジェニンのような大惨劇にならないことを祈るばかりです。

遠藤大輔
2002/11/7
オリーブの木から
 8月末に突然、デスクトップ(Mac)のメールソフトが開かなくなり、結局ハードディスクの損壊でアドレス帳も過去のデータも消失してしまいました。ノートパソコンに残っていた一部のデータと年賀状や名刺などで、わかるものからアドレス帳をつくりなおしました。
 また、その後ウイルス対策(こちらの送信記録にはないのですが、ウイルス入りのメールを送られたという警告が数件あったりしたので)なども一通り施し、ようやく気を取り直したところです。

 とりあえず復活第1弾は、パレスチナ情勢から。

 相変わらずテロのニュースが続き、それを理由としたイスラエルによるパレスチナ自治区への攻撃や抑圧がエスカレートしています。ナブルスでは外出禁止令がすでに139日を越えるなど、孤立させられライフラインをも絶たれたパレスチナ社会の生活・生存が危ぶまれています。さらに収穫期を迎えたオリーブの収穫も禁止あるいは妨害され、ますます苦境に陥っています。
 そんな状況に対し、イスラエルの平和団体が、パレスチナ住民の収穫を支援しようと呼びかけています。
 
 今度の土曜、11月9日がオリーブの収穫の最後のチャンスです。その日、グッシュ・シャロムと他の平和団体は、入植者の妨害のために大部分が被害を受けた村のために、できるだけ多くの人々を動員しようと計画しています。
 −私たちは、まだ木に残っているオリーブを、村人が収穫することを手伝います。
 −私たちがそこにいることによって、入植者から村人を守ります。
 −私たちは、イスラエル及び各国の平和活動家がその果実を守るために最善を尽くすことによってなし終えられた収穫をともに祝福します。
 これは大いなる経験です。行動を起こすことが、同時に、実際の支援であり、政治的なデモンストレーションでもあり、さらにはイスラエルとパレスチナの友情のシンボルでもあります。すでに参加したこのある人は、そこで何を感じるかわかるでしょう。まだ参加したことのない方、新たな体験があなたを待っています!

 原文は「グッシュ・シャロム」のホームページ(http://gush-shalom.org/english/)をご覧下さい。ここにはウリ・アブネリ氏(イスラエルの元国会議員でグシュ・シャロムの代表)による11月2日付の文章“All Because of a Small Olive”として、これまで様々な平和団体が「人間の盾」となり、オリーブを守った行動が、入植者の暴挙を広くイスラエルの人々に知らしめ、労働党の政権離脱をはじめとした変化のきっかけになったことが説明され、「丘の上のオリーブは1トンの爆弾より協力であろう」と締めくくっています。

 新聞などで伝わるニュースは絶望的な暴力や混沌とした政治状況ばかりですが、まっとうな感覚と意志で平和を望み行動している市民が少なからずいることにも、ぜひ注目していただきたいと思います。